日本人が無自覚でやっている戒律とは

海外の友人から「日本人はどんな宗教を信じているの?」と聞かれて、「いやあ、うちは無宗教だから。戒律なんて何もないよ」と答えた経験はないだろうか。

だが、少し胸に手を当てて日常を振り返ってみてほしい。
 
私たちは日頃、戒律など守っていないつもりでいて、実は世界でもトップクラスに厳格な「謎のルール」を無自覚にこなしている。
 
イスラム教徒がコーランを開き、キリスト教徒が聖書を手に祈る一方で、日本人は聖典を一文字も読まぬまま、身体に染み付いた神道や仏教の教えを完璧に実践しているのである。

 

玄関で靴を脱ぐのは、もはや神事である

多くの日本人は「家に汚れを持ち込まないための衛生習慣」だと思っているが、玄関で靴を脱ぐ行為は、神道における「結界」と「禊(みそぎ)」そのものである。

 
外の世界の邪気や穢れ(けがれ)を断ち切り、清浄な内側の空間を守るための厳格な儀式なのだ。

葬儀の帰りに玄関先で塩をパッパと振るのも、飲食店の店先に盛り塩をするのも、「死や邪気という穢れを祓う」ための立派な宗教的行動である。
 
外国人が見たら「なぜ体に調味料を振りかけているのか」と不思議がるところだが、私たちはごく自然に魔除けの結界を張っている。

 

食事のたびに唱える「不殺生」への懺悔

食事の前の「いただきます」。これを単なる挨拶だと思ったら大間違いである。仏教の最も重い戒律である「不殺生戒(生き物をむやみに殺してはならない)」に対する、日本人なりの美しい落としどころなのだ。

「本来は奪ってはいけない動植物の命を、私が生きるために頂戴します」という深い感謝と申し訳なさを込めて手を合わせている。
 
さらに「お米を一粒も残すな、目が潰れるぞ」という親の小言は、禅寺の修行僧も顔負けの「万物への感謝の戒め」である。私たちは幼少期から、実質的にミニ出家修行を受けさせられていたわけだ。

 

誰も見ていないのに悪いことができない理由

日本人は監視カメラや警察がいなくても、夜間の赤信号で律儀に立ち止まり、落ちているゴミを持ち帰る。なぜそこまで自制心が働くのか。それは心の中に「お天道様」という名の超高性能GPS衛星が常駐しているからである。

「誰も見ていなくてもお天道様が見ている」「悪いことをするとバチが当たる」。これは仏教の「因果応報(カルマの法則)」と神道の太陽信仰が合体した、日本独自の強力な精神的セキュリティシステムだ。契約書にサインしなくても、見えない存在と結んだ契約を律儀に守り続けているのである。

 

日常に潜む数々の「禁忌(タブー)」

日本人の日常には、触れてはならないタブーも数多く転がっている。

  • 箸渡し:火葬後の遺骨を拾う所作と同じだから絶対ダメ。
  • ご飯に箸を突き刺す:仏前の枕ご飯になるから絶対ダメ。
  • 北枕:お釈迦様が亡くなったときの体勢だから縁起が悪い。
これらをやってしまった瞬間、周囲から「あっ!」と悲鳴に近い注意が飛んでくる。
 
私たちは知らず知らずのうちに、日常と「死の儀礼」を峻別する高度な宗教的禁忌を身につけているのだ。
 
さらに、使い古した針や人形、包丁にまで「供養」をして感謝を捧げる始末である。無生物にまで魂や仏性を見るこの感性は、世界的に見れば驚くほどディープな宗教観である。

 

世界で騒がれるイスラム教が、なぜ日本人にはピンとこないのか

ニュースを見れば、「イスラム教の戒律」「スカーフ論争」「宗教対立」といった話題が世界中で連日騒がれている。だが、多くの日本人は「なぜそこまで宗教にこだわるのか」「なぜ教義で人と争うのか」と、いまいち実感が湧かないのではないだろうか。
それもそのはず、イスラム教と日本人の感覚は、そもそもの前提が真逆だからである。

  • イスラム教:過酷な砂漠で部族全滅を防ぐため、神の絶対的な掟を「一語一句違えぬ明文法(シャリーア)」として定め、契約として忠実に守る。
  • 日本人の感覚:豊かな自然と濃密な村社会の中で摩擦を避けるため、「阿吽の呼吸」や「言わぬが花」を重んじ、教えを言葉ではなく「マナー」「清潔さ」「思いやり」「縁起」という生活作法へ完全に溶け込ませた。
 
初詣は神社、結婚式は教会、葬式は寺という「八百万の神様みんな仲良く」の精神で生きている日本人にとって、「唯一絶対の神が定めた絶対ルールに従って生きる」というイスラムの世界観は、外国語のプログラミング言語を見せられているような感覚に近いのかもしれない。

 

「無宗教」という名の、究極に身体化された信仰

言葉で語る必要すらないほど生活と同化しているからこそ、日本人は「宗教をやっている」という自覚すら持てない。

次に「日本人は無宗教なのか?」と聞かれたら、こう答えるのが一番正確かもしれない。
 
「教義は一行も知らないし、世界の宗教論争もピンとこないが、毎日手を洗い、靴を脱ぎ、命に感謝して合掌し、お天道様を恐れて生きている、世界で一番信心深い無宗教者だよ」と。
 

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