もう何日も、食べていなかった。
いつからか頭はぼんやりとして、ほとんど考えることは出来なくなっている。
時折思い出すのは、母親の顔だけだった。
こめかみから血が流れていることがわかる。
俺は思った。俺は何一つ悪いことはしていない。
ただ、夢を見ただけだった。それも変な夢じゃない。
みんなが幸せになる夢だったはずだ。
夢を見ただけでこんな仕打ちを受けるなんて、やっぱり今が夢なんだろう。
「どうだ。変わったか」
足下から大声が聞こえる。
顔にべったりと糞尿がはりついた。
あまりの臭いに、涙が出る。
やっとの思いで周りを見渡すと、何人かの仲間達が同じ目に遭っている。
不意に、共に学んだ少年時代を思い出した。
山や川、海で駆け回っていた時、
「あの時に見た夢はなんだったっけ」
もう、いろんな事がわからなくなってきた。
「ローマは素晴らしかったなー。グレゴリオ様は優しかった。あんな国に行けたのは、幸せだったのかもしれないな」
ジュリアンは意識が遠のいてきた。
「デウス様の元に参ります」
そう言いかけて息絶えた。
中浦ジュリアンは13歳の時、少年遣欧使節として、長崎からローマ旅立ち、グレゴリウス十三世教皇は彼らを大歓迎した。
八年半後に日本に戻るが、その当時の日本はキリスト教を禁教として弾圧を開始していた。
中浦ジュリアンは司祭となり、弾圧下の日本で信徒達を励まし続けた。
1633年長崎の西坂刑場で穴吊りの責めを受けた。
穴吊りの責めとは、もっとも残酷な拷問だった。
内蔵が下がってすぐ死なないように体を縄でぐるぐる巻きにし、頭に充血するのを防ぐため、頭に小さい穴を開ける。
さらに穴の上から糞尿などをまく役人もいたという。
中浦ジュリアンは、その刑を受け3日後に殉教した。