一をなぜ"ひ"と言うのか
私が一番感心した、宮崎さんの発想がこれである。
日本の数字の語源は不明である。
いち、に、さん、し と現代では数える。
これは、漢語由来の読み方である。
もう一つある。
ひ、ふ、み、よ である。
これは和語系列である。
日本古来の数字といえば、この「ひ、ふ、み、よ」なのは間違いない。
それならば、その意味はなんだろうか。
祈祷文説
天照大神が岩戸に隠れた時に、それを呼び戻した祈祷文だったという説がある。
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけん
真偽はともかく、理解できない説である。
もっと、古代人の生活に根ざした意味があるのではないだろうか。
数の始めの「ひ」は、漢字に直すと、いろんな書き方がある。
日、火、妃、干、肥など書くことが出来る。
そして、古事記や日本書紀にはこの「ひ」が多用されている。
古事記の時代、漢字は音を当てはめる記号だった。
だから、「ひ」を表すにはどんな字を使ってもよかった。
しかし、ここで大切なのは、その「ひ」という音を表すときに規則性があったということだ。
上代特殊仮名遣い
上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。ウィキペディア
現在の日本には母音「あいうえお」は5個である。
しかし、古代の日本には8つの母音があったとされている。
この特殊な母音を持つ文字は、50音すべてではなく
「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ」の13個だけである。
現代の母音を使うものを甲類といい、それ以外を乙類という。
つまり、九州の「ひのくに」は「肥国」と書いてもいいし「火の国」でもいい。
「肥」も「火」も甲類の「ひ」を表す漢字だからである。
しかし、「日」という漢字は乙類の「ひ」を表すときに使う字なので
「火の国」は「日の国」になり得ないという事だ。
樋、干、乾 も甲類である。
日本古来の数字の「ひ、ふ、み、よ」の「ひ」がどちらなのかは、不明である。
しょうがないことだ。
この「日」という漢字について、少し話が飛ぶが「国生み」の話がある。
国生み
イザナギとイザナミが、日本(大八島)を構成する島を作る話である。
最初が淡路島、2番が四国、3番が隠岐島
そして4番目が筑紫島(つくしのしま)の九州である。
九州は胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
白日別(しらひわけ):筑紫国
豊日別(とよひわけ):豊国
建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくひねわけ):肥国
建日別(たけひわけ):熊曽国
前述したとおり、漢字は音だけを表すので、ひらがな表記だけにすると
しらひわけ
とよひわけ
たけひむかひとよくしひねわけ
たけひわけ
見てわかるとおり、肥国だけやたらと長い。
名前が長い事を普通に考えれば、複数の名前が入っているということだ。
たとえば三菱東京UFJ銀行は、かっての都市銀行計四行が合併したからである。
とすれば、規則性からいって
建日、向日、豊久士比(比は日と同じ)、そして泥別となるだろう。
建日は熊曽国として一つ独立して書いてあるが、同盟国だと考える。
豊久士比(日)も豊日別の文字が入っているので同じである。
そう考えれば建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくひねわけ)の肥国は
連合国ということになる。
さらに泥別(ねわけ)だが、「ね」に干潟の意味があると思われる。
なぜなら、有明海は干潟の海だからである。
宮崎康平氏は、「ね」を根の国と述べているが、尾根(おね)、峰(みね)の「ね」かも知れないとかかれている。
本来、有明海は速日別と呼ばれていた。
だから、そのまま書けばいいのに連合国の名を書いたのは、
肥国がとても重要な存在だったからである。
古代の連合国
九州が4つに分かれていて、その一つが連合国だということは、
あの「邪馬台国」がぴんとくる。
断定はしないが建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくひねわけ)の肥国は
限りなく黒に近い。
少し話を戻す。
「日」はお日様の「日」で、天照大御神の別名が大日女貴神(おおひるめのむちのかみ)。
神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)という。
まさしく太陽の神である。
宮崎康平氏説
この「日」の字が干潟の「干」であり、白日別、豊日別は白干別、豊干別と書かなければいけないのを、間違って「日」の字を使ったと述べている。
私は少し違う。
「日」と「肥、干」は乙類、甲類の違いにより、やはり別の言葉だったと思う。
しかし、根っこは同じ意味があったはずだ。
たとえば万能の神に近い存在や宇宙の根源などといった大きな意味の言葉が想像できる。
たとえば上(カミ)と神(カミ)は、甲乙の区別で違う言葉だったといわれている。
しかし、その根っこの語源は同じで、時代を経て甲乙の音韻が変化したといわれている。
だから「肥国」は「日国」と同じ根っこを持った言葉だったのだ。
ひふみよ
ここからは宮崎氏の説である。
数字の「ひふみよ」は干潟の国(肥国)で生まれたという。
ひる、ふゆ、みつ、よると言葉を置き換えればよくわかる。
一が日であり、干でもある。
干潟の満ち引きは、太陽(日)のせいと昔は考えたに違いない。
二(ふ)は「ふゆる」。潮が満ちてくる段階である。
三(み)は「満・みつる」
四(よ)は夜
一と四はひると夜の対比である。
潮の満ち引きは4段階のリズムを持って1つと考える。
そのリズムで大潮から小潮へ移っていく。
五(いつつ)は、itututuとよみ「移る」の語源かもしれない。
この1から4までは、潮の満ち引きのリズムである。
海の民は当然、日々の生活で身にしみているリズムだ。
そして潮の満ち引きは、太陽(と月)の運行によって、大潮、小潮と変化していく。
日本ではっきりしている季節、つまり四季も4つ
古代は、4進法からスタートしたのではないか。
当然、各地域で数字の数え方はあったと思われる。
山の民、川の民は独自の数字があったかもしれない。
しかし、連合国が強大になると、その言葉は統一されていったのだろう。
宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」は、そんな数の数え方にしても
生活に根ざした、素人の視点がある。
そして、その発想は理屈にかなっているのだ。
ミュージシャンは隠語を使う。CDEFG、シーディーイーエフゲー
これは数字である。楽譜はC調からスタートするのでこんな隠語が出来た。
「デー万ゲー千」といえば2万5千の事なのだ。
また、天照大御神の別名は「おおひるめ」という。
その意味は学会でも結論が出ていないが、宮崎康平氏によれば
大おお干ひる女め
つまり、干潟の女王という意味になるという。
また、邪馬台国の卑弥呼も「ひみ」と「ひる」は同じ意味を持つのではないかと述べている。
記紀の中では、姫や彦を比売(ひめ)、比古(ひこ)と甲類の文字を使う。
倭人伝の中でも、卑弥呼(ひみこ)、卑狗(ひこ)と甲類の「ひ」を使っている。
太陽信仰の「日」と同じ意味を持つと思われる甲類の「ひ」
古代史の謎を解く手がかりになるのかもしれない。
「まぼろしの邪馬台国」と共に歩む
ヒフミヨは十進法カタチにす (□〇△ 智情意地)
ヒフミヨはながしかくにて式にする (絵本「もろはのつるぎ」)
わのくにのひふみよこの星の言葉
≪…「ひ、ふ、み、よ」…≫を、「いろは詩」と「ひふみよ詩」の量化っての「桜舞乱心*いろは詩」で知る・・・
≪…ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけん…≫ を、
「ヒフミヨイの歌」の精神(魂)で読み解くと数の言葉ヒフミヨ(1234)は、平面(2次元)からの送りモノとしとして、『自然比矩形』(天岩戸)に潜んでいる・・・
数の言葉ヒフミヨ(1234)は、2冊の絵本で・・・
「すうがくでせかいをみるの」
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数学の演算符号(+ - × ÷ √ =) 十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号(e π) 無限(∞) [1] [0] 言葉の点線面 カタチ(〇 △ □ ながしかく 凧型四角) 直交座標 極座標 数式 方程式(2次方程式からの i ) などをウマクウマク纏め上げているのを、数学の基である自然数が大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】からの送りモノとして眺めると「数のヴィジョン」になるとか・・・
自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~