金田一京助氏の功罪 日高見国(4)
東北や北海道の話になると、アイヌ民族の話題が付きまとう。
その中で「日本中にアイヌ語系の地名が分布していた」という話も多い。
この説の源流にあるのは、明治から昭和にかけて行われた「地名研究(アイヌ語地名説)」であり、金田一京助や地名学者の菅田正昭、またイギリス人宣教師のジョン・バチェラーらがこれを推進した。
アイヌ語系の地名は確かに存在し、北海道に「~ベツ(別)」「~ナイ(内)」という地名(いずれもアイヌ語で「川」を意味する)が多いのは有名だが、これは東北地方(特に青森・岩手・秋田)にも大量に存在する。そのため、「少なくとも過去の一時期、東北地方北部まではアイヌ語(またはその祖先)を話す人々が定住していた」ことは確実視されている。
しかし、本州中部や西日本への拡大解釈問題は、この地名比較を関東や関西、九州にまで広げてしまったことにある。
例えば、「富士山(フジ)」はアイヌ語のフチ(火の神)であるとか、「能登(ノト)」はノッ(岬)である、「伊勢(イセ)」はイソ(磯)である、といった説が次々と唱えられた。
一見それらしく聞こえるのだが、これらは現代の言語学では「偶然の類似(音のこじつけ)」として否定されている。
エミシとアイヌ
エミシ=アイヌ説もよく聞く。
これにもいろいろな説があるようなので、ここでは学術的、客観的な総括のみを書く。
「日本列島北部の在来縄文系集団(擦文人)と、アムール川流域を起源とする北方系集団(オホーツク人)は、数世紀にわたる地理的近接を経て、10~11世紀頃に遺物および遺伝子レベルでの混合(トビニタイ文化)を起こした。
この混合集団が、のちに本州(和人)および大陸との物資交換(交易)に特化した生活様式へと社会構造を転換させた結果、13世紀以降に考古学的に定義される『アイヌ文化』が形成された。」
以上だ。
簡単に言えば、アイヌは鎌倉時代以降の話である。
それまでの東北の住民はエミシであり、続縄文人だ。
西日本では水田稲作が根付き、弥生時代と呼ばれたが、東北以北は稲作文化にはならず続縄文時代と呼ばれている。
そして東北で独自の発展をし始め、その地域をヤマトは「日高見国」と呼び、理想郷だと憧れていた。
「古代の和人政権(大和朝廷)の認識においては、日高見国の住人は明確に『エミシ(蝦夷)』とみなされていた」というのが、文献史学上の確実な事実である。
そして、大和対エミシの争いが起こり、ヤマトが勝った。
13世紀以降が「アイヌ登場」なので、混同することもないはずなのに、いまだにエミシ=アイヌ説が湧いてくる。その理由を考えてみた。
先住民
それはまず、2019年のアイヌ施策推進法における「先住民」という言葉が勘違いされているためだ。
日本政府(閣議決定および関係閣僚会議)が定義、あるいは公式に認めている「先住民としてのアイヌ」の内容は、国際法(国連の先住民族権利宣言など)の枠組みをベースにしつつも、歴史的な経緯と文化の多様性保護に主眼を置いたものとなっている。
学術的な「太古からの連続性」という議論とは切り離され、主に近代以降の歴史的・法的な事実に基づいて定義されているのだ。
つまり、先住民という言葉には、学術的な「太古からの連続性」は無いのである。
日本列島には縄文人が1万年以上前から存在していた。
雑多な民族が交じり合い、縄文人というくくりが出来上がったため、日本の先住民族は縄文人である。
しかし、日本政府のアイヌ施策推進法の「先住民」という文言を見て、あたかも古代からアイヌ人が東北や北海道にいたと解釈する人が出てきてしまった。
政府の公式見解ではアイヌを「最初の住人」とは認めていない。
日本政府(内閣)は、アイヌの人々を「先住民族」と認める際、「彼らが北海道の最初の住人であるか、和人より前に住んでいたか」という考古学的・生物学的な先後関係については、あえて言及を避ける(定義に含めない)という立場を一貫してとっている。
さらに「明治政府が『北海道』と名付けて日本の領土(国境)に正式に組み込む(1869年)直前の時点で、和人(大和民族)の社会とは明確に異なる独自の言語や文化を持って、その土地に定住していた人々」とした。
つまり、明治時代より以前に和人と違う文化や言葉を持っていた人々を先住民と定義しているのだ。
2019年のアイヌ施策推進法の以前の法律は「北海道旧土人保護法」(1899年~1997年)だった。
この「土人」という意味は、文字通り「その土地(土着)の人」という意味の普通名詞なのだが、近年では未開人という意味合いが強いとして、現在の法律ではアイヌという固有名詞が使われるようになった。
アイヌ施策推進法が突然現れて国内で話題になった時期があった。
この問題は国連の人権委員会(CERDなど)が大きく絡んでいる。
そして日本のNGO・市民団体の「日本がいかに深刻な差別社会であるか」を国際社会を舞台に大きく活動している。
それに対応したのが2019年のアイヌ施策推進法なのである。
今回はこのくらいでアイヌの話はやめておく。
なぜなら、アイヌという言葉を聞くと、条件反射的に「差別だー!」と騒ぐ人々がいるからである。
AIにいろいろ聞いても、リベラルすぎる答えや、「過激な人権派」と話しているような答えしか出てこないのだ。
金田一京助氏
地名のアイヌ語については、それを研究した方々の功績は素晴らしいと思う。
ただ、「日本の地名はアイヌ語で説明できる(アイヌ語地名説)」を拡大解釈しすぎた面があったのだ。
金田一京助は、アイヌ語を「太古の昔(縄文時代以前)から変わらずに発祥し、そのまま滅びゆく言語」と捉えていた。
しかし実際には、アイヌ語やアイヌ文化は固定された古代の遺物ではなく、中世の北海道という時代に生み出された言語・文化だったのである。
「川(ナイ・ベツ)」や「山(シリ)」はアイヌ語由来だが、それ以前の縄文人たちは、違う名前で呼んでいたと思われる。
つまり、アイヌ以前の人々が呼んでいた地名を上書きして、アイヌ語由来の地名にしたのだ。
ここで、金田一京助氏のアイヌ研究における「功」と「間違い」について、客観的に整理したい。
評価されている点
金田一の最大の功績は、消滅の危機にあったアイヌの口承文芸を「言語学・文学」の域まで高め、記録として後世に残したことだ。
文字を持たないアイヌ文化において、何万行にも及ぶ壮大な叙事詩「ユーカラ」をローマ字と言語学的な手法で記録し、日本語訳を施した。
これにより、アイヌ文学が世界的な口承文芸(ギリシャ神話やユーゴスラビアの叙事詩など)に匹敵する価値を持つことを証明した。
また、金田一氏はアイヌの女性である知里幸恵(ちり ゆきえ)さんにユーカラの記録を勧め、『アイヌ神謡集』(1923年刊行)の出版を手助けした。
方言の採集や文法の体系化など、近代言語学の手法を日本のアイヌ語研究に初めて本格的に導入し、後進の研究者(知里真志保ら)が育つ土台を作った。
間違い
一方で間違いなのは、アイヌ人が縄文時代からずっと北海道に住んでいた(太古からの連続性がある)と考えていたことである。
ただ、これは当時の研究水準(考古学・遺伝学の未発達)を考えれば、その時代では仕方のないことでもあった。
東北のエミシやアイヌなど、今後さらに研究が進めば、もっと詳しくわかるようになるだろう。
あと一つ、金田一という名前が知名度抜群なことである。
金田一京助(祖父):アイヌ語研究の開拓者
金田一春彦(父):お茶の間の「日本語の神様」
これだけでもすごいのに、小説でも「金田一」は横溝正史の推理小説の中で、名探偵「金田一耕助」で活躍している。
さらに、近年漫画『金田一少年の事件簿』が大ヒットした。後に続く『名探偵コナン』も同様に現在もヒットしている。
その金田一氏のアイヌ語研究は有名すぎるからである。
ただ、どれだけこの問題とかかわっているのかは、やはり不明である。



