最近話題になっている皇室問題で、女系天皇に賛成するといった発言を聞いて、その理由が男女同権だからという事に疑問を持った。
まず天皇制に関しては、歴史的に見て男系にしなければならないのは明らかである。
男女同権、男女平等だから女系天皇をという考え方自体がよくわからない。
まあ、この議論は長くなるのでやめとくが、男女同権という思想について考えたい。
基本的人権
まず、基本的人権である。
ブリタニカ国際大百科事典には、「人が生れながらにして,単に人間であるということに基づいて享有する普遍的権利をいう」とある。
人間が生まれつき、権利を持っているという考え方の最初は、古代ギリシアに始まる。
ソフィストは人間としての平等を主張し、プラトンは経済的平等の実現する理想国を夢み、プローマにおいてストア派は自然法のもとで、万人は平等であると考えた。ブリタニカ国際大百科事典
なぜ古代ギリシアでは、平等という思想が育ってきたのだろう。
それは、ギリシアが古代より格差社会であり、ポリス社会として安定していたからである。
しかし、人権を唱えていた、ポリス社会の平均的な市民は2~3名の家内奴隷を所有し、また手工業の仕事場や、鉱山では、集団で労働させる場合もあった。古代ギリシアにおいては、奴隷の存在は特に疑問視されることはなく、アリストテレスもその著『政治学』で、ポリス市民が完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間であるから、市民が奴隷を所有することは当然のこととしている。またそのような奴隷を獲得する戦争は、狩猟で獣を捕らえるのと同じ自然な行為だ、と言っている。Y-History 教材工房
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-042.html
これが、古代ギリシアの人権感覚である。
日本にも奴隷という制度が昔あったこともある。奴婢(ぬひ)と呼ばれる人たちである。
奴婢とは、税を払わない者や他人の生産を手伝う者といった意味でしかなく、逃亡は禁止されていましたが、縛り付けられるといったことはなかったという。なので、奴婢と奴隷とは、まったく異なるもので、古代、日本には西洋的な奴隷制度はなかったと考えられている。
こんな事を書くと、いや「士農工商」や「賤民」「穢多(えた)」「非人」という存在があったとか、共産系人権派の人は言うだろうが、ヨーロッパの奴隷制度を基準にしている話である。
日本以外の国の奴隷制度は、すさまじいものだからだ。
なんといっても、アメリカ合衆国では、19世紀の南北戦争でリンカーン大統領によって、奴隷制度が廃止されたくらいである。
19世紀である。つい最近だ。
つまり、人権を盛んに唱えてきた西洋人たちの家には、奴隷がいたのである。
この感覚がわからない。
また、財産平等の思想を徹底化させたのは、19世紀中葉以降のマルクス、エンゲルスらの社会主義者たちであった。それほど、ロシアの格差社会はひどかったからである。
中国もしかりである。
共産党は暴力で、これまでの体制を覆してきた。財産平等の思想は、金持ちや地主をまず殺し、財産を奪い取ることから始まる。なので、世界の共産党が殺した人数は、1億人を超え第2次大戦の死者を上回ると言われている。
これが、平等の考え方のベースにあるものだ。
男女同権もしかり。
男と女は平等であるべき
日本人は、男女の違いを認めたうえで、公平であろうと努めてきた国民である。
しかし、西洋の考え方は、すべての面で、男と女は平等であるべきだという考え方である。
そして、それは口先だけで、これまでのヨーロッパの男女差別の歴史はすさまじかったからだ。なので、西洋的人権思想は、絵空事であり現実に即していない妄想である。
人間は動物である。
なので、死の前ではすべて平等である。それが唯一の鉄則なのだ。
生まれた時から、様々な権利を持っているという妄想は、ごく一部の人間のおごりによって作られた虚構の世界なのだ。
動物に権利はあるのか
豚や鳥に、食べられない権利はあるのか。コオロギは愛され、ゴキブリは憎まれている。
犬や猫は平等か。去勢され売り買いされている現実をどう思っているのだろう。
私が言っているのは屁理屈ではない。
人間には、まず性別という個性がある。さらに様々の違いがある。それをまず認めよという話である。
違いを認めないで、平等だからという話は、ちゃんちゃらおかしいのだ。
男女同権だから女系天皇に賛成という発想は、無知そのものである。
都合のいい時だけ、権利を叫ぶのをダブルスタンダードという。
いつの間にか、人間には生まれながらに、平等に人権があるという西洋思想に汚染されている。
多神教の国、日本は、違いの分かる国である。
近年まで奴隷を持っていた国や、殺戮で国を作ってきた人たちの言葉に惑わされないようにしよう。
猫と犬は平等ではないからである。