星信仰が「タブー」となった理由

【日本神話の謎】なぜ「星の神」は悪役にされたのか?カカセオと太陽信仰の裏側

 

日本神話に出てくる「星の神様」をご存知だろうか。

その名は、香香背男(カカセオ)

正式には「天津甕星(アマツミカボシ)」、別名を「天香香背男(アメノカガセオ)」という。聞き馴染みのない方も多いかもしれないが、詳しく調べてみると実に興味深い背景が見えてくる。

今回は、このカカセオという異色の星神をきっかけに、「なぜ日本神話では星や月の神々が中央から消えていったのか?」という謎に迫ってみたい。

 

国譲りの最終局面で抵抗した「最後の反逆者」

カカセオが登場するのは、歴史書『日本書紀』の「国譲り」の場面である。

経津主神(フツヌシ)と武甕槌神(タケミカヅチ)の二柱の神が、大国主神から国を譲り受け、地上(葦原中国)の邪悪な神々を平定していたときのことだ。

ほとんどの神々が服従していく中、最後まで屈せず抵抗したのが、星の神・カカセオであった。

武勇に優れた武神たちでも倒せなかったこの悪神だが、最終的には「建葉槌命(タケハヅチ/織物の神)」という機知に富んだ神を派遣することで、ようやく服従させることができたと記されている。

つまりカカセオは、「アマテラスの支配に従わない、天上の最後の反逆者」として象徴的に描かれているのだ。

なぜ『日本書紀』だけに登場するのか?

実はこのカカセオ、『古事記』には一切登場せず、『日本書紀』だけに描かれている。

ここから見えてくるのは、当時の中国王朝に向けた政治的アピールである。

当時の中国では、北極星を天帝の象徴とする「星信仰(北辰信仰)」が発達していた。

「天の中心にある北極星の周りを星々が回るように、皇帝の周りに人民が従う」という皇帝支配の論理だ。

しかし、中国の皇帝はあくまで「天子(天から与えられた権力)」に過ぎない。

そのため、「皇帝が資格を失えば別の家系に天下が移る」という「易姓革命」のリスクを常に抱えていた。だからこそ天体の乱れを恐れ、天文学を発達させたのである。

一方、日本の天皇は「絶対的な神(太陽神アマテラス)の直系の子孫」とされる。易姓革命など起こり得ないのだ。

『日本書紀』は、「日本には絶対的な太陽神アマテラスがいるため、中国のような星信仰は必要ない。

我が国の統治体制は易姓革命などで揺らぐことはない」という強い意思表示として、星の神を平定するエピソードを書き残したと考えられる。

 

天照以外は排除?バラバラになった「三貴神」

日本の公的な神話において、「星」や「月」の存在感は極めて希薄だ。

月神であるツクヨミも、スサノオも、最終的にはアマテラスの前から姿を消してしまう。

ここで、それぞれの神が去っていったエピソードを振り返ってみよう。

【ツクヨミの追放】(日本書紀)

アマテラスの命で食物神「ウケモチ」を訪ねたツクヨミは、ウケモチが口や尻から食材を取り出して調理する姿を見て「汚らわしい」と激怒し、斬り殺してしまう。これに呆れ果てたアマテラスは「二度と顔を合わせたくない」と完全決別。これが理由で、太陽(昼)と月(夜)は同時に現れなくなったとされる。

【スサノオの追放】(古事記)

※古事記では、似たような事件を起こすのはスサノオである。
高天原を追放されたスサノオは、食物神「オオゲツヒメ」のもとを訪れる。オオゲツヒメが鼻や口、尻から食材を取り出して調理しているのを見たスサノオは激怒し、彼女を斬り殺してしまった。

結局『古事記』でも『日本書紀』でも、アマテラス以外の神々は天(中央)から離れていく運命をたどる。

 

なぜ、三神はバラバラにならざるを得なかったのだろうか。

古代の日本人にとって、「一人の強力な統治者が中央(天)を治め、他の有力者はそれぞれの境界(夜・海・異界)へ退く」ことこそが、最も安定した世界のあり方だと考えられたからだ。
アマテラス以外の兄弟が天に留まり続けると、権力が分散してしまう。他の神々が去ることで、アマテラス(ひいては天皇の血筋)の「唯一の最高権威」が確立したのである。

 

一神教の「平等」と、多神教(日本)の「公平」

夜空に無数に輝く「星」は、権力の一極集中を目指す古代の大和王権にとって、多極的な権力構造を連想させる「不都合な象徴」だったのかもしれない。

しかし、この仕組みにこそ日本人の知恵が詰まっている。

一神教の世界(平等主義)

絶対神のもとで信者は全員平等である。しかし、現実にはどうしても人間同士の不平等や個性の違いが存在するため、時代が下ると「建前としての平等」と「現実の不平等」の間で強い摩擦(差別や対立問題)が生じやすくなる。

日本の多神教(公平主義)

日本神話では、太陽神(昼・生)も完璧ではなく、スサノオ(暴風・死)の暴走を止められないことがある。世界を「天」「夜」「異界」に切り分け、多神教ならではの「役割分担(三権分立のような仕組み)」を作り出した。

日本は「全員を無理やり同じルールに当てはめる絶対的な平等」ではなく、「それぞれの役割や個性を認めて納める公平さ」を選んだのだ。

一神教ほどの爆発的なパワーはないものの、揺れを吸収する「耐震構造」のように、時代のショックを和らげられる、非常にしなやかで柔らかいシステムを確立したのである。

 

征服された側の歴史

星の神・香香背男(カカセオ)を「ツクヨミやスサノオ側の世界」へと追いやり、現実世界の統治者として太陽神の末裔が君臨する——。

こうして「星信仰」は公的な神話から姿を消していった。

現在、カカセオを祀る「大甕(おおみか)神社」(茨城県)では、かつての悪神は荒ぶる力を制御され、守護神として静かに鎮座している。

単なる「悪」として処理されるのではなく、制御された守護神として祀られる。

神話で悪とされる存在の裏側には、常に「中央に組み込まれなかった地方の強烈な個性」や「征服された側の歴史」、そしてそれを優しく包み込んできた日本の知恵が隠されているのかもしれない。

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