縄文土器は「マルチメディア」

僕は料理が好きである。

好きだと言っても、もちろん達人ではない。

気まぐれで包丁を振るう程度のもので、味はあくまでも自分本位。

そんな僕だが、調味料はたくさん揃えている。

砂糖、塩、片栗粉、小麦粉など基本的なもの以外にも、実に多種多彩である。

調味料

調味料

実際料理するときには、砂糖の入った入れ物、塩の入った入れ物など、いちいち中身を確かめなくていいものにする必要がある。

入れ物に文字を書いてもいいのだが、一目見てわかるようにする方が利口だ。

 

砂糖は大きい器で色は黄色、塩は小さい器で色は白などと言った具合である。  

ふと思った。

大昔から、料理をする人たちは同じ事を考えていたはずだ。

今回の謎解きは、この入れ物である。

縄文時代とは縄文土器を使っていた時代という事になっている。

 

縄文土器

縄文土器-ウィキペディア

 

縄文土器は大森貝塚を発掘したモースによって見出され、英文報告書で cord marked pottery(索文土器)とされた。

しかし貝塚土器、あるいはアイヌ式土器など様々に呼ばれ、結局、縄目文様という発想から命名された「縄文式土器」の用語が定着した。

縄文(縄目文様)が施された縄文時代の土器」という意味(狭義の縄文土器)と「縄文時代の土器一般」(広義の縄文土器)という2つの意味で用いられる。

 

縄文土器の特徴-ウィキペディア いわゆる縄目文様は撚糸(よりいと)を土器表面に回転させてつけたもので、多様な模様が見られる。

しかし実際には縄文を使わない施文法(例えば貝殻条痕文)や装飾技法も多く、これは土器型式によって様々である。 縄文土器は表面を凹ませたり粘土を付加することが基本で彩色による文様は少ない。

しかし、文様が変化に富み多く用いられ、装飾は時には容器としての実用性からかけ離れるほどに発達した。

この特徴は、日本周辺の土器にはみられない。

縄文土器の形は深鉢が基本であり、量的にも多い。

特に前半の時期は深鉢以外の器形は希である。

しかし、中頃から淺鉢のような器形が現れ、続いて注口付き、香炉形、高杯、壺形、皿形など様々な形が現れた。

とくに東北地方晩期は器形の変化が多様であった。

縄文土器は土器として世界最古の部類」なことは間違いないらしい。

ちなみに長崎県の福井洞穴遺跡から出土したものが、鑑定の結果1万2700年前という事がわかった。

5000年前にエジプト第一王朝が成立している。

いかに古いかがよく分る。

 

土器の年代-ウィキペディア

縄文土器の出現はどうやら氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いもの。 各型式の土器は、固有の文様帯配置をもっている。

その文様帯は、型式ごとに継続されたり、分裂したり、融合したり、新しく生まれたり、消滅したりする。

文様の生命は非常に長く、土器の系統を知る上で役立つ視点である。

山梨県出土の縄文土器/深鉢

山梨県出土の縄文土器/深鉢

 

僕は、土器になぜ縄の文様を使ったのかという事に興味がいった。

生活用品なんだから、彩りを求める気持ちだけで土器に文様をつけるのは、人として理解できる。

岡田遺跡出土遺物(縄文土器)

岡田遺跡出土遺物(縄文土器)

しかし、ただの飾りだけではないのも、誰もが考える事だと思う。

マークであったり、何か意味があるものだという研究も行われている。

研究者に敬意を表して、知ったかぶりをする気は無い。

あくまでも素人の思いつきである。  

 

前に、倭人達は文字を持たないという文を書いた。

しかしその代わりに、木や縄を使う記録方法を編み出している。 これはインカ帝国も同じで、キープと呼ばれているものだ。

キープ  

キープ(インカ)    

 

単純に一本の縄に結び目をつけただけではなく、複数の縄を使い、太さ長さも意味があるという。

日本の沖縄でも使われており、藁算と呼ばれワラザン、バラサン、ワラザイなど多くの読み方がある。

日本列島では、沖縄や房総半島や北海道で昭和時代まで使われていた。

これらの記録方法は原始的だといわれている。文字を使う前の段階だという認識が一般的である。

ワラ算(日本)    

ワラ算(日本)     写真 縄文と古代文明を探求しよう!  

 

しかし、本当にそうだろうか。

現在世界の主流は英語である。

英語で使うアルファベットは26文字しかない。

 

数字は0から9までの10個である。

異常な単純さである。

もちろん、これだけではないが、文字の発明を文化の始まりというのは愚かしい。

文字だけで表現できるものは限られている。  

 

僕はカメラマンなので写真を撮る。

写真は文字で表現できないものを、伝える事が出来る。

 

「百聞は一見にしかず」のことわざ通りである。  

文字を拒否した文明は、文字を使った文明と違う方向性を持っているのは明白である。  

古代ギリシアの哲学者プラトンの主張はこうである。

「本来は心の中にしかないものを、さも外界に実在するかのように扱う文字は、非人間的である。また、文字は人の記憶力を衰えさせる。

文字という外部のリソースに依存するようになることで、本来持っている記憶力は着実に低下していくだろう。

それに加えて、文字は私たちの働きかけに対して応答できない。

書かれた文字に質問を投げかけても、文字はまるで脳なしのように、同じ返答を繰り返すだけである。」

プラトン

プラトン

 

かなり手厳しいが、「文字」が文明をになうという考え方を嫌っているのだ。

パソコンに対する批判のようにも聞こえる。

 

ワープロを便利だから使うのだけど、確かに記憶力は低下している。

耳の痛い忠告である。  

 

縄文時代の人々がそこまで考えていたとは思わないが、土器に縄の文様をつけていた理由を考えると、やはり意図的なものを感じる。

縄文土器

縄文土器

土器に縄の文様をつけたのは、単なるデザインだけではなく、言葉の代わりに縄の文字を使っていたからだ。

土器は縄の文様でなければ駄目だったのだ。

もちろん縄の文様だけでは、伝わらない事も多い。

だからこそ土器だけではなく、表現豊かな人方の土偶。

 

それ以外にも多くの表現方法があったと思う。

まさにマルチメディアである。

麻や藁をより合わせて縄を作る。細い縄は布を作り暮らしに役立てる。

結び目を作り、記録する道具にする。枝に結びつけて、弓を作る。

物をくくりつけて持ち歩く。  

 

縄は縄文人にとって、大切な道具だったに違いない。

だから、縄の文様をつけた土器を作った。

もしかすると、本のように物語を現わしたかも知れない。

 

いつか、縄文の心の記号を解ける人が現れるかも知れない。

文字は平面である。

縄の文字は立体だ。

縄文土器

縄文土器

いや、表現そのものが3Dである事に着目したい。

縄の結び目なら、目が見えなくても、目が悪くなってもわかる。

記録を触る事が出来るからだ。

学者達の努力に期待したい。

縄文土器は「マルチメディア」” に対して2件のコメントがあります。

  1. てるみ より:

    縄文土器は何か発信してる気がしていたので、メディアで3Dである見解に意味を感じました。ウェブは今日のメディアですが、未来に出土することはなさそうなので、私達が縄文に出会うようには未来の人達はこの時代には出会わないのかもしれませんね。
    ステキな論考ありがとうございました。

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。西洋型の文化文明とは明らかに違う日本の縄文時代。その魅力は計り知れません。縄文の末裔である私達こそ何かわかるかもしれないと手探りで探求したいと思っています。しかしただ感じれば良いのかなとも思ったりもしています。

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