ヘトマトの謎 (再編版)

奇祭との出会い

長崎県五島列島・福江島の下崎山町(しもさきやまちょう)という地域に、ある祭りがある。

その名は「ヘトマト」。奇妙な名前と内容から「奇祭」と呼ばれている。

父が五島・宇久島(うくじま)出身である私も、ニュースで名前を聞くだけで、実際の祭りを見たことはなかった。

同じ五島列島でも、反対側に位置する三井楽町(みいらくちょう)出身の知人に聞いても、「名前は知っているけれど、見たことはない」と言う。

私自身、父の故郷である宇久島には高校生まで毎夏通っていたし、その後も福江島へキャンプや観光で訪れたことがあった。

そのため、国指定の重要無形民俗文化財でもあるこの「ヘトマト」の存在がずっと気になっており、詳しく調べてみることにした。

ネットで検索すればすぐに分かるだろう――そう高を括っていたが、これが大苦戦の始まりだった。

「ヘトマト」に関するページは数多くヒットするものの、解説はどれも揃って「古来より下崎山町に伝わる奇祭で、起源や語源については全く不明」の一点張り。

完全に取りつく島がない状態だったのだ。

「ヘトマト」とはどんな祭りなのか?

地元の公式資料や案内を整理すると、その概要が見えてくる。

毎年1月中旬〜下旬(小正月)に下崎山地区で行われるこの行事は、豊作・大漁・子孫繁栄を祈願する伝統的な民俗行事だ。

当日、白浜神社境内での「宮相撲」から始まり、御幣(ごへい)を掲げたハタモチを先頭に町内を巡行。海岸近くで着飾った新婦2人が酒樽に乗って行う「羽根つき」、体にスス(ヘグラ)を塗った若者たちがわら玉を奪い合う「玉蹴り(玉せせり)」、豊作と大漁を占う「綱引き」と続く。

最後に巨大な「大わらじ」が登場して山城神社へ奉納されるが、その道中、見物の未婚女性を次々と捕まえては大わらじに乗せ、胴上げを行う。

順序行事名内容

特徴1
宮相撲白浜神社境内で行われる前座の相撲

2
ハタモチ巡行御幣を掲げ、鉦(かね)を鳴らして町内を巡る

3
羽根つき酒樽の上に新婦2人が乗り、羽子板を突く

4
玉蹴り体に「ヘグラ(スス)」を塗った若者がわら玉を奪い合う

5
綱引き青年団と消防団(かつては浜側と陸側)に分かれて勝負する

6
大わらじ奉納巨草履を山城神社へ奉納。

途中で未婚女性を乗せて胴上げするまるでトライアスロンのように、次々と脈絡のない演目が展開される。

これこそが「奇祭」と呼ばれるゆえんだ。

神社の由来と「ヘグラ(スス)」の謎神事である以上、神社の成り立ちが気になる。

出発地である白浜神社の祭神は「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」。

海の神・航海の神として非常に有名だが、「ヘトマト」の奇抜な内容とどう結びつくのかピンとこない。

次に注目したのが、身体に塗るスス――「ヘグラ」だ。調べてみると、「ヘグラ」や「ヘグロ」とは竈(かまど)や鍋に付く「スス」を指す方言で、長崎や佐賀、鹿児島、沖縄などに残っている。

日本各地には、顔や身体にススを塗り合う祭りが多数存在する。

ススを塗る行為には「魔除け」「無病息災」の意味があるほか、カマドのススが豊富にあることは「食に困っていない(豊かさ)」の象徴でもある。

しかし、なぜ「羽根つき」「玉蹴り」「綱引き」「大わらじ」という勝負事や賑やかな行事を、これでもかと一気に詰め込んで行うのだろうか?

さらに不可解なのがクライマックスの「大わらじ」だ。

巨大なわらじを奉納する祭りは全国にあるが、道中で「見物の未婚女性を捕まえて乗せ、胴上げする」という風習は他に類を見ない。

神事において女性を突発的に参加させるのは本来異例だ。

未婚女性=処女、胴上げ=生殖や子孫繁栄の示喩とも受け取れるが、単なるイベント的興行のようにも見えてくる。

歴史資料と調査から見えた事実どうしても謎が解けないため、私は図書館へ通い詰めることにした。

『新・肥前風土記』『長崎県謎解き散歩』『五島物語』『五島雑学事典』『拓かれた五島史』……いくつもの文献を紐解いた。

そこで見えてきたのは、二つの重要な事実だ。

行事の成り立ちと変化『崎山村郷土誌』(大正7年)や地元の口承によれば、現在の形のヘトマトの記録は明治20年代まで遡ることができるとされる。

また、「宮相撲」がヘトマトと同じ日に統合されたのは昭和30年頃のこと。

つまり、遠い太古から不変のまま受け継がれてきた神事というよりは、時代とともに様々な地域の行事を吸収・合流させて形成された「総合イベント」の側面が強い。

地元の産業と「牛・鯨」郷土史の記述によれば、大わらじの奉納は「農耕で活躍する牛への感謝」や「牛の足休め」の意味があったとされる。

しかし、下崎山地区の歴史をさらに深く掘り下げると、もう一つの重要な産業が浮かび上がってくる。

それが「捕鯨(クジラ)」だ。

新しい切り口

「ヘトマト」と「鯨漁」のつながり五島列島は、かつて大規模な組織捕鯨(鯨組)で大いに潤った地域である。

下崎山地区にも「紋九郎鯨の伝説」をはじめ、捕鯨にまつわる歴史や海難事故の記録が色濃く残っている。

ここで一つ、胸の躍る仮説が浮かんだ。

「ヘトマト」で行われる一連の奇妙な行事を、「鯨漁のプロセス」に当てはめてみると、すべてが鮮やかに繋がるのではないだろうか。

樽の上の「羽根つき」男たちが漁に出ている間、高台(物見櫓=酒樽)から沖や浜の様子を見張り、鯨の到来を木を叩いて(カーン、カーンと音を立てて)村中に知らせた合図の模倣。

ヘグラ(スス)と「玉蹴り」浅瀬に追い込んだ真っ黒な巨鯨に、締め込み一丁で飛び込んで格闘する若者たちの姿。

わら玉(尾ひれのついた球体)は、海の恵みであり神格化された「宝珠(鯨)」そのものを表している。

「綱引き」仕留めた巨大な鯨を、村総出(あるいは牛の力も借りて)浜へ引き揚げる作業。

「大わらじ」と女性の胴上げ解体した鯨の肉をワラで包んで運ぶ様子。

大わらじに小さなわらじが結び付けられているのは「親子鯨」の象徴であり、女性を乗せて高く跳ね上げる胴上げは「鯨の潮吹き」や大漁の歓喜を表現しているのではないか。

つまりヘトマトとは、危険と隣り合わせの鯨漁において、「大集団の士気を高め、大漁を祝い、海で命を落とした鯨や人々の鎮魂と子孫繁栄を祈るために作られた、捕鯨民の総合エンターテインメント神事」だったのではないだろうか。

「ヘトマト」という言葉の語源を推理するでは、なぜ「ヘトマト」という一風変わった名前がついたのか?

ここで私は、ある意外な地域との共通点にたどり着いた。

「沖縄(八重山諸島・竹富町崎山)」である。

五島と沖縄。一見離れた場所だが、両者には興味深い共通点が存在する。

「サキヤマ」という地名と平家落人伝説(竹富島にも五島にも平家伝説が伝わる)。

「御嶽(オン)」と「鬼岳(おんだけ)」(五島のシンボル・鬼岳は、地元では「おんだけ」と呼ばれ、古くから信仰の対象であった)。

鯨・イルカ漁の文化(沖縄ではイルカや小型の鯨を「ピトゥ」と呼ぶ伝統がある)。

伝統行事と踊り(竹富島の十五夜祭での綱引き、五島の「チャンココ」と沖縄の「エイサー」の類似性)。

もし、かつて黒潮に乗って沖縄から五島へ渡ってきた海人(うみんちゅ)や、両方の地域を行き来していた鯨組の人物が、この祭りのプロデューサーだったとしたらどうだろう。

沖縄では、鯨類(イルカ)を「ピトゥ」、祭りを「ウマチー」と呼ぶ。

「ピトゥ・ウマチー(鯨の祭り)」という言葉が五島の地に伝えられ、時代を経て口承されるうちに、「ピトゥ・ウマチー」 → 「ピトマチ」 → 「ヘトマト」と変化していったのではないか。

いささか思い切った推測かもしれないが、竈のススを意味する「ヘグラ」の音も重なり合い、この不思議な名称が定着したと考えれば、非常にドラマチックで辻褄が合うのだ。

結び:海の男たちへ捧ぐ祈り私の家系は代々船乗りだった。

父は五島の宇久島出身、母の実家も船乗りで、男たちは皆、海で命を落とした。だからこそ母は私を海に行かせず、私はカメラマンとなった。

命がけで荒海へ漕ぎ出す海人(海民)たちにとって、祭りとは単なる気晴らしではない。

神に祈り、仲間と団結し、酒を組み交わして生の喜びを分かち合い、再び海へ向かうための切実な儀式だったのだ。

沖縄と五島。遠く離れた二つの島は、黒潮と鯨、そして海を生きる男たちの絆によって確かに繋がっていたのではないか。

「ヘトマトの謎」。

現場に残された状況証拠と歴史の断片を繋ぎ合わせて浮かび上がったこのロマン溢れる仮説こそが、あの奇祭の真実へと至る鍵であると、私は信じている。

 

この文章は下記のブログを再編集したものです

時間探偵 へトマトの謎

https://artworks-inter.net/ebook/?p=196

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