長崎『矢上』の地名の由来|なぜ矢上と呼ばれるのか

長崎市東部に「矢上(やがみ)」という地名がある。

現在では東長崎という呼び方のほうが一般的になったが、かつてこの地域には矢上村があり、現在も矢上町、矢上神社、矢上大橋などに、その名が残っている。

私は以前、仕事の関係で5年ほど矢上に通っていたことがあり、矢上神社を撮影したこともある。

そこで以前から気になっていた。

そもそも「矢上」という地名は、どこから生まれたのだろうか。

調べてみると、これがなかなか面白い。

矢上という名前には、弓矢、宝剣、鎮西八郎為朝、さらに中世の豪族まで登場するのである。

矢上には「矢」にまつわる伝説が多い

長崎市が紹介していた資料には、矢上の由来についていくつもの伝説が挙げられている。

山神に矢を捧げたという説。

武運長久を祈って矢を神に捧げたという説。

鎮西八郎為朝が矢を放ったという説。

そして、弘安年間に発見された宝剣を「箭の神」として祀ったという説である。

どれも「矢」に関係している。

ここまで揃うと、やはり地名の「矢」という文字が気になってくる。

矢上神社に残る宝剣伝説

矢上神社

矢上神社

矢上神社には、弘安年間、現在の平野付近で夜ごと不思議な光が現れ、そこから宝剣が発見されたという伝承が残っている。

時代は元寇のころである。

村人たちは、この剣を神が外敵を退けるために放った「箭(矢)」に見立て、祠を建てて神として祀った。

そして「箭の神」と呼ぶようになり、それが矢上という地名につながったというのである。

いかにも昔話らしい話である。

ただし、これは神社に伝わる創建伝説として考えたほうがよいだろう。

宝剣が見つかったから、その瞬間に矢上という地名が誕生したとまで断定するのは難しい。

鎮西八郎為朝の伝説

英勇一百伝_鎮西八郎為朝

英勇一百伝_鎮西八郎為朝

もう一つ、私が以前から気になっていたのが鎮西八郎為朝の伝説である。

為朝は平安時代末期の武将で、強弓の名手として知られている。

矢上には、

鎮西八郎為朝が、八郎橋から八幡神社の大楠を狙って矢を放った

という話が伝わっている。

ここで気になるのが地名である。

八郎橋。

八幡神社。

そして、この地域を流れる大きな川は、

八郎川

である。

あまりにも「八郎」が揃っている。

私は以前の記事で、

矢上という地名は鎮西八郎為朝の伝説から生まれたのではないか

とかなり強く考えた。

何しろ為朝は弓矢の名手である。

矢上という名には、いかにも似合いすぎる人物なのである。

しかし、話はそう簡単ではない

ところが、年代を並べてみると少し困ったことになる。

現在の矢上八幡神社は、江戸時代の創建とされる。

一方、鎮西八郎為朝が生きたのは12世紀である。

もし現在の八幡神社を的にしたという話なら、時代が合わない。

もちろん、それ以前から別の八幡信仰の場所が存在し、後世になって現在の神社へ伝説が移された可能性はある。

日本各地には、鎮西八郎為朝にまつわる伝説が数多く残っている。

有名な英雄の話が後から土地へ結び付けられることも珍しくない。

したがって、

八郎川があるから為朝が来た

とは簡単には言えない。

中世には「矢上氏」が存在した

さらに調べていくと、「矢上氏」という武士が登場する。

南北朝時代から戦国時代にかけて、この地域には矢上氏が存在し、高城台付近に城館を構えていたとされる。

戦国時代には諫早方面を支配した西郷氏の勢力下に入り、矢上城などが置かれていたと伝えられている。

旧記事でも私はここで悩んだ。

矢上氏がいたから矢上という地名になったのか。
それとも矢上という土地に住んだから矢上氏を名乗ったのか。

これは「長崎」という地名と長崎氏の関係とよく似ている。

日本の中世武士には、自分が支配する土地の名前を名字にする例が多い。

そのことを考えれば、

矢上という地名が先にあり、そこを支配した一族が矢上氏を名乗った

と考えるほうが自然かもしれない。

矢上氏の存在は、この地名が中世にはすでに定着していたことを示す材料にはなるが、地名の起源そのものを説明する決定打にはならない。

「矢」は本当に弓矢なのか

ここで視点を少し変えてみる必要がある。

私たちは「矢上」という漢字を見ると、つい弓矢の「矢」から考え始めてしまう。

だが、地名というものは漢字より古い場合がある。

先に「ヤガミ」という音が存在し、後から意味の合いそうな漢字を当てた可能性もある。

地名資料では、矢上について「入江の奥」といった地形に関係する解釈も示されている。

現在の東長崎を見ると、道路や住宅が広がり、昔の海岸線はほとんど分からない。

しかし、八郎川が橘湾へ流れ込むこの一帯は、もともと海や湿地、入江と深く関係した場所であった。

もし「ヤガミ」という音が地形を表す古い言葉だったとすれば、話は大きく変わってくる。

つまり、

最初に「ヤガミ」という地名があった。
後世になって「矢上」という漢字が当てられた。
そして、その「矢」という文字を説明するために、さまざまな伝説が生まれた。

という可能性である。

地名が先で、伝説が後だったのか

これは日本各地の地名でよく見られる現象である。

地名の本来の意味が分からなくなる。

すると後世の人々は、

「なぜこの土地はこんな名前なのだろう」

と考える。

そして、その漢字に合わせた伝説が生まれる。

矢上であれば「矢」である。

だから、

山神へ矢を捧げた。

軍神へ矢を捧げた。

鎮西八郎為朝が矢を放った。

宝剣を「箭の神」として祀った。

こうした物語が次々と生まれた可能性は十分にある。

そう考えると、複雑に見えた矢上の伝説がかなり整理できる。

それでも八郎川が気になる

しかし、ここまで整理しても、私はまだ一つ引っかかっている。

八郎川である。

地形説を採れば、話はすっきり終わる。

古い地形を表す「ヤガミ」という名前があり、後から「矢上」という漢字が当てられ、「矢」にまつわる伝説が作られた。

非常に合理的である。

だが、それでは八郎川という名前が少し余る。

もちろん、八郎川の「八郎」が鎮西八郎為朝とはまったく無関係という可能性は十分にある。

逆に、為朝伝説が広まった後で川や橋の名称と結び付けられた可能性もある。

しかし私は、ここを簡単に捨てる気にはなれない。

なぜこの地域に鎮西八郎為朝の伝説があり、しかも川まで「八郎川」と呼ばれているのか。

単なる偶然なのか。

それとも、私たちがまだ知らない古い伝承があったのか。

結論――「矢上」は本当に地形だけから生まれたのか

現在確認できる資料から考えれば、矢上という地名は地形に由来する古い名前だったという説には、かなりの説得力がある。

そして、その地名に「矢上」という漢字が当てられたことで、後世になって「矢」にまつわるさまざまな伝説が生まれた。

私は今のところ、この考え方が最も自然だと思っている。

だが、それですべて解決したとは思わない。

矢上神社には宝剣の伝説がある。

鎮西八郎為朝が矢を放ったという話がある。

中世には矢上氏がいた。

そして今も八郎川が流れている。

これを全部、

「後世に作られた伝説です」

の一言で片付けて、本当にいいのだろうか。

伝説は確かに史実ではない。

しかし、何もないところから突然生まれるものでもない。

もしかすると、この地域には現在では失われてしまった弓矢や武人、八幡信仰に関係する古い記憶があり、それが何百年もの間に形を変えながら残ったのかもしれない。

あるいは、もっと古い「ヤガミ」という地名の本当の意味が忘れられたために、後世の人々が「矢」という文字から物語を作っただけなのかもしれない。

どちらなのか。

まだ分からない。

歴史研究としては「証拠不十分」と書いて終わる話である。

しかし時間探偵としては、ここで捜査終了の判を押すには少し早い。

地形説だけなら話はきれいに終わる。
ところが八郎川が、どうにも余計なのである。

歴史の謎では、この「余計なもの」が案外重要だったりする。

矢上という地名が先だったのか。

為朝伝説が先だったのか。

八郎川という名前はどこから来たのか。

そして、なぜこの小さな地域にこれほど「矢」の物語が集まったのか。

今の私は、

「地形説が有力」

と鉛筆で書いておくことにする。

インクでは書かない。

八郎川が、まだ何かを隠しているような気がするからである。

矢上神社由緒

矢上神社由緒

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ムービーで矢上神社を撮影

EOSMOVIE 矢上神社

https://www.youtube.com/watch?v=Z7qwim_1VL0

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