「ハラスメントは社会的なリンチ」になっていないか
ハラスメントという魔法の棍棒
現代社会において、これほど便利で、これほど都合のいい言葉も珍しい。そう、「ハラスメント」である。
本来この言葉は、理不尽な暴力や悪質なセクハラ、立場を利用した嫌がらせから人を守るためのものだった。いわば弱い立場の人間が身を守るための「盾」である。
ところが最近は、その盾がずいぶん丈夫になったらしい。気がつけば棍棒としても使えるようになっている。
気に入らない相手がいる。
注意されて腹が立った。
言い方が気に食わない。
冗談が寒かった。
そんなとき、「それ、ハラスメントですよ」と一言いえばいい。
するとどうだろう。単なる人間関係の摩擦が、一瞬で「加害者対被害者」という立派な社会問題に昇格する。まことに便利な時代である。
「不快だった」が最強カードになる
もちろん、本当にひどいハラスメントは存在する。
毎日のように部下を罵倒する。性的な関係を迫る。立場を利用して無理な要求をする。妊娠や育児を理由に退職へ追い込む。
こうした行為は、きちんと止めるべきである。
問題は、その範囲がどこまでも広がっていくことである。
「言い方が冷たかった」
「注意されて傷ついた」
「自分だけ厳しく言われた気がする」
ここまで来ると、事実より感情が中心になる。
しかし、人間社会で「不快」を完全になくすことなどできない。
仕事をすれば注意されることもある。
試験を受ければ落ちることもある。
恋愛なら振られることもある。
議論すれば反論される。
それまで全部ハラスメントにしてしまえば、最後に残るのは無風の世界である。
誰も怒らない。
誰も叱らない。
誰も本音を言わない。
誰も深く関わらない。
ずいぶん平和である。墓場もだいたいそんな感じだ。
正義は、ときどき非常に残酷である
人間は、自分が悪いことをしていると思っているときより、「自分は正しい」と信じているときの方が怖い。
「悪い奴を懲らしめている」
そう思えば、相手をどこまで叩いても罪悪感を持たなくて済む。
昔なら単なる私怨だったものも、「人権」「コンプライアンス」「ハラスメント防止」という包装紙で包めば、急に高級な正義に見えてくる。
歴史を見ても、人間はこの手の包装が大好きだった。
魔女狩りでは「神のため」。
政治運動では「革命のため」。
現代では「人権のため」。
もちろん、これらを同じものだと言うつもりはない。
ただし、「大義名分を掲げれば相手を徹底的に攻撃してよい」という人間の心理は、残念ながら昔からあまり進歩していない。
スマートフォンは進歩した。人間の感情はそれほどでもない。
誰も何もしない社会が完成する
何でもハラスメントになる社会で、一番合理的な行動は何か。
簡単である。
何もしないことだ。
上司は部下を強く指導しない。
余計な雑談はしない。
飲みに誘わない。
私生活について聞かない。
冗談を言わない。
失敗を見ても深く関わらない。
「本人の自主性を尊重しています」
実に聞こえのいい言葉である。
場合によっては、「面倒なので放置しています」を丁寧に言い換えただけなのだが。
こうして誰も傷つかない職場が完成する。
同時に、誰も育たない職場も完成する。
人間関係は薄くなり、互いに距離を取り、何か言われないよう慎重に言葉を選ぶ。
それを「心理的安全性」と呼ぶなら、ずいぶん不思議な安全である。
全員が地雷原を歩いているような顔をしている。
必要なのは「不快ゼロ社会」ではない
社会が守るべきなのは、
人間の尊厳であって、快適さではない。
暴力や強要、人格攻撃、明らかな嫌がらせは止める。
しかし、注意されること、反論されること、断られること、多少感じの悪い人間に出会うことまで社会が面倒を見る必要はない。
大人とは、本来、多少の不快を処理できる人間のことである。
嫌なことを言われたら言い返す。
誤解があれば話す。
多少の無作法なら受け流す。
本当に度を越しているなら、そこで初めて第三者や制度を使えばよい。
ところが、最初から「私は傷ついた。したがってあなたが悪い」となると、話し合いはそこで終了する。
被害者という席は、現代ではなかなか座り心地がいい。
しかし誰もがその席を奪い合い始めれば、社会は前へ進まない。
盾は盾のままでよい
ハラスメントという考え方自体は必要である。
昔のように「嫌なら我慢しろ」で何でも済ませる社会へ戻る必要もない。
ただし、人を守るための制度と、人を黙らせるための制度は別物である。
「不当な行為を止める」
ここまでは必要だ。
「自分を不快にした人間を罰する」
ここまで行けば、それはもう別の話である。
正義の棍棒は、振り回している間は実に気持ちがいい。
だが棍棒というものは、持ち主が永遠に同じとは限らない。
今日は自分が被害者でも、明日は自分の何気ない一言が誰かの「不快」に触れるかもしれない。
そのとき初めて、
「そんな意味で言ったんじゃない」
と弁明しても遅いのである。
だからこそ、ハラスメントという言葉は、本来の役割に戻した方がいい。
人を守る盾は必要である。
しかし、気に入らない人間を殴る棍棒まで配る必要はない。



