参道の真ん中を歩こう
いろんなテレビ番組で、「参道の真ん中を歩いてはいけない」という参拝マナーがまことしやかに語られるようになった。
この話をテレビで耳にするたび、私はいつも憤慨している。
特に「参道は神様が通る場所だから」というもっともらしい説明がつくと、思わず「なんばいよっとか」と画面に向かって長崎弁でツッコミを入れたくなってしまう。
そもそも参道は、人間が通るために作られた道である。
参道にある鳥居は、聖と俗を分ける結界であると同時に、神様が宿るお堂への目印にすぎない。
つまり、すべては人のためにあるのだ。その証拠に、一番手前にある人に最も近い鳥居を「一ノ鳥居」と呼ぶ。
当たり前の話なのだが、世の中には色々と理屈をこねくり回して解説したがる人がいる。
まあ、いろんな説を空想するのは個人の自由だが、それを他人の行動の指図にまで広げるのはよろしくない。
神様は参道を歩きはしない。
当たり前だが、神様が参道を通って徒歩で出入りするわけがないのだ。
こうしたマナーの押し付けが始まったのは、明治以降のことである。
「神道の作法を全国一律に整えよう」とした際、プロである神職の「正中を避ける作法」を、一般の参拝者の歩き方にまで拡大して当てはめてしまったのが始まりだ。
現に、東京都神社庁のコラムなどでも、「本来『正中』とは社殿内や祭場内で御神座の真正面のことを言い、参道に『正中』や神様の通り道はありません」と言及されている。
プロの神職と一般の参拝者では、守るべき作法が違って当然なのである。
これは冠婚葬祭のマナーにも言えることで、実に言いたいことが多い。
もっともらしい決まり事を次々に作り出すのは、マナー講師という職業を存続させるための策略ではないかとさえ邪推してしまう。
細かい取り決めを作ることで「もったい」をつけ、自分たちの存在を権威づけしているのだ。
その成り立ちが怪しければ怪しいほど、人は権威づけのために細かなルールを作りたがるものである。
中でも一番腹が立ったのが、お辞儀のやり方だ。両肘を張って、お腹の上で手を合わせるあのお辞儀である。
これは俗に「コンテスト風マナー」や「接客業向けのパフォーマンス」などと呼ばれるもので、一部のビジネスマナー教室や接客研修において、「遠くからでもお辞儀と分かりやすい」「胸元を隠して上品に見せる」といった演出上の理由から意図的に作られたポーズにすぎない。
近年では、お隣の韓国の伝統的な挨拶である「コンス」の形に似ていることからインターネット上で議論にもなったが、日本の伝統的な小笠原流などの礼法においては、「お辞儀の際に肘を張るのは見苦しい」と明確に教えられている。
ピアノの発表会などで、幼い子供にこの不自然なお辞儀をさせている先生を見かけると、私はいつも激しい憤りを感じていた。
神社における間違ったマナーはこれだけにとどまらない。
鳥居をくぐる前の「一礼」は義務でもマナーでもない。かつて一般的な庶民の参拝ではそんなことは誰もしていなかった。
また、お賽銭の「五円玉はご縁がある」「十円玉は遠縁になるからダメ」といった話も、すべて後世の語呂合わせから生まれた完全な俗説にすぎない。
おみくじを境内の木に結ぶというのも同様だ。
「凶が出たら結んで、吉なら持ち帰る」などと細かく指導されるが、これも単に神社側が「境内の木々を痛めないために、専用の結び所を設けた」という管理上の都合が発祥である。
ただ、こんな野暮な指摘をすること自体、実は少し気が引ける部分もある。
やりたい人は自由にやればいいし、その個人の信心に文句を言うつもりは毛頭ない。
たとえば護国神社の鳥居の前で、静かに一礼している年配の方を見かければ、ご家族が戦争の犠牲になられたのだろうかと胸が引き締まる思いがする。
それぞれの理由や祈りを抱いて参拝する人々を、悪ふざけをする不届きなユーチューバーでもない限り、私はすべて容認したいと思っている。
私がここまで不愉快な押し付けマナーにこだわるのには、ある原体験がある。
長崎には「おくんち」という伝統のお祭りがある。
諏訪神社の踊馬場という場所で、恒例の奉納踊りをみんなで賑やかに楽しむものだ。時期は十月。まだまだ日差しが強いある日のこと、踊りを見物していたご年配の男性が、日よけの帽子をかぶっていた。すると、お祭りを仕切る「白ドッポ」と呼ばれる若い衆が、その老人に向かって「神前だ、帽子をとれ!」と大声で怒鳴りつけたのだ。
老人は何も言わず、静かに帽子をとった。当時、カメラマンとしてその場に居合わせた私は、そのチンピラのような白ドッポの傲慢な顔が今でも忘れられない。
普段は神社や神様のことなど気にもかけていないだろう若者が、お祭りの特権を得た途端に偉そうに信仰を語り、人を従わせようとする。
かつて神社のお祭りにはそうした影の力がつきまとっていた。
有名神社の周囲には売春宿も多く、裏社会の人間が顔を出すことも多かった。夜店の独特な雰囲気もその名残りだ。
それにもかかわらず、「神前だ、帽子をとれ」などという言葉を、ただ出し物を楽しんでいるだけの老夫婦に偉そうに投げつけるその神経が、私にはどうしても許せなかったのである。
明治になり、王政復古を唱えて天皇を前面に押し出した当時の政府のやり方を、今の時代から批判するつもりはさらさらない。
その時代にはその時代の事情があったのだから、今の私たちが過去を裁くべきではないだろう。
しかし、国家神道を前面に押し出した結果として、現代に至るまで一般の参拝者にまで窮屈な作法を押し付ける風潮が残ってしまったのは、なんとも皮肉なことである。
稲荷神社を例に挙げてみよう。全国の稲荷神社でも「参道の真ん中は神様の通り道だから避けて歩くのがマナー」などと案内されていることがある。
だが、それならあの「千本鳥居」はどう歩けばいいというのか。鳥居が連なる狭い参道では、端を歩くことなど物理的にも安全面からも不可能だ。
周りの迷惑にならないよう、自然に真ん中を歩くのが一番の作法であるのは言うまでもない。
大切なのは、昔はそんな窮屈なマナーなどほとんど存在しなかったという事実だ。
やりたい奴は勝手にやればいい、その程度のものだった。
信仰が商業化の波に乗ってしまうと、どんどん妙な方向へ変質していくのは歴史の常である。
神社側がやたらと作法を細かくして格式を高めようとするのは、お宮参りや七五三、結婚式などの初穂料を吊り上げるための算段ではないかという生臭ささえ感じてしまう。
かつての西洋のように、信仰が肥大化した挙句に免罪符を売り出すような、愚かな真似だけは絶対にしないでほしいと切に願うばかりである。









