かぐや姫 天照大御神と月読尊の物語

かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。

『竹取物語』は平安時代初期に成立した日本の物語で、成立年、作者ともに未詳である。そして、9世紀後半から10世紀前半頃に成立した日本最古の物語といわれる。

子供時代に親しんだ話ではあるが、この話が桃太郎などと違うのは、完全な小説だからである。

誰が書いたかは不明だが、当時の竹取説話群を元に、上流階級の知識人が創作したものと考えられている。

話の内容は皆さんご存知のとおりだが、かぐや姫に求婚した5人の公達の求婚失敗話や、帝からの求婚さえもかなわず、月の都へ帰っていくという話だ。

貴族や帝を袖に振るという内容は、やはり反体制的な思いが強かったのだろう。

その事を念頭に調べていきたい。

羽衣伝説とかぐや姫

羽衣伝説

竹取物語で比較されるのが天女伝説のモチーフである。

天女伝説は羽衣伝説とも呼ばれ、世界中にある話だ。

日本の伝説は、水源地(海岸・湖水)に白鳥が降りて水浴びし、人間の女性の姿を現す。天女が水浴びをしている間に、天女の美しさに心を奪われたその様子を覗き見るが、天女を天に帰すまいとして、その衣服(羽衣)を隠してしまう。衣類を失った1人の天女は天に帰れなくなる。

ここまでは日本各地に残っている話でほとんど同じなのだが、その後天に帰れなくなった天女は男と結婚し子供を残すパターンと、羽衣を見つけて天に戻るというパターンが有る。

天上に戻るというのは悲劇で、結婚して地上に残るというのはハッピーエンドだ。これはどれが正しいかという問題ではなく、各地の伝承なので地域性が影響しているのだろう。

一般的な羽衣伝説とかぐや姫の話の共通点は、天上から美女がやってくる(かぐや姫は竹の中)事と、地上で男に求婚される、そして天上に戻る、という事である。

ここで重要なのはこのストーリーと似た話が記紀にない事だ。つまり記紀以外の民族伝承だということなのだ。

次に人物設定はどうだろうか。

天上の世界(高天原)に女性がいる話はある。

まずは天照大御神だ。そしてスサノウが天上で暴れて犠牲になった機織りの女性たちがいる。

とすれば羽衣伝説の天女は高天原の女性たちだという事になる。

だが民間伝承の浦島太郎の乙姫様は竜宮のお姫様で、一般的に語られている竹取物語では月の都の姫となっている。

民間伝承では高天原以外の異郷の姫たちがいるのである。

古代記紀の中にある神話は天孫族の物語である。しかし民間にはそれ以外の姫たちを語り続けている。

つまり、大和朝廷以外の国々が存在していた証なのだ。

神話の中の月

月読命(ツクヨミノミコト)

記紀の中で月の神といえば、三貴神の一柱のツクヨミである。

古事記は月読命、日本書紀は月読尊と表記する。一般的にツクヨミと言われるが、伊勢神宮・月読神社ではツキヨミと表記される。

上巻では、月讀命は伊邪那伎命の右目を洗った際に生み成され、天照大御神や須佐之男命とともに「三柱の貴き子」と呼ばれる。

月讀命は、伊耶那伎命から「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降の活躍は一切ない。

月読尊が読んで字のごとく、月の神様であり、月を読むとは暦のことだとされている。

そこから言えば、時間を支配する神様だとも言える。

月の満ち欠けは、海水の満ち引きを引き起こし、女性の生理現象に大きな影響を与えている。

さらに満月の夜には出生率が上がる。干潮の時、人が死ぬともいう。

人間の体は殆ど水分で作られているので、月の引力で、人間の行動にも影響を与えているというデータは、現在の化学の知識からいえば十分理解できるものである。

また、夜には星が出る。古代の空に広がる満天の星は、人間に様々な知恵と思いを巡らせてきた。夜の航海は、星の導きなしではできないことも事実である。

これほど重要な月という天体に擬人化された月の神、月読命の出番が、記紀の中で極端に少ないというのも不思議な話である。

この理由を想像すれば、昼を天照大御神、夜を月読命という昼と夜の対比は、生と死の象徴につながると考えていたと推測される。

神道は死の穢れを嫌う信仰なので、死を暗示させる夜の世界を描かなかったかもしれない。

月読命

月読命の話で示唆的な部分がある。

月読が食物神の保食神を訪ねた時、保食神はご馳走の材料を体内から出すのを見て怒って殺してしまったとある。

その事で天照大神は怒り、もう月読命とは会いたくないと言ったとあり、それが昼と夜が別れた理由だとも書かれている。

この話も色々奥が深いが、天照大神と月読命の関係が敵対関係とまでは言わないが、不仲であるという事実がわかる。

まあ、古代電気のない世界では夜は闇であり、人間が闇を怖がるという本能が存在する。

だが現実の世界では、夜活動する動物が多く、「現代の哺乳類の大半は夜行性で、暗闇の環境で生き延びるための適応性を持っている」と米科学誌ネイチャーにも論文が掲載されている。

つまり人間は昼行性で、天照大御神の世界の生き物だが、それ以外の夜の月読尊の世界の住人も多く存在するという事である。

かぐや姫と月読尊の相似性

竹取物語の作者は、かぐや姫と月読尊をつなげていたのではないだろうか。

月読尊は男性神とされているので、かぐや姫は月読尊の子孫ということにした。

竹取物語は、かぐや姫に求婚した、5人の公家と帝を袖に振ったという筋である。

公家と帝は現政権の象徴である。特に帝は天照大御神の子孫だ。

その一族と交わらないかぐや姫の存在がある。

つまり天照大御神と月読命の対立を描いているとも言える。

多利思比孤(たりしひこ)

補足だが、月と夜の関係を述べている歴史的事実がある。

多利思比孤は『隋書』で記述される倭国王である。

しかし、この時期に多利思比孤という男性の大王は「日本書紀」、「古事記」には登場しない。

記録では開皇20年(600年)と大業3年(607年)に隋に使者(遣隋使)を送ったという。

そして高祖に告げた文言が「天を兄とし、日を弟とした。天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ弟にゆだねた」と書かれている。

記紀を知る人達にしてみれば、この文章の意味がわからない。

天を兄とし、日を弟としたなど、大和の神話にないからである。

超訳すれば、多利思比孤の姓は阿毎(アマ)である。なので多利思比孤は天であり、世界の夜を統治し、昼間には弟に政治を任せると行った内容だろうか。

大和の神話に無理やり合わせると、夜の世界を統治するのが月読命なので、多利思比孤は月読命、太陽は天照大御神なので、月読命の弟となる。

性別もポジションもまるで大和と逆の世界となる。

隋書倭国伝(冒頭)

しかし隋書には記録されているのだ。

解釈は2つある。多利思比孤の王国は大和と違うとするか、隋書の記録が間違っているかである。

多利思比孤は聖徳太子と言われ、607年に有名な「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」を書いたとされているのが、日本の歴史である。

もう一つ考えられるのが、600年と607年の遣隋使は送った国が違うということもありうる。

この議論は果てしないので、ここでやめるが、夜の世界と昼の世界が古代にあったということだけをピックアップしたい。

竹取物語の背景

竹取物語の底辺には、古事記の天照大御神と月読命の話を帝とかぐや姫に投影して書いた。

さらに、古代には昼と夜の世界の支配者は逆転していた可能性もあり、大和朝廷が出来上がる以前の世界を示唆しているとも言える。

そして大和以前には、月読命が象徴する、夜が象徴する神秘の世界、鬼道の卑弥呼の存在を暗示したのかもしれない。

こう推理すれば、かぐや姫、天女、乙姫様など異世界の女性たちの存在は、邪馬台国のような女性首長の古代国家の記録の残滓だとも思える。

うーん。あり得る。

更に思うことは、この壮大なSFストーリーは、私が尊敬する小松左京氏のような平安の作家が書いたのに違いないと確信する。

記紀の神話からこぼれ落ちた話は、民間で昔話として生き続けている。

日本国が自由な国の証でもある。

 

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