原爆とアメリカと日本
戦争の悲惨さとその責任をどのように捉えるべきか。この重大な問いは、戦後80年以上の時が流れた今日においても、私たち日本人に重く突きつけられ続けている。
太平洋戦争の末期、日本本土は激しい空爆に晒され、全国の都市が焦土と化した。
そして1945年8月、広島と長崎への原爆投下という、人類史上もっとも凄惨な惨劇が引き起こされた。
当時、日本の敗戦はすでに決定的な状況であった。それにもかかわらず、アメリカは大規模な都市爆撃を重ね、二基もの原子爆弾を投下した。
その背景には、戦後の世界秩序においてソ連や中国に対する優位を確保し、強烈に威嚇・牽制するという政治的な思惑が存在していたとされる。
無差別に膨大な民間人の命を奪い去ったアメリカの行為は極めて非道であり、その罪と歴史的責任は果てしなく重い。
しかし、日本が自ら開戦に踏み切り、絶好の終戦の機会を何度も逃して戦争を泥沼化させた事実もまた、重く存在している。
元長崎市長の本島等氏はかつて「天皇にも戦争責任はあると思う」と発言した。この発言に猛反発した右翼団体幹部によって銃撃され、重傷を負う事件が発生したことは極めて遺憾である。
極右の暴力では何も変わらないからだ。
広島の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という有名な言葉が刻まれている。
この碑文の解釈をめぐっては、多様な議論が存在する。
文字通り「日本人が自らの過去の過ちを徹底的に反省している文章」と受け取る見方が一般的である。
一方で、日本が原爆を落とされるような行為をしたから罰を受けたのだ、というニュアンスに解釈されてしまう危うさも否めない。
戦争という行為そのものを強く非難することは、絶対的な前提である。しかし同時に、敗戦間際の日本に対してアメリカが行った無差別爆撃や原爆投下という「アメリカの非道さ」そのものを、事実として正確に語り継がねばならない。
さらに、現在も世界各地で戦争が進行しているという現実を私たちは見つめなければならない。
戦争とは、単なる悪ではなく「互いの正義と正義のぶつかり合い」によって引き起こされる。
だからこそ、平和は単に祈るだけでは守れない。
所詮、国際社会の平和は「各国のパワーバランス」によってのみ維持されているのが冷徹な現実だ。
国として戦争を起こさせないための最大限の政策や防衛・外交戦略を講じること。
戦後10年目に生まれた著者が抱く率直な思いは、歴史の非道さを告発すると同時に、この厳しい現実を直視して行動することの重要性を私たちに突きつけている。


