異説か真実か! これが現代古代史の定説だ。NO.6
最近、考古学の発見が新聞によく載っている。これまで定説とされていたことが、どんどん訂正されていっている。
これまで縄文というと、毛皮をまとった猿のような人物の挿絵が一般的だった。
(青森三内丸山遺跡)
ところが94年青森の三内丸山(サンナイマルヤマ)遺跡から発掘された様々なものは、縄文の概念を覆えす物ばかりだった。
巨大な建造物や天然アスファルトの使用など、縄文は未開社会ではなかったのだ。
日本には縄文人と呼ばれている民族が先住していて、彼らは高度な社会を持っていた。
このことは最近の発掘によりどんどん証明されている。
のちに弥生人と呼ばれる民族が大陸から渡ってくる。
農耕民族だと言われているが、持ってきたものはそれだけではなく「戦い」もだった。
農耕民族という名前は穏やかそうに聞こえるが、彼らは土地が財産なのである。
財産を増やすということは略奪を意味する。
その為には戦わなければならないのだ。
騎馬民族説というのがあり、天皇は馬に乗って大陸から渡ってきて、日本を築いたという。これも一理あるの説だ。
文化度の高い縄文が、やすやすと弥生に駆逐されていく過程は、これまでの世界史にも例がある。
例えばインカだ。脳の外科手術をするほどの高度な文明も、銃を持つ野蛮人のスペインにあっという間に征服された。
縄文と弥生もこんな関係だったと推測される。
1960年のある日、佐世保市の福井洞穴から、古い土器が発掘された。
その名を隆起線文土器(リュウキセンモンドキ)という。
同じ地層から出てきた木炭から年代を測定(炭素測定法)してみると1万2000年以上前の物と判った。
(隆起線文土器)
4大文明の発祥地のなかで一番古いといわれるメソポタミア文明の土器の使用は紀元前5000年と言われている。
それよりも7000年も古いのだ。
この事実は考古学者たちを驚かせたが、例によって事実隠しに走ってしまった。
ありえないと思ったのであろう。
ところが更に佐世保市瀬戸越町にある、から発見された豆粒文土器(トウリュウモンドキ)はさらに古い地層から発掘された。
推定で1万4000年以上前のものと科学的に確認された。そしてこの土器には煤(スス)が付いていたのだ。これは火を使って煮炊きをした証拠である。
この異常な古さは、何を意味するのだろうか。
有名な文明をみてみると「マヤ文明」が4000年前、ピラミッドの古代エジプト文明は2700年前である。
長崎県には、それらよりもはるか1万年以上も昔に、土器を作って煮炊きをしていた人々がいたのだ。
およそ百万年前、長崎には長崎火山と呼ばれる1500m以上の活火山がそびえたっていたという。
火山活動が終わると浸食され、その残丘が彦山や稲佐岳や三つ山など長崎市周辺を取り囲む山となった。
悠久の時が過ぎ、人が住んでいた痕跡が確認されたのが今から15万年前、旧石器時代の後期のことである。この頃は大陸と陸続きであったらしい。
そして1万4000年前に土器を使用していたことが判った。世界最古の土器の誕生である。
縄文時代のことを今までは、石やりを持つひげぼうぼうの原始人の如く描いてきた。
だが冒頭にも書いたように縄文人は、青森の三内丸山遺跡のように直径80cmの柱を持つ建造物を作り、墓をまつり、栗の木を栽培し、収穫していた。
長崎の土器はその三内丸山遺跡より1万年ほど古い時代に土器を作って煮炊きをしていたことを示している。
はっきり言おう。
長崎こそ世界最古の文明の誕生の地なのだ。
彼等の異常なまでの知能の発達の原因は謎である。
ただ長崎県は人類文明の最初の土地と、土器をみる限りにおいては断言してもいい。
1859年ダーウィンが体系づけた進化論は現在問題視されている。
疑問が多すぎるのだ。
人類の起源にして私たちは猿から進化したのではなく、最初から人間だったのだ。
つまり縄文時代の人間も現代人もその知性や感性は変わっていなかった。
人類は進歩していないのだ。
ただ言葉や道具の使い方がうまくなっただけに過ぎない。
赤ちゃんを一人で森の中で育てれば言葉は覚えない。
動物として生きていくだけである。。
それは種としての人間は、縄文時代の人々と同じだという証拠でもある。
私たちと同じように、彼らも人が死ねば悲しみ、墓に葬り花を飾る。
どこが現代人と変わるのだろうか。
つまり長崎縄文人は、原始人ではなく人間だったということだ。
超古代に土器を作った長崎人は何処へ行ったのだろうか。
SFの世界では超古代文明があり、その名残がエジプトのピラミッドやマヤの天文学の始まりとなったという。
伝説のムーも、宇宙人騒ぎも、もしかしたら「長崎縄文人」の仕業かもしれない。
文・竹村倉二
参考、引用文 郷土史辞典 石田保著 昌平社 図説長崎県の歴史 責任編集 外山幹夫 河出書房新社
写真 世界最古の土器、豆粒文土器 引用 図説長崎県の歴史より 長崎県の地学 長崎県地学会編
■新長崎伝説 長崎のミニコミ月刊誌「ながさきプレス」連載の短編。