犬笛を吹く人々

最近、SNSで「犬笛」という言葉を見かけるようになった。
もともと犬笛とは、人間には聞こえにくい高周波音を出し、犬の訓練やしつけに使う笛である。しかしネット上では「特定の人や団体に抗議を呼びかける投稿」を指す比喩として用いられるようになった。
かつてYahoo!ニュースに「間違った正義感」や「犬笛」という表現を使った記事が存在していた。
現在は削除されているようだが、そこでは「斎藤知事への批判を発信していた元落語家が標的にされた」と書かれていたという。ただ、その真意は読み取りにくく、むしろ「犬笛」という言葉だけが強く印象に残った。
政治の世界でも「犬笛的発言」はしばしば指摘される。
「美しい国」や「伝統文化の尊重」といった表現は一見無害であるが、一部には「憲法改正」や「戦前回帰」のメッセージとして響く。
「外国人犯罪対策」や「移民反対」も同様で、治安維持を掲げながら排外的なシグナルとなることがある。
こうした表現は表向きは穏当で国民の反感を買いにくい一方、特定の支持層には「自分たちの味方だ」と強く響く。
そして批判されても「そんな意味ではない」と逃げられる。便利でありながら狡猾な言葉である。
記事を書いたライター自身も、ある意味「犬笛的」な表現を使っていたのではないか。「蛇の道は蛇」である。

さらに「間違った正義感」という言葉も引っかかった。そうであるならば、そのライターは「正しい正義感」を持っていると自認していたのだろうか。
結局のところ、ネットには「犬笛を吹く人々」があふれている。
そして彼らは「自分こそ正義」だと信じて疑わない。
最近のNHK朝ドラでも「変わらない正義」というテーマが登場した。日本の正義とアメリカの正義が戦争で衝突したように、正義は立場によって姿を変える。
太平洋戦争…日本は「自存自衛」と唱え、連合国は「侵略」と断じた。
原発問題…推進派にとっては「エネルギーと経済を守る正義」、反対派にとっては「命と環境を守る正義」。
コロナ対策…「経済を守るか」「命を守るか」、それぞれの正義がぶつかった。
すなわち「正義の反対は悪ではなく、別の人の正義」なのである。
犬笛以外にも猫笛、羊笛、鹿よけ笛などがある。しかし記事で相手を「犬」と呼ぶのは、強い敵意や挑発の表れであろう。あるいは、ただ尖った言葉で注目を集めたかったのかもしれない。

いずれにせよ、ネットは多様な「笛」が飛び交う世界である。
近頃、私はその闇をますます強く感じている。

