昭和40~50年代ぐらいは、長崎は漁業でにぎわっていた街である。
威勢が良く、ちょっと柄の悪いおじさんたちや、中卒で船に乗り、切り上げの時に街に出て飲み歩く、若者も多かったように思える。
中学を出て船に乗った先輩が、腹巻の中に100万ほど紙幣を突っ込んでいたのを目撃した事もある。
浜の町を過ぎ、銅座の迷路へ入り込んで行くと、さまざまなネオンが道路の左右に突き出ていて、客引きたちがめぼしいサラリーマンたちにアタックをかけていた。
長崎東洋ショー劇場というストリップ劇場もあり、二十歳になったお祝いに、弟と弟の友人を無理やり、小屋へ押し込んだ思いでもある。
猥雑で活気があり、人があふれていたという印象が強い。
1975年は世界初の海上空港「長崎空港」完成した年でもある。
調べて見ると、さくらと一郎『昭和枯れすゝき』、布施明『シクラメンのかほり』、沢田研二『時の過ぎゆくままに』、風 『22才の別れ』がはやっていた年でもあった。
上り坂だった日本の景気は、1974年に初めてのマイナス成長になり、日本の高度成長期時代は終わっていた。
これから、オイルショックが本格的に日本に影響し、就職氷河期という言葉も生まれる。
学生時代ジーパンと長髪だった若者が、髪を切り、スーツを着て就職活動をしていた時代である。
今の60歳ぐらいの人は「イチゴ白書をもう一度」が心に響く人も多いだろう。
この時代は、デパートの屋上にミニ遊園地があった。
バーチャンに連れられて、浜町に行くときは、「よそいき」を着せられる。
昼には、浜屋の食堂で、ホットケーキか、ざるそばをいつも食べていた。
この写真はそんな時期の長崎である。
1975年の長崎浜の町 観光通り この時は、まだ歩道橋があり、そこから撮影した。
カメラはペンタックスSPF。
アルバイトで買った初めての一眼レフだった。
撮影アートワークス B&W トライX 自家現像
参考
デジタルアーカイブ 日本最初の外国航路が開設された長崎の懐かしい昭和の町並み・風景。 https://www.asocie.jp/archives/nagasaki/nagasaki4/index.html