蛇神の裔 ―ヤマト崩壊と再生の神話―

第一章 予兆の街

七月から蒸し暑い日々が続いていた。
福岡・天神の繁華街。ビル群から吐き出される室外機の熱気が、夕暮れの街を歪ませている。

ビルの一角に佇む「山門クリニック」。
院長の山門健(ヤマト タケシ)は、給湯室の換気扇の下で細く煙草の煙を吐き出していた。1mgのケント。精神科医としての日常は、患者たちの心の澱(おり)を静かに受け止め続けることの連続だ。その圧迫感から頭をリセットするために、この一本の煙草と冷めたインスタントコーヒーが不可欠だった。

「ふう……」

山門は窓を少し開け、天神の交差点を見下ろした。
最後の患者は、重度の不登校に陥った男子高校生だった。彼は自分のあらゆる苦痛を「父親のせいだ」と猛烈な言葉で呪っていた。だが山門には、それが激しい愛情の裏返しであり、同時にその感情に苛まれる自己嫌悪の悲鳴であると分かっていた。

(父親、か……)

煙を吸い込みながら、山門はすでに亡き己の父に思いを馳せる。
父は健が三歳の頃に胃癌で去った。女手一つで健を育ててくれた母は優しく我慢強い人だったが、健が十五歳の時に突如として精神を病み、母の実家がある島根の病院に今も入院している。

決定的だったのは、中学二年の秋だった。
普段は山や自然を極端に嫌っていた母が、珍しく健を連れて近くの「石神山」へピクニックに誘った。山頂の古びた神社でお弁当を食べた後、母は導かれるように雑木林の奥にある小さな祠へ歩み寄った。

その時、祠の隙間から、一匹の白い蛇が静かに現れたのだ。
息を呑む健の横で、母は逃げようともせず、ただ金縛りに遭ったように白蛇と対峙していた。蛇もまた母を静かに見つめていた。木漏れ日が二人を鮮やかに浮かび上がらせ、次の瞬間、蛇は消えた。

その夜から、母は言葉を失った。
瞳から光が消え、部屋の隅で膝を抱えるだけの存在となった。
健が精神科医を志したのは、狂気に落ちた母をいつか自分の手で救いたいという、切実な祈りからだった。

夜間高校で働きながら学び、難関の国立大学医学部へ進学した。学費に困窮していた健に手を差し伸べたのが「天野教育財団」であり、その支援のおかげで医師となり、天野病院での臨床研修を経て、この地に開業することができたのだ。

「先生、お電話です」

受付のクラークが声をかけてきた。山門は煙草を消し、診察室へ戻った。

電話の主は、近隣で「心の広場」というカウンセリングルームを開設している臨床心理士の赤瀬川だった。近年増え続けている引きこもりの子どもたちの治療について、情報交換を行っていた人物だ。

『山門先生、先日の患者さんの件ですが……やはり確信に変わりました』
赤瀬川の声は、どこか切迫していた。
「確信、とおっしゃいますと?」

『引きこもりの子どもたちに催眠療法を施す中で、彼らの深層心理の最深部に共通して現れるイメージがあるのです。……『蛇』ですよ』

山門の手が、思わず受話器を強く握りしめた。
「蛇……ですか」

『ええ。彼らは蛇を猛烈に恐れています。しかし同時に、絶対的な神のように崇め、畏怖している。これはフロイト的な男根の象徴といった単純なものではありません。ユングの言う、日本民族の『集合的無意識』の奥底に眠る、原始的な神話の記憶ではないでしょうか』

電話を切った後も、「蛇」という言葉が山門の脳裏に重く居座り続けた。
母の心を壊した白蛇。引きこもりの子どもたちの深層心理に現れる蛇。
そしてその日の夜、ニュースが日本中を揺るがした。

『本日午後四時、新宿駅ホームをはじめ、全国四十七都道府県の路上において、無数の蛇が複雑に絡み合う現象――古くは『蛇こしき』と呼ばれる怪異が同時に目撃されました。SNS上には写真や動画が相次いで投稿されており……』

画面に映し出されたのは、黒、白、黄の斑点の蛇たちが、まるで巨大な一つの生命体のようにうねり、絡み合う異様な映像だった。
街の人々は笑い飛ばそうとしていたが、その声は上擦っていた。誰もが肌で感じていたのだ。これが単なる自然現象ではなく、この日本列島全体を揺るがす「おぞましい予兆」であることを。

 

第二章 封印の血脈

東京・大手町にある巨大な総合病院。「白い巨塔」と称されるその病院の院長室で、天原須佐雄(あまはら すさお)は静かにワイングラスを傾けていた。五十代。鋭い眼光とがっしりとした肉体を持つ、天原財閥の総帥である。

「白鳥。例の計画は予定通り今月で完了だな」

秘書の白鳥と呼ばれた中年女性が深く頷く。
「はい。天原先生。姉君の月子様からもご連絡がございました。『あと二年で、ついに来る』と」
「マヤの古代暦も、あながち間違いではなかったということか」

天原は深く息を吐き、机の上の写真を眺めた。そこには、福岡で開業している山門健の姿があった。

「先生。山門様からご連絡がございました。近いうちにお会いしたいとのことです」
「健君か……。彼は優秀な男だ。街の開業医にしておくには惜しい」
「ええ。目元が、あなたにそっくりですものね」

白鳥の意味ありげな言葉に、天原は静かに目を閉じた。
山門健は知らんのだ。自分が天原財閥の支援を受けた本当の理由を。そして、己の身体に流れる遺伝子の真実を――。

「明後日、銀座の料亭で会うと伝えてくれ。彼のためにロマネ・コンティを開けよう」

その頃、島根の山深くに鎮座する古社。しめ縄が張り巡らされた密室で、白髪の老人――出雲大国(いずものおおくにつ)が静かに佇んでいた。

「月子が……禁を破りよったか」

背後に控える男たち――土雲(つちぐも)、長脛(ながすね)ら八雲会の幹部たちが息を呑む。
「建国以来、我ら出雲族とヤマト族が交わした誓いを破り、黄泉の死者の力を現世に解き放とうとしておる。目的は何だ……」

出雲大国は鋭い眼光を放った。
「かつて倭国と呼ばれた時代、生の世界を治めるヤマトと、死の世界を担う出雲は血の盟約を結んだ。卑弥呼――月読の末裔である月子は、日本列島の地下に眠る『蛇神』を呼び覚まし、この国をリセットしようとしている」

「大国様、いかがいたしますか」
「土雲よ、どのような手を使っても構わん。月子の企みを止めろ。そして、ヤマトの血を引く者たちの動向を探れ」
「はっ」

男たちの姿が、闇に溶けるように消え去った。

第三章 闇の中の交錯

銀座の料亭。個室の静寂の中で、山門健は恩師であり命の恩人でもある天原須佐雄と向き合っていた。

「天原先生、ご無沙汰しております」
「健君、元気そうで何よりだ。開業のお祝いだ、呑んでくれ」

注がれたロマネ・コンティの芳醇な香りが部屋に満ちる。山門は感謝を述べつつも、胸に抱えた疑問を口にした。

「先生、実は最近……引きこもりの患者たちの深層心理を調べる中で、妙な共通点に行き当たったのです。患者たちの誰もが、心の奥底で『蛇』のイメージを共有している」
「ほう……蛇かね」

天原のグラスを持つ手が、わずかに止まった。

「日本列島はその形自体が長い蛇のようでもあります。そして先日全国で起きた『蛇こしき』。先生、古代の神話や遺伝子の記憶が、精神病理として現代人に表出することなどあり得るのでしょうか」

天原は静かにワインを口に含み、神秘的な笑みを浮かべた。
「健君。我々人類のDNAには、太古の記憶が刻まれている。特にこの日本列島に生きる者たちの血にはね。……だが、それ以上深く踏み込むのは危険だ。君は医師として、目の前の患者を救うことだけを考えなさい」

その夜、宴を終えた山門が天神の自宅近くの暗い路地を歩いていた時のことだ。

背後から突如として気配が迫り、猛烈な力で肩を掴まれた。
「な……ッ!?」
「静かにしてもらおうか」

深々と帽子をかぶった大柄な男――土雲の手下たちが、山門の脇腹に硬い拳銃の銃口を突きつけた。酒の酔いも手伝い、身動きが取れないまま、山門は黒塗りの乗用車へと引きずり込まれた。

頭に黒い布を被せられ、連行されたのは無機質な白い部屋だった。
椅子に縛り付けられた山門の前に、冷酷な眼差しを持つ男・土雲が立った。

「山門健と言ったな。天原須佐雄と何の話をしていた」
「何のことだ! 私はただ、恩師と酒を飲んでいただけで……!」
「嘘をつくな。お前たちの血脈が何を目論んでいるのか、出雲は見逃さん」

土雲が部屋を出て行った後、山門は荒い息をついた。一体何が起きているのか。天原先生と出雲という言葉。

その時、静かにドアが開き、毛皮のコートを羽織った美しい女性が入ってきた。
整形された美しい顔立ち。だが、その瞳には見覚えのない深い哀愁が宿っていた。

「健さん……今、縄を解くわ。逃げて」
女性は手際よくナイフで拘束を断ち切った。
「君は……!? なぜ私を助ける?」

女性は一瞬だけ唇を震わせ、切なそうに山門を見つめた。
(健さん……あなたは覚えていないでしょうね。かつて母の入院先で、貧しかった私に優しく声をかけてくれた医学生のあなたを。私が悲惨な運命に弄ばれ、裏社会の人間になろうとも、あの日の光だけは忘れない……)

「早く行って! あの人たちが戻ってくるわ!」
彼女――かつて「己代(みよ)」と呼ばれ、今は「えりか」として裏社会を生きる女性は、山門を押し出すように部屋から逃がした。

第四章 荒神の覚醒

夜の闇の中を逃走する山門だったが、追っ手である土雲の足音はすぐ背後に迫っていた。
行き止まりの路地に追い詰められ、山門は落ちていた木刀を拾い上げ、背水の陣で構えた。

「無駄な抗いを」

土雲が疾風のごとく間合いを詰める。次の瞬間、土雲の指先から放たれた鋭い針が、山門の首筋を深々と刺し貫いた。

「ガハッ……!?」

強力な神経毒が体内に駆け巡る。視界が急速に暗転し、凄まじい激痛とともに全身の筋肉が麻痺していく。山門はその場に崩れ落ち、呼吸すらままならなくなった。

「フン、天原の血引く者も、この程度か」

土雲が侮蔑の笑みを浮かべ、背を向けたその時だった。

――ドクン。

山門の胸の奥底で、何かが跳ね跳んだ。
首筋に注ぎ込まれた神経毒。それが触媒(トリガー)となり、山門の細胞の最深部に封印されていた太古の遺伝子――「素戔嗚尊(スサノオ)」のDNAが爆発的に活性化し始めたのだ。

「……ア、ガガガガッ!!」

山門の口から、人間を超絶した唸り声が漏れる。
メリメリと凄まじい音を立てて骨格が再構築され、全身の細胞が異常なまでの密度と筋力を獲得していく。服が弾け飛び、彼の身体から放たれる圧倒的な鬼気が、路地裏の空気を激しく振動させた。

「何……だと!?」

振り返った土雲の目が驚愕に見開かれる。
土雲の神経毒は、人間の脳と神経を破壊し生ける屍にするはずのものだ。だが、目の前に立つ男の瞳は、吸い込まれるような深い青色に輝き、その身から放たれる威圧感はまさに――神そのものだった。

「ス……サノオ……」

土雲の口から、おののきの言葉が漏れる。
変身や怪異ではない。山門健という男の精神と身体能力が、遺伝子の解放によって「極限」へと覚醒したのだ。

「出雲の者よ……」

山門の声は、地鳴りのように低く響いた。覚醒した彼の脳内には、卑弥呼の意志、天原の意図、そしてこの日本列島の地底から響く悲鳴が、明確な情報として流れ込んでいた。

「私は戦うために目覚めたのではない。この国を救うために覚醒した」

「ぬかせッ!」

土雲が手下とともに一斉に襲いかかる。だが、覚醒した山門の知覚速度と身体能力の前には、彼らの動きは止まっているも同然だった。山門の振るった一撃が土雲の攻撃を完璧に受け流し、一瞬にして圧殺する。圧倒的な力の差に、残された手下たちは悲鳴を上げて逃げ去った。

肩で息をつく山門の耳に、突如として地底からの不気味な地鳴りが届いた。

ズズズズズ……ッ!

「来たか……」

山門は夜空を見上げた。あの3.11の大震災は、単なる前触れに過ぎなかったのだ。出雲とヤマトの確執、引きこもりの人々の深層心理の乱れ――それらすべてに呼応するように、日本列島という名の「巨大な蛇」が、ついに目を覚ましたのだ。

街街の街頭テレビが、一斉に緊急ニュースを報じ始める。
『臨時ニュースをお伝えします! 富士山が噴火しました! 繰り返します、富士山が――』

山門は煙を上げる東の空を睨みつけた。
「富士の噴火すら、前菜に過ぎない。あとわずかで……すべてが沈む」

第五章 空白の21世紀と再出発
午後四時四十四分。
「4」が並ぶ不吉な刻限、地球の地殻が悲鳴を上げた。

太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレート――四つの巨大プレートが同時に崩壊を開始した。

「ウアアアアッ!」

地面が裂け、ビル群が豆腐のように崩れ去る。高さ一〇〇メートルを超える巨大津波が太平洋沿岸を呑み込み、日本中の活火山が一斉にマグマを吹き出した。学者たちの「想定」など遥かに超えた、日本列島そのものが海へと沈没していくメガディザスター。

だが、この未曽有の災厄に対し、打つ手を講じていた者たちがいた。

宮崎県・高千穂の地下深く。天原照子(あまはら てるこ)総理の主導のもと建設されていた巨大ドームシェルター「高天原」と、巨大舟艇「天の浮き船」が起動していた。

天原須佐雄は、シェルターの管制室で宇宙空間を見上げていた。
かつて彼が密かにロケットで打ち上げていた人工衛星。そこには、厳選された日本人の遺伝子情報――精子と卵子が、人類の未来として保管されていたのだ。

「天孫降臨……か。日本列島が蛇の抜け殻のように沈もうとも、我らの遺伝子がある限り、ヤマトは滅びん」

大災害から数年後。

かつて日本と呼ばれた列島は大きく姿を変えていた。富士山は噴火によって一度崩壊したものの、猛烈な地盤隆起によって以前の三倍もの雄大な山容となって聳え立っていた。

高天原シェルターから生還した人々、そして山門健のように「スサノオの遺伝子」を覚醒させ、凄まじい生存能力で人々を救い出した者たちが、新たな大地の麓に集まっていた。

後に歴史家たちが「空白の21世紀」と呼ぶことになる大崩壊を乗り越え、人々は巨大な山の麓――「山門(ヤマト)」に新たな首都の礎を築こうとしていた。

復興の先頭に立つ山門健は、新緑の風が吹き抜ける丘に立ち、遥かなる地平線を見つめていた。

「母さん……見ていてくれ」

彼の隣には、命を賭けて彼を救い出した女性・えりか(己代)の姿があった。
かつて傷つき、闇を彷徨った彼女もまた、新しい時代の光の中で静かに微笑んでいた。

古代より受け継がれてきた輪廻の遺伝子。
過ちと滅びを繰り返しながらも、人は何度でも立ち上がる。
今度こそ、真に平和な世界を創り上げるために――ヤマトの新たな歴史が、ここから静かに動き始めていた。

 

 

この小説はジェミニAIにて校正、編集した作品です。

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