汚された十字架 (4)

奴隷商人ステファン

小太郎は、この部屋に誰かが入ってくる足音に気づき、部屋の隅に置かれたライティングデスクの下へ素早く身を隠した。息を殺し、耳を澄ます。ガタガタと椅子やソファーに腰掛ける音が響いた。

「ステファン様。約束の人数が揃いましたぜ。ペドロリア様も、手込めに仕留めた小百合という娘と一緒に、すでに船へ移動しました」

物陰に潜む小太郎は、「小百合」の名を聞いて息をのんだ。「手込め」という言葉が頭の中で激しく渦巻き、激しい怒りと焦燥が胸を突く。

「……フン、ペドロリアの道楽には困ったものですね。まあよいでしょう」

ステファンはテーブルの葉巻をつまみ上げると、カッターで吸い口を切り落とし、マッチで火を点けた。佐平次はその手慣れた仕草を珍しそうに眺めている。

「今夜のうちに積載を完了させる予定です」

「おおう、揃いましたか。やっとですね。こちら側も追加の品が届いております」

「それはありがたい。名は明かせませんが、殿様がお喜びになります」

「……ただですね。だいぶ時間がかかりましたよ。約束の期日を五日も過ぎています。マカオにいる我が社の社長も酷く立腹していましてね」

「いやあ、最近は幕府や上層の取り締まりが厳しくなっておりましてな。太閤様の遺志を継ぐお上のお達しには、誰も逆らえんのです」

「ええ、事情は分かります。ですが私も商売ですから困るのですよ。そこで……当初は『火薬一樽につき三十人』という約定でしたが、『一樽につき四十人』でお願いしたい」

「そんな殺生な! 話が違いますぜ!」

「佐平次さん。あなたが納得できないというなら、私は別の殿様と取引をするまでですよ」

佐平次の額から脂汗が吹き出た。ここで交渉が破談になれば、己の命が危ういのだ。そこへ、もう一人の重々しい声が響いた。

「ステファン殿。お主の言い分も分からんでもないが、こちらとて上様の思惑がある。約定を違えられては、拙者の面目が立たん。このまま引き下がるわけにはいかぬのだ。どうしても約束を破ると申すか……?」

緊迫した声であった。部屋に重苦しい沈黙が流れる。その直後——カチャリと金属音が響いた。刀の鯉口を切った音である。

「お、おい! やめてください!」

慌てた声でステファンが叫ぶ。

「……お侍さんは本当に恐ろしいですね! 大和の武士は自分の命が惜しくないのですか? こんな危険な連中がいる国は初めてですよ。……分かりました! 今回だけは約束通りにしましょう。その代わり、次回は通用しませんよ。いいですね!?」

「……相済まぬ。恩に着る」

「今夜連れて行きますので、手はず通りに」

「承知いたしました」

「では山下様、準備がございますので参りましょうか」

数人の足音が遠ざかり、部屋を出て行った。室内にはステファン一人だけが取り残されていた。

「……まったく、日本人は理解できませんね。武士というのは本当に厄介な連中だ。損得勘定だけで動かない人間ほど恐ろしいものはない……フロイスの言う通りでしたよ。おっと、私も準備に取りかからねば」

独り言を呟きながら、ステファンも部屋を後にした。

フロイス——すなわちルイス・フロイスは、ポルトガル出身のイエズス会宣教師である。一五六三年(永禄六年)に日本へ渡航し、三十年余りにわたって布教活動に従事した。織田信長や豊臣秀吉ら天下人と会見し、日本情勢に深く精通した人物であった。一五九七年に長崎で没しており、その著書『日本史』は当時の貴重な史料として知られている。

救出作戦

小太郎は道智から「日が暮れたら『赤崎鼻(あかさきはな)』の岬にある小山へ向かえ」と指示を受けていた。

理由を尋ねたものの、「時間がない、行けば分かる」と押し切られたのだった。赤崎鼻は茂木港の東に位置する小高い丘である。辿り着いて海を見下ろすと、漆黒の橘湾に浮かぶ巨大な南蛮船の影が見えた。だが、ここから船までは一キロメートル近く離れている。

(……一体、道智様は俺に何をやらせるつもりなのだろう)

小太郎が思案に暮れていると、背後から不意に声をかけられた。

「……小太郎さんですね?」

驚いて振り返ると、商人風の男が立っていた。

「道智様から頼まれて参りました。こちらへお越しください」

男は小太郎の手を取り、暗がりの中へと誘導した。

少し開けた場所に出ると、そこには十人ほどの男たちが待機していた。影の中から、ひとりの老人が進み出てきた。

「……ふむ、良い風が吹いておるな」

老人はそう呟くと、控えていた男たちに指示を出した。物陰から巨大な四角い物体が引きずり出されてくる。

「小太郎さん。この『ハタ』に乗って、あの黒船まで飛んで行ってくだされ」

小太郎は唐突な提案に目を丸くした。

「このハタ揚げ名人の弥吉(やきち)さんに任せれば大丈夫ですよ!」

「えっ……ハタ……!?」

商人風の男の名は島田宗件(しまだ そうけん)といい、堺の豪商・千利休の一族の手配により遣わされた人物であった。

千利休はキリスト教の教義に深い関心を示しており、その影響もあって弟子たちの多くがキリシタンとなっていた。

利休が完成させた「わび茶」の象徴である極端に狭い入り口「にじり口」は、「狭き門より入れ(『マタイによる福音書』)」という聖書の言葉に触発されたものだとも言われている。利休は秀吉との対立により自刃したが、その精神を受け継ぐ弟子たちは密かにキリスト教と関わりを持ち続けていたのである。

島田宗件もその一人であった。しかし、彼は純粋な信仰と、外国人が主導する悲惨な「人身売買」の現実との間に深く葛藤していたのだった。

信仰と奴隷貿易は根本的に矛盾する。ましてや日本の女子を唆し、海を渡らせて売り払うなど、日本人として断じて看過できるものではなかった。

宗件が南蛮品の買い付けで長崎を訪れていた頃、道智がこの地に乗り込み、正覚寺を興した。

長崎全体がキリシタンの領域と化している中で、たった一人で乗り込んできた僧侶の存在に宗件は驚嘆した。興味本位で見守っていた際、辻でキリシタン信徒と堂々と宗教論争を交わす道智の説教を耳にしたのである。

多勢の信者たちを前に少しも怯まず、人間としての正しい道を説く道智の姿に、宗件は密かに深く感動した。

信者とは言っても、その実体は町人や農民だけでなく、浪人や無頼漢の類も多く含まれている。口汚く道智を罵る者たちの姿に、宗件はキリスト教の本来の教えとは程遠い醜悪さを感じ取っていたのだ。

宗派を超えて道智の人柄に感銘を受けた宗件は、密かに道智と接触し、相談を重ねるようになっていたのである。

ハタ

当時、依然としてキリシタン禁教令は出されていたものの、南蛮貿易がもたらす富の魅力から、民間レベルでの布教活動は公然の秘密として継続していた。しかし、トラブルが絶えないポルトガルとの関係に業を煮やした徳川家康は、一六一四年、ついにすべての宣教師を国外追放とし、完全な全国禁教へと踏み切ることになる。この物語の八年後のことである。

島田宗件は道智から相談を受け、捕らわれた少女たちの救出作戦に一役買うことを決意したのだった。

要塞のごとき南蛮船へ接近するには、正面突破など不可能である。そこで宗件が考案したのが、「上空から直接侵入する」という前代未聞の作戦であった。

長崎には古くから「ハタ」と呼ばれる凧揚げの文化が定着していた。「ハタ」の語源には諸説あり、描かれたデザインが外国の国旗(旗)に似ていたことから名付けられたという説のほか、韓国やインドでも同様の文化が存在することや、朝鮮語の「バタ(海の意)」、あるいは「秦(はた)」の氏族に由来するという説など、大陸由来の伝統であることが窺える。

そのハタ揚げの名人が、職人の弥吉であった。

弥吉は長崎のハタ職人で、日頃から宗件には商売上で大きな恩義があった。義理堅い弥吉に宗件の頼みを断る選択肢はなく、何より同胞の娘たちが奴隷として売り飛ばされるという事実に、激しい義憤を燃やしていたのだ。

宗件の奇想天外な発案に度肝を抜かれつつも、弥吉には技術的な確信があった。縦三メートル、横二メートルの漆黒の大凧を即座に仕立て上げ、それを揚げるための熟練の男たち十人をかき集めたのである。宗件の財力もさることながら、短時間で男たちをまとめた弥吉の人望の賜物であった。

「小太郎さんとやら、きっちり揚げるけん心配いらんばい!」

弥吉はそう言うと、小太郎に凧への乗り込み方を手早く指示した。

「分かったばい! 道智様の作戦なら、きっとうまくいく!」

小太郎の覚悟は決まっていた。

「みなさん、よろしくお願いします!」

凧の綱を握りしめた男たちは「おう、任せとおけ!」と力強く応えると、声を合わせて歌を口ずさみ始めた。低い声でありながら、見事な調和を見せる。

ホラア 前から吹く風 よーほーいせ
ホラ よおいやさーのお よーほーいせ

網引き唄である。二隻の船で網を曳く際に歌われる作業唄であり、九州の海の男たちなら誰もが耳にし、口ずさめる唄であった。

長崎は海の街である。東シナ海へ漕ぎ出す拠点として、様々な地域から船乗りが集まっていた。五島列島などで鯨を追う勇壮な男たちの姿も有名である。

「板一枚下は地獄」と言われる過酷な海で生きる漁師たちは、強い絆で結ばれていた。普段は無愛想で世辞の一つも言えない荒骨男たちであったが、いざとなれば極めて頼りになる存在であった。

「あんたたちは海の男たちね! それなら安心ばい!」

先頭に立つ男がニヤリと笑った。

準備が整った。小太郎が固くハタにしがみつく。弥吉が風向きと風圧を鋭く見極める。

「よかか! おいがあいずを出したら、力の限り綱を引いて駆け出せ!」

「おうっ!」

男たちが弥吉に視線を集中させる。

強い海風が吹き抜けた。

「今だ! 引けぇっ!!」

弥吉の叫びと同時に、「ヤッ!」という掛け声が響き、男たちが一斉に綱を引いて走り出した。完璧な呼吸であった。

綱がピンと張り詰め、ハタがふわりと宙へ浮き上がった。

二人乗り潜水艇

「いまじゃ! たぐれっ!」

弥吉が叫ぶ。男たちがグッと綱を手繰り寄せる。そのたびにハタは高度を上げるが、空中で揺れ動き、一瞬バランスを崩して失速しかけた。

「もっとたぐらんかぁっ!」

「ヤッ!」と声を張り上げ、男たちが再び力強く綱を絞り込む。

「よーほーいせ!」

声に合わせて、何度も何度も綱を引く。職人たちの見事な手際であった。十回目の掛け声とともに、大ハタは風をしっかりと捉え、上空へと舞い上がった。

「よいやーっ!」

弥吉の歓声が響く。漆黒の大ハタは小太郎を乗せ、月夜の空へと躍り出たのだった。

闇に包まれた夜空を、巨大な四角いハタが滑空していく。

ただ無目的に飛んでいるのではない。港の沖合に佇む南蛮船に向かって、確かな軌道を描いて接近していた。弥吉の綱さばきは正確無比であった。

南蛮船には高いマストが聳え立っている。ハタはマストの最上部とほぼ同じ高度に達した。船上には二人の見張りの影が確認できる。

小太郎は懐から、細い縄を結びつけた手鉤(てかぎ)を取り出した。右手でぐるぐると回転させる。

ヒュンッ!

手鉤は見事にマストの展帆に引っかかった。小太郎は緩んだ縄を手繰り寄せてピンと張ると、両手に手ぬぐいを固く巻きつけ、滑り台の要領で縄を滑り降りていった。

軽業師のごとき身軽さであった。マストにしがみついた小太郎は、ようやく安堵の息を漏らした。

だが、安息の時間はなかった。すぐに見張りを無力化しなければならない。小太郎は音を立てぬよう、慎重にマストを滑り降りた。

船首側に二人の見張りがいた。小太郎は懐から石つぶてを取り出し、機会を伺う。そのうちの一人が甲板を歩き、船の縁へ寄るとズボンの前を緩め始めた。小便である。

気持ちよさそうに放尿していた男の頭部に、小太郎の石つぶてが正確に命中した。男はそのまま声もなく膝から崩れ落ちた。

小太郎は小さく拳を握りしめた。

問題は残る一人である。船尾側におり、荷物の陰で見え隠れしている。大柄で、手に鉄砲を抱えているのが見て取れた。

体格の差は歴然であり、組み付いても勝ち目はない。小太郎は腰の巾着をまさぐり、厳選した石を掴み取った。

(よし……これだ!)

感触を確かめると、深く息を吸い込み、腕を振りかぶった。渾身の力で投擲する!

ビュッ!

石は柱の陰に隠れる男の脇を通り抜けるかに見えた。しかし、通過した直後に急激な変化球を描いて曲がり、男の側頭部を直撃した。

ガツン! と鈍い音が響き、男は崩れ落ちた。

「ふふん……『龍の牙』ばい!」

小太郎は見事に秘伝の投石術をモノにしていたのだった。

小太郎は海面へ目を凝らした。

(恵瓊様が海から来ることになっているはずだが……)

甲板から海面までは五メートルほどの高さがある。暗い水面を見つめていると、不意にボコボコと大量の泡が立ち上り、水面から不気味な龍の頭部が姿を現した。

龍の頭は周囲をぐるりと見渡したのち、見上げていた小太郎とバッチリ目が合った。

そのまま、漆黒の船体がゆっくりと水面へ浮上してきた。それは、二人乗りの「木製潜水艇」であった。

真言宗・西空

古くから瀬戸内海の制海権を握り、関所を設けて通行料を徴収し、警護や水先案内を請け負っていた強力な水軍が存在した。「村上水軍」である。のちに能島(のしま)、来島(くるしま)、因島(いんのしま)の三家に分かれた彼らは、熱心な真言宗の信徒であった。

西空は真言宗の脈絡を通じて村上水軍と接触し、彼らが秘密裏に運用していた極秘兵器「龍宮船(りゅうぐうふね)」を借り受けてきたのだった。

龍宮船は、戦国時代に能島水軍が実戦投入したと伝えられる特殊潜航艇である。一五七六年の第一次木津川口の戦いにおいて織田水軍と交戦したとも言われているが、詳細は謎に包まれており、現代には『龍宮舟之図』という図面のみが残されている。

龍宮船の丸いハッチが開いた。小太郎は急いで用意しておいた縄梯子を海へ下ろした。恵瓊はその縄梯子を掴み、素早く甲板へと登ってきた。二人はただちに救出作戦を開始した。

一方、茂木港の地上でも作戦が佳境を迎えていた。

道智と西空は、海岸の黒板塀の小屋へ接近していた。二人の動きに合わせるように、物陰から十隻ほどの伝馬船が静かに漕ぎ出していた。島田宗件の手配により、救出した人々を運ぶために待機していたのである。

小屋の周りには二人の見張りがいた。道智と西空は手に鉢を持ち、読経しながら堂々と歩み寄った。見張りが気づく。

「おい坊主! あっちへ行け! 乞食坊主にやる銭などないわ!」

男が道智を蹴り飛ばそうと足を上げた。道智は身を翻してかわすと、一瞬で錫杖を振り上げ、男の肩口へ打撃を叩き込んだ。バキッという音とともに男が崩れ落ちる。

もう一人の男が刀を抜いて襲いかかってきたが、西空が繰り出した強烈な右ボディブローが一閃した。

西空には伝説があった。かつて北国での修行中、人里へ下りてきた巨大なツキノワグマと遭遇し、村人を守るため鎖帷子を纏って熊と組み合い、素手で殴り殺したという逸話である。以来、「熊和尚」の異名を持つ西空の拳は、人命を易々と奪い兼ねない威力を秘めていた。

異変を察し、小屋の中から五人の男たちが刀を手に飛び出してきた。その後ろから佐平次が姿を現す。

「くそ坊主! やはり生きてやがったか! 前回は油断したが今度はそうはいかねえぞ! てめえら、やっちまえ!」

五人の刺客が二人を取り囲む。死修羅場をくぐってきた男たちだ。西空が喉を震わせて密教の呪文を唱えた。

「南無大師遍照金剛……空海上人の御心を理解できぬ地獄の亡者どもよ。なぜ罪なき女子を異国へ売り飛ばすか! 地獄へ落ちるがいい!」

首に巻きつけていた数珠を右手にぐるぐると巻きつけ、西空は仁王立ちになった。

「やれっ!」

左右から同時に刀が振り下ろされる。

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウーン……!」

光明真言を口ずさみながら、西空は右からの斬撃を数珠を巻いた右手で受け止めた。金属音が響く。左からの斬撃を身体を捻ってかわすと、丸太のような左の手のひらで強烈な張り手を叩き込んだ。

バゴォッ!

左の男は吹き飛ばされ、壁に激突して動かなくなった。右の男が体勢を立て直して突きを繰り出してきたが、道智の錫杖が正確にその小手を砕いた。男は悲鳴を上げて刀を落とした。

単筒

小手を打ち砕かれた男は激痛に戦意を喪失した。五人いた刺客は、一瞬にして二人へと減っていた。

道智は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら錫杖を構え、西空は「南無大師遍照金剛」と叫びながら数珠を握りしめている。その威圧感に気圧され、残った男たちはじりじりと後退した。

不利を悟った佐平次は、小屋に向かって悲鳴のような声を上げた。

「ペトロ様! 早く来てください!」

小屋の奥から、一人の異人が歩み出てきた。西空と目が合った瞬間、激しい爆音が轟いた。

ズドン……!!

大柄な西空の身体がぐらりと揺れ、崩れ落ちた。短筒(短銃)である。右胸を撃ち抜かれていた。

ペトロと呼ばれた男は使い果たした短筒を投げ捨てると、懐からもう一丁を取り出し、即座に道智へ向けた。道智は西空へ駆け寄った。

「西空殿! 無事か!?」

「うむ……鎖帷子を着込んでおったおかげで、なんとか命は繋ぎ止めた……ぐっ」

さすがの熊和尚も、至近距離からの弾丸の衝撃には苦悶の表情を浮かべた。

道智は短筒を構えるペトロと正峙した。ペトロは不気味なほど流暢な日本語で語りかけた。

「……サタンめ」

「ペトロと申したな。お主が娘たちを売り飛ばしている一味の首領か?」

「オー、私は首領ではないですよ」

「イエズス会が黒幕なのか!?」

「私たちはただの商人。司祭様たちとはビジネスの付き合いですよ。司祭たちは頭が堅すぎて付き合いきれませんね」

当時、イエズス会はカトリック内部の改革を推進し、厳格な規律を保っていた。本来キリスト教は奴隷制度を否定する立場であったが、現実の利権と貿易の前では黙認せざるを得なかったのである。

「私たちの顧客は日本の大名たちですよ。彼らの考えは私たちと同じだ。自国を守るために火薬が欲しい。だから娘たちを売る。大名たちは威張っていますが、間もなくポルトガルの軍隊が来て、日本もマカオと同じように植民地になりますよ。まあ、日本人は小さくて頭が悪いから、私たちが管理してあげましょう」

ペトロはスペイン人であり、短筒の腕買われてポルトガル商人ステファンの用心棒を務めていた。単純だが警戒心の強い男であった。

「……よく喋る男だな」

道智はじりじりと横へ移動した。ペトロの銃口が道智の動きを追う。本気で引き金を引く気であることが瞳の色で分かった。正面に銃、周囲には刀を構えた男たち。絶体絶命の危機であった。

「ペトロ様、時間がない! 早く始末してくれ!」

佐平次が叫ぶ。だがペトロは慎重であった。道智がただの僧侶ではないことを見抜いていたからだ。下手に接近すれば返り討ちに遭う。確実に仕留めるため、間合いを詰めようとしていた。予備の弾丸はないのだ。

その時、残りの男二人が同時に斬りかかってきた。有利と見て焦った攻撃であった。

道智の錫杖が右の刀をすり抜け、男の顔面を強打する。さらに身を翻して左の斬撃をかわすと、もう一人のスネへ強力な蹴りを叩き込んだ。二人同時に沈む。

その隙を逃さず、道智は懐から独鈷杵を取り出すと、ペトロへ向けて一気に投げつけた!

ヒュンッ!

ペトロは間一髪で首を捻り、金属片をかわした。そして壁際に追い詰められた道智へ向け、再び銃口を固定する。

「強いお坊さん……これで終わりですよ」

銃口が道智の額を捉えた。その時であった。遠くから大勢の叫び声が響き渡ってきた。

山伏・准山

「六根清浄……! 六根清浄……! 六根清浄……!」

十数人の男たちの重厚な掛け声が迫ってくる。山伏たちであった。先頭の男が大声を張り上げる。

「道智殿! 助太刀に参ったぞ! 爺様から事情は聞いている! 我らの聖地を異人どもに好き勝手されてたまるか!」

ペトロが思わず振り向いた。

山伏の頭領・准山(じゅんざん)が深々と息を吸い込み、腹の底から喝を吐いた。

「——喝ぁっ腹ぁぁッ!!!!」

その瞬間、ペトロの身体が金縛りに遭ったように完全に硬直した。ペトロは恐怖に目を見開いた。准山が得意とする秘術「金縛りの術」であった。

その僅かな隙を道智は見逃さなかった!

ズドンッ!

硬直が解けかけたペトロが苦し紛れに引き金を引いたが、弾丸は逸れて空を穿った。直後、ガツンと重い鈍音が響き、ペトロは崩れ落ちた。背後には、太い金剛杖を構えた髭面の准山がニヤリと笑っていた。

「……助かったぞ、准山殿」

道智が礼を言うと、准山は親しみやすい笑顔を浮かべた。

「礼には及ばん。囚われている娘たちはあの小屋だな? よし、任せとおけ!」

准山は山伏たちを率いて小屋へと飛び込んでいった。道智は胸を撫で下ろした。

「……小太郎たちは、うまくやっているだろうか」

道智は橘湾の沖合に浮かぶ、黒い南蛮船の影を見つめた。

【南蛮船の甲板】

恵瓊と小太郎は甲板へ侵入を果たしていた。見張りを倒したものの、異国の構造になじみがなく、内部への入口が見つからずにいた。探索の末、恵瓊が重々しいハッチを発見した。

「小太郎……キツネ狩りと行こうか」

恵瓊は懐から火を点けた煙筒(煙幕)を取り出すと、ハッチをこじ開けて内部へ投げ込んだ。そして二人は扉の両脇へ身を潜めた。

直後、怒号と悲鳴が巻き起こり、煙に巻かれた男たちが雪崩を打って飛び出してきた。大柄なスペイン人の用心棒たちであった。異国の言語で叫びながら、火災と誤認して逃げ出してきたのだ。

恵瓊の手には、鋭く研ぎ澄まされた実戦用の「三鈷杵(さんこしょ)」が握られていた。

「いくぞ!」

恵瓊が異人たちの渦へ飛び込んだ。小太郎も慌てて一人のスペイン人に襲いかかったが、体格差は絶望的であった。振り向きざまに強烈な拳を顔面に受け、小太郎は一撃で吹っ飛ばされた。

意識が遠のく中、小太郎は恵瓊の戦いを目撃した。

恵瓊の強さは凄まじかった。巨体の異人たちを相手に、洗練された体術と三鈷杵の打撃で次々と倒していく。小太郎はその光景を最後に、意識を失った。

頬を叩かれ、小太郎は目を覚ました。

甲板には無数の異人たちが倒れていた。目の前では、着物を破られた恵瓊が荒い息を吐いていた。

さすがの恵瓊も、巨漢の用心棒たちを相手にした格闘で体力を消耗していたのだった。

「……異人どもは、なぜこれほど身体が大きく力が強いのか。やはり肉を食しているからであろうか……」

恵瓊は妙に感心した様子で呟いた。

大友左馬之助

小太郎は頭を振りながら起き上がった。

「恵瓊様……みなさんを殺してしまったのですか?」

「殺生はしておらん。急所を突いて動けなくしただけだ。だが小太郎、じきに目を覚ます。今のうちに捕らわれている女子たちを救い出すのだ」

恵瓊はそう言うと、船内へ通じる階段へ飛び込んだ。小太郎も急いで後に続く。

階段を下りると、薄暗く広い船倉へ出た。そこには、身ぐるみを剥がされた四十人近くの娘たちが縛られていた。

全裸の少女たちの姿に小太郎は目のやり場に困ったが、部屋の隅にまとめられていた衣類を抱えると、目を瞑りながら縄を解き、衣類を投げ渡していった。町人や農家の娘たちの中に、十歳ほどの幼子まで混ざっていた。

その時、奥の重々しい扉の錠前が外れる音が響いた。

小太郎たちが下りてきた階段の反対側から、全身黒づくめの男が静かに歩み出てきた。黒い羽織に黒い袴。

しかし、その顔立ちは彫りが深く、瞳は鮮やかな青色であった。腰には短筒を収めた革帯を巻き、背には大刀を背負っている。異様な威圧感に、恵瓊も小太郎も息をのんだ。

「……待て。貴様ら、何者だ。何ゆえこの船に侵入した」

男は静かな足取りで間合いを詰めてくる。恵瓊は身体の芯に力を込め、構え直した。

恵瓊には分かっていた。この男がこれまで対峙した誰よりも強いということが。恵瓊は幼少より古流武術、柔術、さらには明(中国)や琉球から伝わった格闘術に至るまで、あらゆる武芸を極めたストイックな求道者であった。

無駄な肉のない引き締まった体躯、哲学者ような穏やかな顔立ちの中に、鋭利な刃物のごとき眼光が宿っていた。

曹洞宗の開祖・道元の教えである「修証一如(坐禅の修行そのものが成仏であるという教え)」を真摯に実践しつつ、武の修練を重ねてきた異色の僧・恵瓊。彼は警戒を強めながら問うた。

「……お主こそ、何者だ」

暗がりの方へと少しずつ身を寄せ、優位な位置を探る。

「……わしか。わしは『大友左馬之助(おおともさまのすけ)』という。そなたらは徳川の回し者か?」

「大友」の名を聞き、恵瓊の脳裏にキリシタン大名・大友宗麟(そうりん)の姿がよぎった。豊後をはじめ九州六か国を支配した九州の雄であり、南蛮貿易による強力な兵器を手に入れるためキリスト教へ帰依した野心家である。

「……徳川とは無関係だ。我らは捕らわれた女子たちを救うために来た」

「……ほう。そうか。それは惜しいことをしたな。これほどの腕を持つ坊主には出会ったことがない。斬るには忍びないのだが……」

左馬之助はすり足で、一気に間合いを詰めてきた!

恵瓊は刀の恐怖と間合いを熟知していた。常に刀の届かない絶対領域を保ちつつ、相手の出方を鋭く見極めるのだった。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください