神社は『砦』だった
2020年6月、私はプロペラ機で対馬へ渡った。
「対馬こそが日本神道の根源である」という説を、一度この目で確かめたかったからだ。
レンタカーを借り、島の北端から南端まで走り抜けて感じたのは、そこが驚くほど「山ばかりの島」だということである。
現在は道路が整備されているが、古代においてはこの峻険な山々を越えるより、船で港を回りながら移動するのが主流だったはずだ。
そんな不便な土地柄でありながら、対馬には約210社もの神社が存在している。
神社庁に登録されているものだけで130社。境内にある小さな「境内社」や、地域で守られている祠などを合わせるとその数は210社にのぼる。
面積あたりの神社の密度は、日本でも有数の多さだ。
なぜ、これほどまでに神社が多いのか。その答えは、ここが「国防の最前線」だったからに他ならない。
白村江の戦い
かつて朝鮮半島南部には倭人の勢力圏があった。
その証拠として、現地には日本固有の形式である「前方後円墳」が存在している。
しかし、663年の「白村江の戦い」で倭国は大敗を喫した。これを境に、半島との距離感は一変する。
直後から新羅による海賊行為や侵攻が激化した。
記録に残っているだけでも、811年には新羅船3隻が対馬で戦闘を行い、813年には5隻が小呂島などを襲撃して島民を連行した。
これに対し、対馬の准士官らが新羅人を捕らえた記録が『日本後紀』に記されている。
日本の公式記録は9世紀からだが、実際には白村江の戦い直後から、緊張感は極限に達していたと推測できる。
神社=砦という仮説
対馬の神社が整理され、記録に残るようになったのは7世紀~8世紀頃だ。
金田城(かなたのき)などの要塞が築かれた時期と重なる。
通説では「防衛の成功を祈願するために神々が祀られた」とされる。
だが、実際に現地を回ってみると、祈りだけにしては「数が多すぎる」し、有名な神社の作りが「あまりに堅牢すぎる」のだ。
戦時は人や金が極端に不足する。
そんな中で、これほど立派な石垣を組み、広い境内を持つ建物を「祈りのためだけ」に作ったというのは、どうにも納得がいかない。
その佇まいは、まさに「砦」そのものだ。
神社の配置
グーグルマップに神社を表示させてみる。
細長い対馬の朝鮮半島側にまんべんなく配置されている事に気づく。
もし神社が純粋に「砦」として機能していたとすれば、納得がいく配置である
そこには国防の砦としての神社がある。
ここで、神社の本質が見えてくる。
神様がいたから神社が建ったのではない。
「地政学的に重要な場所があったから、そこに砦を築き、神様を呼び込んだ(勧請した)」のではないか。
これを防衛拠点として捉えると、すべてのパズルが繋がる。
西海岸(朝鮮半島側): 敵の襲来をいち早く察知する「監視塔」。
中央(浅茅湾周辺): 水軍が集結し、作戦を練る「前線司令部」。
東海岸(倭国側): 本土との連携と補給を司る「後方基地」。
マップには数が多すぎですべては表示できなかったが、内陸と思えるある神社の傍には川が流れている。
交通の便が不便な先端地域にも大きい神社が建てられている。
これこそが、古代対馬の「防衛ネットワーク」の実態だったのではないか。
二つで一つの「わたつみ」
対馬を代表する二つの「わたつみ」神社も、役割が明確に異なる。
西海岸の「海神神社(木坂)」は、広大な敷地と能舞台のような堅牢な本殿を持ち、まさに最前線の軍事基地の風格を漂わせている。
一方、内海の浅茅湾にある「和多都美神社(仁位)」は、有名な海中鳥居を持つ。
ここは各拠点の船が集合する連絡港だったのだろう。
海中鳥居は、各地の砦(神社)から集まる「神の船」を迎えるための目印だったと考えれば、その特殊な構造も腑に落ちる。
同じ読みで漢字表記が違う神社の存在を、不思議だと感じていたが、「わたつみ」とは、おそらく海の神の力を表した言葉だったのだろう。
「海神神社(木坂)」と「和多都美神社(仁位)」は、おなじ国防という最重要な役割を背負った神社名で、二つで一つの神社だったのではないかと考えた。
漢字表記を見れば、「海神」は、海の神の力であり、「和多都美」の字は、和が多い美しい都で、倭国そのものを意味している。
「わたつみ」神社は、倭国の国防そのものの名前だった。ただ、役割が違うので漢字表記を変えたのではないだろうか。
神社の場所と神様は関係ない
この配置は日本列島でもいえる。
戦いの神とされる宇佐神宮(八幡神)、宗像神社(三女神は島に祀られ、監視塔の役目)、出雲大社(スサノウが祭神)も朝鮮半島側にあり、日本海側には、伊勢神宮があり、茨城県の鹿島神宮がある。
これまた、神社の持つ意味合いは察しが出来る。
ここまで来ると、神道とは何かという事を考える。
私は神様が最初にいて、その場所に神社が建ったと思い込んでいた。
しかし、本当は逆だったのでないだろうか。
敵と戦う為の重要拠点に、砦の役目として神社を作り、そこに神様を呼び込んだのではないだろうか。
日本には約8万社の神社があり、コンビニよりも多い。
それなのに多くの日本人が「無神論者」を自称するのは、神社が「個人的な信仰」ではなく「土地を守るためのインフラ」として溶け込んでいるからだ。
日本人にとって神社は、コミュニティの象徴であり、神社の祭りは、共同体を確認するためのイベントである。
普段、神仏に興味のない人でも、地域の祭りは必ず参加する人が多い。
日本人にとって神は信仰の対象ではなく、地域の象徴で、神社は多目的な公民館でもある。
神社は避難所であり、防風林であり、コミュニティの公民館でもあった。
合理的なシステム
日本の神様には「勧請(かんじょう)」という、ロウソクの火を移すように神霊を分けるシステムがある。
戦乱期には「八幡様」を、商業が盛んになれば「お稲荷様」を。
津波の多い地域には、避難場所としての神社を建てる。
その時代、その場所に、必要な「機能」を持つ神様をインストールする。
なんとも合理的で、都合の良い、それでいて素晴らしいシステムではないか。
神社を知れば、その土地がかつて何を恐れ、何を守ろうとしたのかが見えてくる。
神社と神様に霊的な結びつきがなくてもいいのだ。
八百万の神がいる。
適材適所といえば罰が当たりそうだが、必ず応援してくれる神様を探し出す事が出来る。
そして、そこに鎮座していただければ、精神的に強力な応援になる。
やはり日本は、神々の国なのである。









