日本は「嫌われる勇気」を 非核三原則の破棄
日本では長い間、「平和を願うこと」と「国を守ること」が、なぜか同じ話として語られてきた。
もちろん平和は大切である。戦争などしない方がいいに決まっている。しかし戦争の困ったところは、こちらが「本日は戦争を希望しておりません」と札を出しても、相手まで休業してくれるとは限らないことである。
ここで考えたいのが、日本の非核三原則である。
「持たず、作らず、持ち込ませず」という原則は、被爆国日本の理念として大きな意味を持ってきた。しかし現実を見ると、日本は自前の核兵器を持たない一方、安全保障の最後の部分では米国の核抑止に依存している。
つまり「私は核兵器を持ちません。しかし何かあったら核兵器を持っている友人に助けてもらいます」という構造である。
清貧を掲げながら、隣の大富豪のクレジットカードを緊急時用に預かっているようなものだ。
これは善悪ではない。現実として日本が選択している安全保障政策なのである。
問題なのは、非核三原則という「手段」が「目的」になってしまうことである。
国家の目的は非核三原則を守ることではない。国民の生命、領土、主権を守り、戦争を起こさせないことである。
日本の歴史を振り返ると、このことはよく分かる。
13世紀、元は二度にわたって日本へ攻めてきた。いわゆる元寇である。日本を救ったのは神風だった、と昔はよく教えられた。しかし実際には、鎌倉武士が激しく抵抗し、特に二度目の弘安の役までには博多湾岸に石築地を築き、防衛体制を強化していた。
もちろん暴風も大きな役割を果たした。しかし武士たちが海岸に座って「我々は平和を愛しております」と念仏を唱えていたわけではない。
まず戦ったのである。
16世紀になると、今度は鉄砲が日本へやってきた。
1543年に種子島へ伝来すると、日本人は驚くほど短期間でこれを国産化した。やがて各地で大量生産され、戦国大名たちは新兵器として積極的に利用した。
日本が西洋の植民地にならなかった理由を鉄砲だけで説明することはできない。地理、人口、政治体制、経済力、西洋諸国側の事情など多くの要因がある。
しかし少なくとも当時の日本は、「船を何隻か送れば簡単に占領できます」という国ではなかった。
さらに幕末になると、西洋列強の軍事力を目の前で見せつけられた日本は、驚くほど急速に近代化へ向かった。
明治政府は軍隊を近代化し、造船所を作り、兵器を国産化し、産業を育てた。
好き嫌いは別として、当時の日本人は一つの現実を理解していた。
弱ければ、こちらの都合とは関係なく強国の都合で運命を決められる。
その恐怖が近代化の巨大な原動力になったのである。
ここで対照的に考えさせられるのがチベットである。
1950年、中国人民解放軍がチベット地域へ進軍した。当時、双方の軍事力には圧倒的な差があった。チベットには近代的な軍事力も十分な国際的支援もなく、1951年には十七か条協定が結ばれ、その後、中国による統治が強まっていった。
もちろんチベットの歴史は複雑である。国際的地位、中国との歴史的関係、大国の外交判断など様々な問題があり、「軍隊が弱かったから中国に取られた」と一言で片付けるべきではない。
しかし安全保障上の教訓は重い。
自分を守る力が弱く、しかも助けてくれる国が現れなければ、正しさを訴えるだけでは政治的運命を守れないことがある。
国際社会には国内社会のような警察がない。
国連は重要である。しかし泥棒が玄関を蹴破っている最中に国連総会を開いてもらい、各国代表の演説を聞き、決議文の表現を調整している間に、泥棒は冷蔵庫からビールを出しているかもしれない。
だから国家に必要なのは、「攻めないこと」だけではない。
「攻めても得をしない国」になることである。
ここで北朝鮮を見ると、さらに皮肉な現実が見えてくる。
北朝鮮は豊かな国ではない。それでも莫大な資源を核兵器とミサイル開発へ投入してきた。
なぜか。
北朝鮮指導部にとって核兵器は、体制存続のための究極の保険だからである。
イラクのフセイン政権は崩壊した。リビアのカダフィ政権も崩壊した。北朝鮮がそこから「核を手放せば危ない」という教訓を得たとしても不思議ではない。
国民生活という尺度なら北朝鮮の政策は問題だらけである。しかし「政権を生き残らせる」という一点については、彼らは恐ろしく現実主義的である。
だからといって、日本も直ちに核武装すればいいという話ではない。
独自核武装には莫大な費用、外交的損失、NPT体制との問題、周辺国の軍拡、核兵器の管理、指揮統制など巨大な代償が伴う。
しかしだからこそ、「日本は未来永劫、世界がどう変化しようとも絶対に核という選択肢を考えません」と、自分から永久保証する必要まであるのかは議論してよい。
非核三原則を見直すことと、核兵器を製造することは全く違う。
「安全保障環境が根本的に変われば、あらゆる選択肢を再検討する」
これだけでも相手国の計算には一つの変数が増える。
ただし、それだけでも足りない。
戦争を始める指導者が、こちらの政策を賢く分析してくれる保証などないからである。
だから日本が目指すべきなのは、相手が賢くても愚かでも、判断を間違えても、簡単には屈服させられない国家である。
強い通常戦力、ミサイル防衛、反撃能力、弾薬と燃料の備蓄、基地の分散、サイバー防衛、国民保護、経済力、技術力、そして信頼できる同盟である。
要するに、
「日本と戦争をすると、とんでもなく面倒くさい」
と思わせればいい。
ここでアドラー心理学を題材にした『嫌われる勇気』を思い出す。
個人心理学を国際政治へそのまま持ち込むことはできない。しかし比喩としては面白い。
日本が防衛力を強化すれば、中国や北朝鮮から批判されるだろう。「軍国主義だ」と言われるかもしれない。
だから何なのだ、という話である。
中国に褒めてもらうために日本の安全保障政策を決めているわけではない。
もちろん、わざわざ嫌われる必要もない。外交で友人を増やし、貿易を行い、文化交流を続ける。それも重要な安全保障である。
しかし、好かれるために自国の安全を差し出す国家ほど、相手にとって扱いやすい国もない。
元寇の武士たちは抵抗した。
戦国日本は新しい武器を猛烈な勢いで取り入れた。
幕末の日本人は西洋列強との力の差を見て、国そのものを作り替えた。
そしてチベットの歴史は、自分の運命を決める力を失った時、国際社会が必ず助けてくれるわけではないという厳しい現実を示している。
時代も条件も全く違う。しかし、そこから一つの教訓を取り出すことはできる。
国家の独立は、善意だけでは守れない。
平和は美しい。
非核という理念も美しい。
清貧も個人の生き方としては美しい。
しかし国家安全保障は、美しさを競うコンテストではない。
国家の第一の責任は、国民を守り、生き残ることである。
守るべきものは非核三原則という言葉ではない。
日本という国と、そこに暮らす人々である。
そのために非核三原則が役立つなら守ればいい。役に立たなくなれば変えればいい。核共有でも、通常戦力でも、同盟でも、必要ならあらゆる選択肢を検討すればいい。
平和を愛することと、戦える能力を持つことは矛盾しない。
むしろ逆である。
本気で戦争を避けたいのなら、「この国とは戦争をしたくない」と相手に思わせなければならない。
「我々は平和を愛した国でした」と墓石に刻むことなら、国が滅びてからでもできる。
国家安全保障の仕事は、そんな立派な墓碑銘を書くことではない。
墓石そのものを建てなくて済む国を作ることである。



