「想定外」「未曾有」「経験したことのない」という言葉を使うのをやめませんか

連日のように耳にする「これまでに経験したことのないような大雨」「未曾有の災害」「想定外の雨量」という言葉。テレビの画面越しにアナウンサーや解説者が切迫した表情で繰り返すたび、胸の奥にどこか釈然としない引っかかりを覚える。

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前提として、気象庁をはじめ、日夜現場で命がけの救助や復旧にあたる行政、消防、自衛隊、関係各位の献身には深く感謝している。異常気象が常態化する中、最前線で職務を全うする方々のご苦労には頭が下がるばかりだ。

 

しかし、それでもなお、この「想定外」や「経験したことのない」という言葉の乱用には疑問を投げかけざるを得ない。

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言葉に滲む「仕方がなかった」という予防線
自然現象としての雨や風そのものは、確かに人間の力では制御できない「天災」である。しかし、その結果として起きる被害のすべてが天災かといえば、決してそうではない。

 

治水計画の遅れ、排水ポンプやインフラの維持管理、避難指示を発令するタイミング、過去に危険性が指摘されていた土地の開発許可など、被害の拡大には常に人間の判断――すなわち「人災」の要素が潜んでいる。

 

それにもかかわらず、公の場や報道で「これまでにない大雨だった」という言葉ばかりが強調されると、まるで「自然が規格外だったのだから、どれほど被害が出ても防ぎようがなかった」という免罪符や言い訳のように響いてしまう。異常さを際立たせる強い言葉が、本来検証されるべき人間の責任や判断の甘さを覆い隠す煙幕になってはいないだろうか。

 

言葉のインフレが招く信頼の失墜
毎年のように「未曾有」「経験したことのない」が繰り返されれば、言葉自体の重みはすり減り、住民の間には「またか」という慣れや冷ややかな不信感が生まれる。いざ本当に命の危険が迫ったとき、過剰な修飾語はかえって危機感を麻痺させる毒になりかねない。

 

いま本当に必要なのは、劇的な言葉で自然の猛威を煽ることではなく、客観的なデータに基づいた正確な状況把握と、事後の冷静な検証である。

 

「自然現象は防げなくても、被害を減らす手立てはどこまで尽くせたのか」

 

その誠実な検証から逃げないためにも、思考を止めてしまう「想定外」や「未曾有」という言葉に頼る姿勢を、そろそろ見直すべきである。
 
 

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