長崎のみそ五郎は隼人族の伝説だ!
長崎県南島原市西有家町に「みそ五郎」という巨人伝説がある。
伝説と言うより昔話である。
http://nishiarie.com/town/kankou/index005.htm
「昔むかし、西有家で一番高い高岩山に大きな男が住んでおった。・・」で始まる。 ここだけの伝説かと思ったら、長崎市の福田町にも「みそ五郎」の話しが残っている。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=940
「昔、長崎の福田町に、みそ五郎と呼ばれるとても力の強い巨人が住んでいました。」で始まっている。
http://2shin.net/lore/minwa/nagasaki.html
長崎の大瀬戸地方、出津町にも味噌五郎の話しがある。
「味噌五郎(巨人)が上(大瀬戸地方)の方から、大城と小城の二つの山をオーコ(竿)でかついで歩いてきたが、疲れたので村の人々に味噌をねだった」と書かれている。
こんな所にも
http://fwdnet.web.fc2.com/san/yoko.htm
追分から唐比に200mほど進んだ処に有る、みそ五郎どん岩。 なお、諫早の船越駅(厩)から続く、この道は古代官道であったといい、島原街道の北目(山田駅)の往還に向かう、この道は古代官道を踏襲していると言われる。
西有家のみそ五郎が一番有名のようで、町おこしのイベントに使われている。
うーん・・。
みそ五郎の「みそ」とは「未曾有」からきたと、何処かのHPに書かれていた。
各地の「みそ五郎」の共通点は、市街地ではない場所にある。
海岸や山に住んでいる。
そして巨人である。
これではただのおとぎ話としか、いいようがない。
角度を変えてみる。
巨人伝説と隼人族
巨人伝説は日本各地にある。 関東にはダイダラボッチ伝説が多い。
柳田國男は『ダイダラ坊の足跡』(1927年(昭和2年)4月、中央公論社)[3]で日本各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察しており[4]、ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味であるとしている。
常陸国風土記、播磨国風土記の古書にも伝説があり、自然災害や天災、戦争を寓話化したと思われる。
「やまたのおろち」もそうである。
長崎の「みそ五郎」もそんな意味があるのだろう。
しかし、検索してみると大人弥五郎という巨人の伝説があった。
大人弥五郎(おおひとやごろう)
南九州の伝説上の巨人。 南九州各地に山や湖をつくったとされ,伝説にちなむ地名がのこっている。 隼人族悲運の主人公南九州には多くの弥五郎説話がある。
本県では「七股弥五郎」(川南町)、「木原弥五郎」(清武町)、「足跡弥五郎」(田野町)など。いずれも大人(おおひと・巨人)が登場する。
放生会(ほうじょうえ)と弥五郎様 その後、宇佐地方では作物の不作、疫病が流行しました。
これは 「隼人の乱でたくさんの反乱軍を殺した報いだ」 として 「霊を慰めるため放生会をすべし」 と宇佐八幡も託宣がありました。
神亀元年(724)の事です。 隼人族の首領・弥五郎をはじめ犠牲となった、たくさんの隼人族の怨霊を恐れた大和朝廷は全国で放生会を行わせました。
その名残の一つが、現在の南九州の八幡神社で行われている 「弥五郎様」「弥五郎どん」などの祭事です。
「みそ五郎」と「大人弥五郎(おおひとやごろう)」 当然、繋がりがある。
五郎が同じだからだ。 「大人弥五郎(おおひとやごろう)」は隼人族の首領とある。
隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々。
「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「隼(はやぶさ)のような人」の形容とも[1]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[2](あくまで隼人は大和側の呼称)。
風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。ウィキペディア
隼人といっても色んな族があるようだ。
阿多隼人(薩摩隼人) 大隅隼人 多ね隼人 甑隼人 日向隼人
「隼(はやぶさ)のような人」といわれているとおり勇ましい部族の名前と思っていたが、人種自体が違うという気がしてきた。
肥前国風土記によると、五島列島にも隼人に似た人々がいたと書いている。
「この嶋の白水郎は、容貌隼人に似たり。つねに騎射するを好む。その言語は俗人に異なれり」
言葉も違う。風習も違うようだ。
隼人族の謎解きはそう簡単にはいかないようである。
(隼人舞)
みそ五郎は隼人族の首領
みそ五郎が、隼人族の首領弥五郎の事のようである。
隼人族は五島にもにいたとあり、土蜘蛛、熊襲も隼人族と繋がりがあると思われる。
島原の西有家、福田に隼人の痕跡はないが、福田は長崎港にあり、五島から渡ってきた隼人族が住んでいたのかも知れない。
同様に西有家も痕跡はないが、熊本と近く、阿多隼人(薩摩隼人)大隅隼人と関係があったのかも知れない。
・・・かも知れないとしかいいようがないが、長崎市の福田も西有家も歴史の記録にでで来ない。
出てこないということは、逆に隼人の集団がいたという可能性があるということだ。
巨人の伝説だが、「大人弥五郎(おおひとやごろう)」の大人が巨人と受け取られたようだ。
島原は『島原みそ』が有名である。
『島原みそ』は日本でも珍しい麦味噌で、麹をたくさん使っているので甘い。
島原の名物と隼人の大人弥五郎をくっつけて、名物にしたと思われる。
アレンジが「隼人の大人弥五郎」では、少し内容が重たいので「五郎」だけをくっつけたのではないだろうか。
龍若彦命
有家には清水川上流の戸ノ隅渓谷に戸ノ隅の滝という滝がある。水量・渓谷ともに長崎県一といわれている。
http://www.shimakanren.com/spots/detail/1355
この滝は、昔の公文書には、「天狗岩の滝」とも呼ばれています。
滝の上部に天狗岩があり、「怪神蟇(がま)」が住み着き、村人に悪さをするので、「龍若彦命」が請われて、怪神蟇を退治し、その時の血潮で川石が赤褐色になったと伝えられています。
天孫降臨の話しに 葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(あめのほひ)が3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。
しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。
アメノワカヒコ天若日子はシタテルヒメとの恋に溺れて使命を放棄しその罪によって亡くなるという悲劇的かつ反逆的な神として、民間では人気があった。
龍若彦命は反逆的な神、天若日子と同一とみてもいいのではないか。
反逆的な神とは隼人であり、「戸ノ隅の滝」の隅は「大隅隼人」の「隅」だと思われる。
いずれにせよ、隼人の伝説が有家に潜んでいるようだ。
長崎の隼人伝説
隼人は後の時代、大和のボディーガードとして活躍するが、基本反逆の一族である。
みそ五郎というマイルドな伝説に変形させていくのは理解できる。
弥五郎の弥という字には「状態を表す語の上に用いて、はなはだ、非常に、の意を表す」とある。
みそが未曾有の転化だとすれば、弥五郎と意味が通じるのだ。
長崎の隼人伝説はどの書物にも書かれていないが、
「みそ五郎」伝説は、長崎のただ一つの隼人伝説ではないだろうか。