韓国サッカー「性接待疑惑」の裏側

 

サッカーはフェアプレーのスポーツである。子供たちはそう教えられる。相手を尊重しろ。審判を尊重しろ。ルールを守れ。勝つためなら何をしてもいいわけではない。実に美しい話である。ところが大人になってサッカー協会に入ると、どうやら別の教科書が配られることがあるらしい。

2026年8月、韓国サッカー界から、とんでもない過去が掘り起こされた。

韓国サッカー協会(KFA)が2011~2012年、国際試合を担当するため訪韓した外国人審判や関係者に対し、不適切な性的接待を提供していたとされる問題である。しかも、その費用の一部には協会の法人カードが使われたと報じられている。

ここまで来ると「個人的なお遊びでした」という逃げ道はかなり狭い。法人カードとは組織の金である。普通の会社員が出張先で同じことをして経理に領収書を出したら、翌朝には上司から電話が来るだろう。ところがサッカー協会なら、それが「国際交流費」になるのだろうか。ずいぶん体を張った国際親善である。

日本人主審も該当か 韓国サッカー協会、外国人審判に性接待疑惑 | 毎日新聞

今回の話が特に悪質に見える理由は、接待の相手が試合の判定に関係する人々だったことである。

審判とは、公平性そのものである。その人物に試合を運営する側が特別な接待をする。これで「判定には一切影響ありません」と言われても、普通の人間なら首をかしげる。もちろん、接待をしたという事実だけで八百長まで証明されたことにはならない。しかし、これは法律の法廷ではなく、スポーツへの信用の話である。

試験を採点する先生を、試験前夜に受験生の親が豪華接待して、「安心してください。採点には影響していません」と言われて、「ああ、それなら安心ですね」となる人がどれほどいるだろう。スポーツの信用とは、そんなに便利なものではない。

 

報道では、問題となった7試合で韓国代表は5勝2分けだったとされている。負けなしである。もちろん、だから八百長だったとは断定できない。しかし、出来すぎた数字を前にして、「偶然です。以上」で話を終わらせろというのも無理がある。

少なくとも、試合映像や判定を改めて検証したくなるのは当然である。疑惑というものは、証拠が出て初めて生まれるのではない。「これは変ではないか」というところから調査が始まる。それを最初から「証明されていません」で封じれば、調査という仕事そのものが必要なくなる。

 

さらに困ったことに、接待を受けたとされる外国人関係者の中には日本人も含まれていると報じられている。ここで日本人は急に姿勢を正さなければならなくなる。

「韓国サッカーはひどいな」と笑っていたら、「日本人の名前も出ていますよ」と言われたからである。これは確認すればよい。受けたのか、受けなかったのか、何を知っていたのか。本人に聞き、記録を調べ、結果を公表すればいい。妙な忖度は必要ない。韓国人だろうが日本人だろうが、審判という立場で不適切な利益を受けていたのなら問題である。国際交流にも、さすがに交流してはいけない部分がある。

 

そして今回のニュースを聞いて、多くのサッカーファンが思い出したものがある。2002年日韓ワールドカップである。韓国対イタリア、韓国対スペイン。あの大会の判定をめぐっては、20年以上たった現在でも議論が残っている。今回の事件は2011~2012年の話なので、これだけを根拠に2002年まで不正だったと断定することはできない。しかし、人間の信用とは厄介なものである。一度、「外国人審判への接待が組織的に行われていた」という話が出れば、「では、いつからやっていたのか」という疑問が出る。当然である。昨日泥棒をした人間が捕まったからといって、一昨年の泥棒までその人がやった証拠にはならない。だが警察なら、「一昨年の事件も調べてみよう」となる。それが普通の反応である。2002年大会まで疑いの目を向けられるのは、誰かが韓国を差別しているからではない。信用という貯金を自分たちで取り崩した結果である。

そして私は、性的接待そのもの以上に気になる数字がある。2016年である。この問題は韓国文化体育観光部の監査で、すでにその頃には把握されていたとされる。それが2026年になって大きく報じられた。約10年である。10年あれば、小学生は成人する。スマートフォンは何世代も変わる。サッカー選手なら若手がベテランになる。ところが不祥事だけは鮮度を保ったまま冷凍保存されていた。実に優秀な保存技術である。なぜ表に出なかったのか。誰が知っていたのか。誰が処理したのか。なぜそこで終わったのか。今回、本当に掘るべきなのはマッサージ店の話ではない。こちらである。接待そのものは下品な話である。しかし、それを知りながら巨大組織の中で長期間処理できてしまう仕組みが存在したのなら、そちらの方がはるかに怖い。

韓国では代表サッカーが単なるスポーツ以上の意味を持ってきた。

代表が勝てば国民的英雄。負ければ監督が袋叩き。協会幹部の人事まで国家的ニュースになる。それほど勝敗への熱量が強い。もちろん熱狂そのものは悪くない。問題は「勝つこと」が大きくなりすぎると、いつの間にか「どう勝ったのか」より「勝ったかどうか」だけが重要になってしまうことである。スポーツが国家の名誉を背負いすぎると、フェアプレーという言葉は時々、開会式で読む標語にまで格下げされる。選手には正々堂々を求める。国民には応援を求める。スポンサーには金を求める。そして審判には――。この先は今回の調査に任せよう。

ここで「韓国人はみんなこうだ」と言い出す必要はない。そんなことをしなくても、今回問われている事実だけで十分に重い。むしろ民族論に逃げると、KFAという具体的な組織の責任がぼやける。問題なのは韓国人のDNAではない。もし報道されている内容が事実なら、国際試合を運営するサッカー協会が、審判関係者への不適切な接待を組織の金で処理できたことである。それだけで十分に異常なのである。

 

現代サッカーは恐ろしく厳密である。選手のつま先が数センチ出ればオフサイド。腕にボールが当たれば映像を何度も確認する。ユニフォームを少し引っ張っただけでもVARが巻き戻される。選手には逃げ場がない。何台ものカメラが見ている。ところが、スタジアムを一歩出て背広を着た大人たちの世界になると、急に映像がなくなる。これほど不思議なこともない。選手にはVAR。審判にも評価制度。では協会幹部には何があるのか。監査はあった。報告書もあった。しかし大問題になるまで約10年かかった。

それなら今回必要なのは、ゴール前のVARではない。サッカー協会の会議室と法人カードにVARを付けることである。しかも映像確認は90秒では足りない。10年前まで巻き戻さなければならない。

そして最後に一番皮肉なのは、この事件である。ピッチの上では選手たちが汗だくになって、一点を取るために走っている。サポーターは声を枯らして応援している。子供たちは代表選手に憧れている。そして大人たちは子供たちに言う。

「スポーツマンらしく、正々堂々と戦いなさい」

その言葉だけは、実に正しい。だから今度は、その言葉を子供たちから借りて、サッカー協会の偉い人たちに返してあげればいい。

「大人なんだから、正々堂々と全部話しなさい」

たぶん今回の騒動で最も難しいルールは、オフサイドではない。それである。

 

そして最後に、一番皮肉なのはここである。

ピッチの上では、選手のつま先が数センチ出ただけでVARが止める。ユニフォームを少し引っ張っても、何台ものカメラが見逃さない。今のサッカーは、それほどまでに公平を求める競技になった。

ところがスタジアムの外に出ると、その公平さは急に視力が落ちるらしい。

選手にはVARがある。審判には評価制度がある。では協会幹部には何があるのか。

監査報告書はあった。記録もあった。それでも大問題になるまで約10年かかった。

ならば今回必要なのは、ゴール前のVARではない。

法人カードの利用明細にVARを付けることである。

しかも「オンフィールドレビュー」では足りない。

10年前まで映像を巻き戻し、誰が誰を接待し、誰が知っていて、誰が黙っていたのかまで確認しなければならない。

サッカーでは、疑わしいプレーがあれば主審がモニターを見る。

今回の問題でも、そろそろ韓国サッカー協会の偉い人たちには、モニターの前に立ってもらった方がいい。

ただし一つだけ違う。

普通のVARなら判定は数分で終わる。

今回の場合、確認する映像が10年分ある。

そして判定が出たころには、たぶん誰かがこう言うだろう。

「接待は確認されました。ただし、ゴールには影響していません」

そこまで言えたら、もうサッカーではない。

コントである。

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