縄文の転生輪廻

ゾンビ映画はあまり好きではない。

最初は斬新な映画だと思って見ていたが、だんだんゾンビの在り方が変わってきて、二流三流映画で頻繁に登場するようになった。

設定がいい加減でもゾンビが登場すればそれで格好がついてしまう。

ゾンビ映画

しかし、ご都合主義の安価なゾンビ俳優が悪いわけではない。すべて映画を作る側がわるいのである。

さて日本にはゾンビがいない。ゾンビ映画はあるが設定は西洋のパクリである。なぜゾンビがいないかといえば、日本は火葬の国だからだ。死後は骨と灰になってしまう。だから出てくるのは幽霊である。

私達は火葬が当たり前だと思っていたが、世界から見ればかなり特殊なようだ。

なぜ日本は火葬の国になってしまったのか調べてみる。

日本の火葬

「700年(文武天皇4年)遺教を奉じて粟原に火葬す。天下の火葬これよりして始まる。」広辞苑(岩波書店)

これは奈良の元興寺の開祖、道昭が自らの意思で火葬を実践してみせたという事である。

そして天皇も火葬をしたという記録がある。

702年に死亡し殯(もがり)の儀礼の後、703年に火葬された持統天皇である。その後8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まったらしい。

火葬

 

縄文時代の火葬

しかし調べてみるとかなり古代から火葬があったと載っている。

火葬が日本で始まった時期ははっきりしないが、日本国内各地の縄文時代の遺跡からも火葬骨が出土している。

弥生時代以降の古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。(中略)最古のものは九州で590年±75年の火葬が確認されている。

火葬が行なわれた痕跡だけなので、実際に火葬が行われたどうかは未調査だ。しかし新発見がある。

平成26年(2014年)2月、長崎県大村市の弥生時代後期(2世紀ごろ)の竹松遺跡において、長崎県教育委員会の発掘調査により火葬による埋葬と見られる人骨が発見されている。

火葬後に砕いて、まかれた人骨の破片=長崎県大村市の竹松遺跡

なんと2世紀ごろに日本で火葬が行われていた事実があるのだ。

そしてもっと前の縄文時代にも火葬骨が発見されている。

この事はとても大きな意味があるはずである。

火葬する理由

釈迦が火葬されたことに因むらしいという説が一般的なのだが、弥生時代から火葬があったとすれば宗教的な理由だろう。

仏教が正式に日本に伝わったのが6世紀半ばという説が一般的であるが、当然それ以前にも仏教的思想は日本に伝わっていたことは容易に想像できる。

確かにお釈迦様は火葬され、その骨と灰は仏舎利塔に納骨された経緯がある。しかしその当時のインドの習慣に沿っただけだったとも言われている。

どうも火葬は仏教以前の宗教にリンクしているような気がする。

転生輪廻

古代インドでは、魂は転生するもので、死後は天の神々の世界に生まれ変わりたいと願い、お墓は転生を妨げるものとして建てませんでした。

その頃のインドには仏教以外にもさまざまな宗教がありましたが、基本的にはお墓は作らずに、人が亡くなると遺体を火葬して、灰をガンジス川などに流しました。

お葬式と火葬の始まり:釈迦のお葬式から始まった仏式のお葬式の歴史
https://www.xn--u8jud8mhb.com/entry/beginning-of-the-funeral#i-5

なるほど。

死んだ後の肉体は転生のじゃまになるので火葬にしたという事である。

インドでは様々な宗教が誕生している。

紀元前13世紀頃バラモン教が形作られ、その後ヒンドゥー教へ発展しバラモン教は消滅する。

紀元前5世紀頃にバラモン教に反発し仏教が誕生している。そして紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わっている。

バラモン教

紀元前に仏教が伝わっているということは、それ以前のバラモン教や発展形のヒンドゥー教も伝わってきたと考えたい。

なぜなら、これらの宗教は転生輪廻という思想があり、葬式は火葬だからである。

なので火葬があったという事は、インドの宗教が日本に伝わっていたということなのだ。

もしかすると、縄文時代に日本独自の仏教のような原始宗教が誕生していたのかもしれない。

やはり多神教の特徴である土着の神々の存在が、転生輪廻という考え方を自然発生的に生み出したのかもしれないのだ。

輪廻は自然に誕生する考え方

輪廻の考えは自然の中にある動物の植物連鎖や自然界のサイクルの仕組みを観察して出てきたものだと推測される。

また自然界にある因果、原因と結果の法則を拡大解釈して、人間にもたらされる人生は、前世の行為にあり、行為(カルマ)は輪廻の原因とされる。

自然と濃密に接して暮らしていた縄文人にすれば、誕生や死の意味を自然の仕組みに求めたとしても不思議ではない。

しかし少し疑問もある。

輪廻を繰り返す生き方はインドの思想では苦なのである。だからこそ輪廻から解脱することを最高と考えている。

日本の火葬も苦しみからの開放かというと、そうでないような気がする。

大陸から伝わってきたいろんなモノは、いつもの事だがアレンジして日本なりに変性させていく。

日本は豊かな国だった。日本で作られている土器や土偶を見ればその芸術的な感性は眼を見張るほどである。

そんな文化の熟成は生活が安定しているからこそ出来るのである。

インドや中国は他国から攻められたりして、そこに住む人々はいろんな苦しみを数多く味わっている。

だからこそ宗教というものが早く制度化されているのだ。

日本のように外敵もいなく食料も豊富な人々の中に、生の苦しみからの脱出のための輪廻転生という考えが根付くとは思えない。

もっと日本人らしい転生輪廻の思想があったはずである。

その結果があの素晴らしい土偶や土器だと感じられるのだ。

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少し話がずれるが、古代インドの思想が古代日本に影響を与えていることは間違いないと思われる。

それは日本の万世一系という天皇家の思想にそれが現れていると思う。

バラモン教には二道説というのがあり、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)をも説いている。

面白いことに女性はどのヴァルナ(身分)であっても、輪廻転生するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく一度生まれるだけのエーカジャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視されている。(マヌ法典)

つまり、男性は再生族、女性は一生族としていて男性が尊いとされている。

この影響だと思うが、仏教では女性は悟ることが出来ない存在とされているのだ。

日本の天皇が男系を頑なに守ってきたかという一つの答えに男性が転生輪廻を繰り返す尊い再生族であり、女性が一度生まれるだけの一生族という考え方も影響があったのかもしれないと思う。

また日本の古事記ではイザナミは

火の神 迦具土神(カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるとある。

古事記はこれを,「火の神を生みしによりて,遂に神避(かむさ)りましき」と叙述している。

原文 故、伊邪那美神、因生火神、遂神避坐也。

拡大解釈をすれば、イザナミは火葬されたと考えてもいいのではないか。

まあ神様なので火葬されても死なないのだが、火によってこの世を去るというのは火葬のそのものだと思う。

それ以外にもヒンドゥー教では水葬が行われるのだが、遺棄される遺体のほとんどが、未婚女性や妊婦、子ども、ヒンドゥー教の苦行者「サドゥー」や事故死を遂げた信徒らだという。

これは、神産みの際最初にできな子供がヒルコ(不具者)だったので海に流したという話は、ヒンドゥー教の影響を受けたとも言える。

しかし、縄文人のほとんどが土葬であり、土坑墓(どこうぼ)という場所に穴をほって埋めただけや、甕棺や石棺もあり殆どが土葬だったということも事実である。

そんな中で「火葬」を行っているという事に注目すべきである

いろんな書物を読めば、火葬は意外と大変で、遺体を燃やし尽くすにはかなりの焚き木がいるとの事である。

そんな努力をして火葬を行うのは一部の人達だったと思われる。

縄文時代の宗教

縄文時代に祭祀を行っていたのは間違いないとされている。抽象的な土偶や土器は宗教目的だと言われている。

それならどんな宗教だったかという点が気になる。

土器や土偶をよく見れば螺旋の模様が多く使われていることに気づく。

山梨県花鳥山遺跡出土の深鉢

縄文初期は直線の組み合わせがおおく見られる。

ところが中期には渦巻きが多く登場するのだ。

縄文人は霊力のあるヴオルテックス(渦巻き)を神聖視していた◆縄文の聖痕
https://ameblo.jp/tarooza/entry-12390968226.html

[文様の歴史]縄文土器に見る日本の文様の原点
https://irohacross.net/2016/02/jyoumon_design.html

このように多くの人がその螺旋に意味を感じていたのだ。

螺旋とは渦巻きであり、繰り返される力でもある。

この螺旋こそが転生輪廻の考え方ではないかと思えるのだ。

縄文中期以降に渦巻きが多く登場したとすれば、この時期に「火葬と輪廻」が日本に伝わったのではないか。

螺旋は奇しくも、あの遺伝子の構造でもある。


DNAの二重らせん構造

人間が遺伝子を受け継いでいくという考え方は現代のものだが、古代縄文人を含むアジアの人達は、直感で螺旋の中に命の息吹を感じたのではないかとさえ思えるのだ。

現在は火葬の跡の発掘数が少ないので詳しいことはわかっていない。

こんご発掘が進み火葬の事実が多くあれば、縄文の宗教の輪郭がわかるはずである。

縄文の宗教の片鱗が見えてくれば、日本人独特の宗教観がわかるかもしれない。

楽しみである。

縄文の転生輪廻” に対して2件のコメントがあります。

  1. 映画好き名無しさん より:

    ゾンビ映画の悪い所はサメ映画にも当て嵌まる
    日本にサメ映画が無いのは古来から神聖視されていたからなのかも

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。そうですね。西洋とは全く違う感性がアジアには存在します。なぜでしょうか。不思議だと思います。出雲弁ではサメのことをワニと言うそうです。これもまた何か意味があるのだと思います。ちなみに僕はガメラが好きであのくるくる回って空を飛ぶ姿は愛おしいくらいです。ガメラやゴジラは古代から日本人の味方だったような気がしてなりません。

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