まぼろしの速日別命
長崎県島原市には雲仙という山があり、山頂付近では温泉が湧き、温泉(うんぜん)神社という神社がある。
創建は大宝元年(701年)と古く、縁起書も残っている。
上古は「温泉神」と称し、中古には「四面宮(しめんぐう)」と称された。明治2年の神社改正を以って「筑紫国魂神社」と称し、大正4年の県社昇格の際、社号を「温泉神社」へと復旧した。
祭神:五柱
白日別命、豊日別命、速日別命、豊久士比泥別命、建日別命
確かに『古事記』上巻には以下のような記述がある。
「次に筑紫島を生みたまふ。此の島は身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故に筑紫国を白日別と謂ひ、豊国を豊日別と謂ひ、肥国を建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曾国を建日別と謂ふ。」
ウィキペディア等の一般的な記述では以下のようになっている。
筑紫島(九州):胴体が1つで、顔が4つある。
白日別(しらひわけ) ― 筑紫国
豊日別(とよひわけ) ― 豊国
建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ) ― 肥国
建日別(たけひわけ) ― 熊曾国
どこが違うかといえば、ウィキペディア(一般的な記紀の記述)には「速日別命」がいない。
つまり、記紀の正文には「速日別命」は存在しないのである。
四面宮の謎
雲仙神社は「四面宮」とも呼ばれる。
『古事記』の国生みにおいて、九州(筑紫島)を擬人化し「身一つにして面四つ有り」と書かれた四柱の神(白日別、豊日別、建日向日豊久士比泥別、建日別)を祀っているからこそ、その名の通り「四面宮」なのだ。
しかし、そうなると五柱のうちの一柱である「速日別命」が浮いてしまう。
「速日別命」とは、一体どんな神様なのだろうか。
以前、AI(ジェミニ)に尋ねた際には、神社庁の資料等で五柱とされる場合は「天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」が加わるとの回答があった。だが、公式・四面宮会のホームページには、以下のように記されている。
『古事記』上巻に「……豊国を豊日別と謂ひ、火の回(ひのまわり)を速日別と謂ひ、日向国を豊久士比泥別と謂ふ」
しかし、実際の『古事記』に「火の回を速日別と謂ひ」という文章は存在しない。
これは一体どういうことだろうか。
同ホームページには、戦乱により古文書が消失しているが、『三代実録』『肥前風土記』『倭漢三才図会』『古史正文』『扶桑略記』『大宰府管内志』などに当山の記述が散見されるとある。
出典は明記されていないが、これら諸本のどこかに「速日別」という記述があったのかもしれない。
またAIの回答では、祭神を大己貴命(大国主命)としたり、速日別命を伊予国(愛媛県)の神だとしたり、問い詰めると「書き間違い」だと言い出したりと、かなり混迷していた。
天之忍穂耳命や大己貴命のような大物が四面宮の祭神の一人というのは考えにくい。
饒速日尊(ニギハヤヒ)
ここからは私の憶測だ。
「速日別(ハヤヒワケ)」という音に最も近いのは「饒速日尊(ニギハヤヒ)」である。
「ハヤヒ」の音が共通している。漢字も「速日」と同じ。
饒速日尊は、瓊瓊杵尊(ニニギ)より先に天孫降臨したとされる超大物の神だ。
北九州や福岡県には物部氏の祖神としての饒速日尊伝説が多く残っている。
その理由は、饒速日尊は物部氏の祖先神となっている。
そして「物部氏はもともと北九州(遠賀川流域)に勢力があり、そこから大和へ進出した」と歴史学や考古学の先生たちは思っている。
まあ、正当な天孫降臨の瓊瓊杵尊も九州の高千穂だとされている。
同じ天孫として、九州に下地がある事は不思議ではない。
さらに、雲仙には独自の天孫降臨伝説がある。
「温泉山縁起」によれば、瓊瓊杵尊は島原半島で誕生し、加無之呂(神代)から日向へ向かったと記されているという。
そんな馬鹿なと思うが、長崎市内の金毘羅神社にも天孫降臨伝説があるのだ。
記紀は大和政権を正当化した「言ったもん勝ち」の神話であるとするならば、雲仙神社の縁起にある「速日別」が、もう一人の天孫・饒速日尊を指していたとしても面白い。
長崎・島原は、宮崎康平氏が「まぼろしの邪馬台国」で比定した場所でもある。
邪馬台国の男王が饒速日尊だったのではないか……そう考えるとゾクゾクしてくる。





