大麻事件問題の核心部分

先日、芸能人が大麻で捕まったという報道があった。

伊勢谷友介

日本では大麻の所持は禁止されている。だが、法律が規制するのは「所持」のみで、一般に「使用すること自体」は処罰されない。

だが、大麻を吸う現場を発見されれば、持っていたから吸えるのであって、当然のように逮捕される。

こんな事件が起こるたびに、大麻は有害ではないという議論が巻き起こる。

外国では、大麻吸引は合法だと言い張る人もいるが、現実には限られた地域のみである。

だが世界的にも大麻自体の有害、無害の議論があることは事実であるので、麻薬の是非についてはここでは述べない。

なぜ麻薬は禁止されるのか

話はここに尽きると思う。

麻薬が人間にとって有害や薬物だとしても、個人が自分の意志で摂取するなら、回りの人間がとやかく言う筋合いはないという理屈はある。

なので、他人がどうなろうと知ったことじゃないと考えれば、すべての行為は正当化される。

これは人権といわれる奴で、個人の自由がお題目になる。それに対抗するのが(国家)権力である。

この個人の自由と国家の制限のせめぎあいは、これからも果てしなく続いて行くだろう。

また、個人の自由がぶつかる時がある。

例えば住宅地で、大きな音で音楽を聴きたい人と、その音がうるさいと思う人が隣どおしに住んでいる場合などがそうだ。

そこで他人の権利を侵害しない範囲で、個人の自由は尊重されるという概念が生まれる。

これが公共の福祉という考え方である。

それでは大麻を吸うという人権に対して、制限できる公共の福祉とは何だろうか。

それは、麻薬の蔓延が社会全体に悪害を及ぼすからという考え方である。

大麻が有害でないからと言って合法化すれば、青少年の間で蔓延する。

短期的には有害ではないが、使用者は「高揚した」気分以外に動作障害や思考能力および問題解決能力の低下、幻覚、妄想が起きる。

じつは子供時代から、大麻を吸引し続ければ人間の脳はどうなるかは、よくわかっていないのである。

また大麻を吸って車を運転した場合などもある。

大麻は人体的には無害かもしれないが、社会生活を営む場合には、かなりの障害になるだろう。

国はそのことを重視しているのだ。

過去、中国ではアヘン戦争というのがあった。

イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。アヘン販売を禁止していた清は、アヘンの蔓延に対してその全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。

アヘン戦争

これが内容だが、イギリスが麻薬を清(中国)に売りつけていたのだ。その結果、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃、民度が低下し自暴自棄の下層民が増えることになった。

それを嫌がった清(中国)はイギリスに対して抗議した結果、力で勝るイギリスは戦争に持ち込み、清(中国)を負かして香港を奪い取ったのである。

こんな歴史を書くと、アヘンと大麻は違うという反論が出る。

確かに、その麻薬的効果は違うのだが、現実の世界では、大麻は覚せい剤の入り口になっている事と、その密売ルートは反社会勢力の資金源になっているのだ。

そう言うと、だから解禁して国が管理すればいいという反論がある。

だんだん話は理屈っぽくなり、本筋から話がずれてしまう場合がほとんどである。

この手の話は意外とたくさんある。

例えば売春だ。日本は売春が禁止なのだが、ヨーロッパなどでは国が管理しているところも多くなった。

それ以外にも賭博というのがある。結局は行為の善悪より、社会的な影響のほうが大きい。

つまり、禁止と解禁のボーダーラインにある事柄は、国の姿勢にかかってくるのである。

そのことを踏まえた上での議論にしないと、収拾がつかないのだ。

日本の大麻

出雲大社 アートワークス撮影

麻は昔から日本になじみのある植物で、神道では古くからしめ縄、神事のお祓いの大麻(おおぬさ)として使われてきたほどで、日用品(衣類)、漁具(魚網、舫)など、主に繊維として使われてきたが、大麻の麻薬としての効果も知らなかったわけではない。

麻畑で作業していると頭が痛くなることは知られていたからだ。

ただ、古来より日本で栽培されてきた大麻は陶酔成分であるTHCの含有量が少なく、日本には大麻を吸引する文化はなかったとされる。

この事は大切で、昔、中国や台湾でアヘンが大流行したのだが、日本人はアヘンに興味を示さなかったのである。

麻薬を服用して、一時的には幸福感に浸っても、それが幻だとよーく知っていたのだろう。

ストレスによる常習性

アメリカ国立衛生研究所の薬物乱用研究所が制作した、ラットの自己注射実験の図。レバーを押すと薬物が自分に注射される

ラットパーク実験というのがある。

ネズミに麻薬を与えて、その常習性を観察するものだが、その常習性は麻薬本体のものかどうかを調べるものである。

その内容だが、1970年代後半にサイモンフレーザー大学のカナダ人心理学者ブルース.K.アレクサンダーが、麻薬の常習性はストレスによって引き起こされるという結論を出している。

この発表は麻薬自体の常習性を否定するもので、当時かなり批判を浴びたが、2000年代以降は支持する者が増えている。

現在の科学では、麻薬が脳の報酬系で、それに関与するドーパミン経路の存在が明らかになり、麻薬の依存性は麻薬自体の科学的な構造によるものとされている。

しかし、大麻や麻薬が蔓延している世界でも、摂取する人としない人は存在するだろう。

麻薬を吸って現実のストレスから逃げ出しても薬の効果は短い。現実逃避をしたいと思う人は、常に薬が必要となり深みにはまってしまうという結果になってしまう。

これは依存症であり、アルコール、タバコ、薬物、ギャンブル、インターネットゲームなどが挙げられている。

すべて社会問題になっていることである。なのでこれらを禁止している国もあるのだ。

個別の事柄の善悪よりも、依存症が問題とされている。

大麻事件の核心は、ストレス社会の日本で、薬物依存の現実逃避をどう断ち切るかにある。

もっと大きく言えば、その薬物を供給する反社会的組織の資金源になっているので、結局は国の存続にもかかってしまうのである。

大麻事件は、個人の権利を優先させるか、集団の利益を優先させるかの問題だという事なのである。

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