鳥居は神を封じ込める結界
長崎市内 身代わり天神 撮影アートワークス
神社には鳥居がある。
大きい鳥居やお稲荷さんの赤い鳥居。
種類も多彩である。
この鳥居に関して、様々な解釈があり、「なるほど」と思うものも多い。
鳥居が門という認識は間違いないと思う。
つまり結界である。
この鳥居とセットになっているものが、注連縄である。
こちらも結界を示す。
その結界だが、僕は、鳥居の事を考える時、 あの童謡「とおりゃんせ」を思い浮かべてしまう。
僕のカメラマンとしてのイメージは、「とおりゃんせ」とは稲荷神社の真っ赤な鳥居のトンネルである。
まさに異次元のトンネルのようだ。
神々の世界に通じる細い道というより、何処に行くかわからない不思議な感覚を覚えてしまう。
大きい神社には階段が多い。
石段を登り、そのたびごとに鳥居をくぐる。
鳥居の向こうに、神殿がある。
見上げる行為と、門をくぐるという作業が、人の世から神の世へ行くというイメージを作り上げられていく。
神殿に着くと、厳粛な風情が大木によって演出されている。
祭られているというより、祭り上げられているといった、厳かな牢屋のようだ。
今回僕が考えた事は、カメラマンとして神社を撮ったときの直感から来ている。
『通りゃんせ』 作詞・不詳 本居長世 編・作曲
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ ちょっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに お札を納めに
まいります 行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
「天神さま」とはご存じ菅原道真をも祭った神社である。
この歌詞にある「行きはよいよい 帰りはこわい」に注目した。
歌詞の中には、鳥居という文字は出てこない。
天神さまの細道とだけしか歌っていない。
しかし、これが鳥居の本当の姿なんだと感じた。
鳥居は「結界」で「門」。
これで神と人とを分けている。
「行きはよいよい」というのは、人間側からは簡単には入れる。
「帰りはこわい」というのは人間が神社から帰ろうとすると、神様は追いかけてくる。
そして命からがら逃げ出す。
何故かわからないが、もしかすると神のすみかを見てしまったからかも知れない。
厳粛だが、まるで広い座敷牢のような、殺風景な神のすみか。
それを見られて、神は怒り見た者を追いかける。
人は、命からがら鳥居の外に出る。
しかし、神様は鳥居の外へは出れない。
不思議な内容だ。
しかし、この歌と同じような話しが、神話にも出てくる。
あの「黄泉の国」の話しである。
黄泉 - Wikipedia 太古の日本には黄泉路が存在し、黄泉比良坂で、葦原中国とつながっているとされる。
イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、根の堅州国に入ったという。
そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰る。
少し状況が違うが「行きはよいよい 帰りはこわい」だ。
『古事記』黄泉 - Wikipedia 黄泉とは単純に根の国の地名を指し、現在の島根県安来市を中心とした地域で、鳥取県米子市夜見町から黄泉比良坂(伊賦夜坂)のある島根県松江市東出雲町の間にあった土地と言う説が有力である。
この「黄泉の国」は、出雲にある。
出雲には、あの「出雲神社」が存在している。
出雲に関しては、多数の学者の方が調べているので、ネットで調べればすぐわかる。
この話から「出雲神社」は「黄泉の国」を支配していると考えても、突拍子のない話しではない。
語源 黄泉 - Wikipedia
黄泉とは、大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものである。
「ヨミ」は、もともと日本神話の「よみの国」があったところの地名夜見から考えると、もともと夢(ユメ)のことをさしていたとの説、四方(ヨモ)から単に生活圏外を表すとの説、闇(ヤミ)から黄泉が派生したとの説などがある。
また、元来月齢算出をあらわす月読(ツクヨミ)から派生した暦(こよみ:黄詠み)は、祖霊(おやがみ)が常世(黄泉)から歳神(としがみ)として還ってくる正月を算出するための日数演算法という説もある。
月読 - Wikipedia 『記紀』においては、伊弉諾尊(伊邪那伎命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。
月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある(後述)。
天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、素戔嗚尊(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる。
月読とは天照大神の弟で素戔嗚尊の兄である。
天照大神は日本の皇室の祖神となっている。
月読は天照の反対で夜を支配する。
僕の考えでは、出雲大社と大きく関わりがあるはずだ。
出雲大社で有名なのは、「神在月」だ。
神無月 - Wikipedia
「神無月」の語源に明確な語源があるわけではない。しかし、一番有力な説が神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」とする事である。
また、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなると言われるのは、後付けの中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた俗説とされる。
また留守神という性格を持つ神も存在し、すべての神が出雲に出向くわけではない[1]。
この「神在月」は俗説といわれているが諸説もある。
出雲に行くのは大国主神系の国津神だけであるという説や、天照大神を始めとする天津神も出雲に行くという説もあり、この考えと一致するような、「出雲に出向きはするが、対馬の天照神社の天照大神は、神無月に出雲に参集する諸神の最後に参上し、最初に退出する」と言う伝承もある。
出雲では、出雲大社ほかいくつかの神社で旧暦10月に「神在月」の神事が行われる。
神無月があるかどうかなどは、誰にもわかるはずがないが、出雲神社では行事を行っている。
それに対して、日本国民は誰も表だって文句をいう事もない。
神無月とはそもそも新嘗祭(にいなめさい)の準備をする月から神嘗月(かんなめづき)と言う語源から変遷した経緯があり、俗に語られている「神のいない月」が神無月の語源であるとする説もありますが、これは中世以降の、出雲大社の御師が全国的に広めた話(出雲での会合の話)であり、「神無」の宛字から生まれた付会(こじつけ)と言う話もあります。
しかし室町時代、藤原範兼の書いた歌学書「和歌童蒙抄」に、「出雲国には神有月と云うなり」とあり俗説として切り捨てるには無理がありそうだ。
月読は暦に関わっている。月読が八百万の神を集める時期を決めている。
そして年に1回、日本中の神様は「出雲大社」に集合する。
という事は、日本の神社にいる八百万の神は、出雲神社が支配しているという事だ。
何かの本で読んだ事がある。 出雲国と大和が戦をしたとき、大和はその和解案を出したという。
「人は大和が支配し、神は出雲が支配する」
出雲神社で特徴的なものは、あの逆方向の巨大な注連縄である。
なぜ逆方向かというと、祭られた神々を封じ込めるためである。
死者の「北枕」、枕元の屏風を上下逆さまにする、などもこの習慣にそったものである。
出雲神社の祭神は、大国主大神。大和に国を譲った神だ。
ただで譲ったのではない。
「人は大和が支配し、神は出雲が支配する」という約束が交換条件だった。
だから、「神在月」があるのだ。
という事は、日本の神社にいる八百万の神は大国主大神の配下という事になる。
配下とまでは行かなくても、同輩か協力者である。
同盟軍と言ってもいいだろう。
そして、神あり月が終わると、又神々は地方に帰って行くのだ。
単純に考えれば、出雲の同盟軍の神が、大和の地に居るのだ。
何らかの手を打つ必要がある。
出雲の神は、太いしめ縄で封印している。
各地の神々を封じるのは、鳥居である。
神と人とを別ける結界として、神社と鳥居がセットになったのだ。
もしかしたら狛犬も、神たちを人界に出さないための番犬かもしれない。
鳥居の構造だが、貫と呼ばれる横棒はかんぬきのようで、下界の人は通れるが天上の神々は通れない通行禁止の横棒に見える。
鳥居には鳥がとまる。どんな鳥かといえば、八咫烏である。
八咫烏は大和の霊鳥である。
これで、地上と空の守りは完璧だ。
そして、重要な事実がある。
天孫族を祀る伊勢神宮は注連縄がない。
これが、他の神社に鳥居がある理由である。
通る(とおる)ですよ?とうりゃんせ、って…
ご指摘ありがとうございました。書き直しました。今まで「とーりゃんせ」と口ずさんでいたんですね。試しに「とうりゃんせ」でぐぐってみると、同じ書き方をしているページが多くあり、思わずニヤリとしてしまいました。