リアリティーショーという現代の野次馬文化
リアリティーショーがサブスクを席巻している
Netflixなどの動画配信サービスを眺めていると、リアリティーショーがずいぶん増えた。特に目立つのが恋愛系である。若い男女を集めるだけでなく、中高年、特殊な経歴を持つ人、デジタル機器を捨てて旅をする男女など、設定も細分化されている。
もはや一時の流行というより、サブスクを支える一つの柱になりつつある。AIのイメージ画像
「物語を見る」から「人間を見る」へ
なぜこんなものが流行るのか。
一番大きいのは、我々が「物語を見る時代」から「人間を見る時代」へ移ってきたからではないか。ドラマなら脚本家が話を作り、俳優が演じる。しかし恋愛リアリティーショーでは、「あの二人はくっつくのか」「あいつは裏切りそうだ」「この人は本当に泣いているのか」と、出演者本人を観察する。
要するに、テレビ番組というより豪華な井戸端会議である。
SNSが「他人の人生」をコンテンツにした
この仕組みはSNSと非常に相性がいい。
昔は「有名人だから私生活を見たい」だった。しかし今は逆である。
「私生活を見せたから有名人になる」のである。
番組が終わってもSNSで出演者を追える。恋愛、破局、結婚、喧嘩、炎上まで続けば、人生そのものが連続ドラマになる。
つまりリアリティーショーとは、ある意味では「高級なSNS」である。一般人の人間関係をプロのカメラと照明と編集と音楽で料理して世界へ配信しているのである。
サブスク会社にとって実に都合がいい
映画なら2時間で終わる。しかし恋愛なら、出会い、嫉妬、三角関係、告白、破局、復縁といくらでも引っ張れる。
しかも視聴者が気になるのは物語ではなく人間関係なので、「次はどうなる?」が続く。「あと一話だけ」が積み重なれば、翌月も会員でいてくれる。
サブスク会社にとって最も大切なのは、必ずしも映画史に残る傑作を作ることではない。
解約ボタンを押させないことである。
芸術論より、こちらの方が経営会議では説得力がある。
「リアルだから面白い」という大きな矛盾
ところが、ここから話がおかしくなる。
リアリティーショーは「リアルだから面白い」と宣伝する。しかしカメラを向けられた人間が本当に普段通りなのかは怪しい。
さらに何十時間もの映像から数分を切り出し、音楽を付け、順番を組み替えれば、善人、悪人、泣き虫、裏切り者、嫌われ者という「役柄」を作ることができる。
つまりリアリティーショーとは、現実そのものではない。
「現実を材料にして作ったドラマ」なのである。
問題は、ドラマと違って出演者には本物の人生があることである。
面白い出演者ほど危険になる
日本でも『ラヴ上等』など、普通とは少し違った経歴を持つ出演者を前面に出した恋愛リアリティーが登場している。
制作側から考えれば理由は簡単である。
普通の人が普通に食事をして、普通に恋愛して、普通に寝ましたでは番組にならない。
そこで変わった経歴、激しい性格、複雑な過去を持つ人を探したくなる。
しかし、その「面白い過去」が本物なら、その向こう側には家族、元恋人、友人、ときには被害を受けた人まで存在する。
ドラマなら悪役が悪事を働いても、監督が「はい、カット」と言えば終了である。
リアリティーショーではそうはいかない。
現実を売り物にした以上、現実が番組の外から殴り込んでくるのである。
出演者そのものが商品になる怖さ
もう一つの問題が誹謗中傷である。
ドラマなら嫌な人物を演じた俳優と役柄は一応別人である。しかしリアリティーショーでは、その境界が非常に曖昧になる。
「あいつは性格が悪い」「この人は信用できない」「こいつが嫌いだ」。
視聴者は作品の感想を書いているつもりでも、批判されている側は架空の登場人物ではなく生身の人間である。
さらに厄介なのは、視聴者が見ている「その人」が本当にその人なのか、という問題である。何十時間、何百時間と撮影した映像から、制作側が面白い部分だけを抜き出しているからだ。
編集によって一人の出演者を「嫌われ役」に仕立てることも理論上は可能である。本人は普通に生活していたつもりでも、放送後には全国から「最低な人間」と評価される。これはなかなか恐ろしい。
それでもリアリティーショーはなくならない
では今後どうなるのか。
おそらくリアリティーショーそのものは消えない。むしろ細分化していくだろう。
若者の恋愛だけではない。中高年、再婚、地方生活、職業、共同生活など、「人間をある条件の箱に入れて観察する」という企画はいくらでも考えられる。
そしてAI時代になれば、視聴者の好みに合わせて「あなたが好きそうな出演者」「あなたが怒りそうな人物」「あなたが応援したくなる恋愛」まで分析される可能性がある。
ここまで来ると、番組が人間を観察しているのか、サブスク会社が視聴者を観察しているのか、よく分からなくなる。
人類が最新技術でたどり着いた場所
そもそも人間は昔から他人の人生を見るのが大好きである。
村の噂話、井戸端会議、王侯貴族の恋愛沙汰、週刊誌、ワイドショー、SNS。媒体が変わっただけで、人間の好奇心そのものはたいして変わっていない。
人類は映画を発明した。カラー映像を作った。CGを生み出した。4Kになった。世界中へ瞬時に映像を配信できるようになり、ついにはAIまで手に入れた。
そして、その最新技術を駆使して我々が夢中になって見ているのが、
「隣の男女がくっつくかどうか」なのである。
もしかするとリアリティーショーは最新の娯楽ではない。
人類が何千年も続けてきた「他人の人生を覗きたい」という野次馬根性に、巨大なカメラとサブスク料金を取り付けただけなのかもしれない。
昔は井戸端で無料だった。
今では月額料金を払って見る。
文明とは案外、壮大な遠回りをするものなのである。




