北の王国と大和 もののけ姫とゴールデンカムイ
4世紀から5世紀にかけて、ヤマト王権が成立し、徐々に東北地方の支配に乗り出しました。しかし、エミシの激しい抵抗に遭い、阿弖流為と副将の母禮は抵抗の象徴となりましたが、征夷大将軍坂上田村麻呂に敗れ、エミシの抵 […]
蝦夷(えみし)は出雲日本人
エミシは何処から来たのかという説に関して、2020年のBoerの研究では、蝦夷は主に出雲方言に密接に関連した日本語を話していたと結論付けています。 この理論によれば、蝦夷は大和から追い出された出雲日本人であ […]
エミシとエゾとアイヌ
古代日本の東北地方には蝦夷が登場する。 蝦夷は、神武東征紀では「愛瀰詩」と記され、後に「毛人」とも呼ばれた。 蝦夷がアイヌ人かどうかは、議論の対象となってきたが、現在の研究では、両者を同一視することは困難であるとするのが […]
アイヌ語と日本語は異なる言語か
アイヌ語と日本語は異なる言語か 縄文時代以降、本州人の多くは大陸系集団と混血し和人となったが、10世紀に道北・道東ではオホーツク人と混血してアイヌとなり、そのルーツは縄文人に近いと考えられている。 日本語とアイヌ語は異な […]
日本太古に文字は存在したのか
日本太古に文字は存在したのか 神代文字は、日本語を表記する固有の文字で、漢字伝来以前に存在したとされる。 通説では、日本には漢字以前の書記体系はなく、仮名文字は9世紀から10世紀に出現する。 「上古の日本に文字体系があっ […]
それでも信じる人がいる偽書の世界 竹内文書のキリストの墓
それでも信じる人がいる偽書の世界 竹内文書のキリストの墓 天津教の教主、竹内巨麿によって代々伝わってきた文書群は、昭和10年に公開され「竹内文書」と呼ばれていて、その内容を抜粋する。 神武天皇の前に、26朝1168代の神 […]
三内丸山遺跡と諏訪、出雲の巨大な柱つながり
三内丸山遺跡と諏訪、出雲の巨大な柱つながり 東北には、約5000年前の縄文集落、三内丸山遺跡が発掘され、高度な文化を育んでいた事で縄文イメージを大きく覆す発見となりました。 しかし、気候の寒冷化に伴い、三内丸山集落の人々 […]
ユダヤ人の埴輪と東日流外三郡誌
ユダヤ人の埴輪と東日流外三郡誌 千葉県の芝山古墳から出土した埴輪の中に、ユダヤ人と思われる埴輪が存在するという説が、インターネットやYouTube上で話題となっています。 この説は、日ユ同祖論を基盤とし、古代日本に渡来し […]
スサノオ神話にみる騎馬民族文化
スサノオ神話にみる騎馬民族文化 縄文時代、弥生時代の日本列島に馬はいなかった。馬の飼育という新しい文化が朝鮮半島から持ち込まれ、広がってゆくのは五世紀前後の時期、古墳時代中期の出来事だ。 スサノウは神話では三貴神の一柱で […]
卑弥呼の称号を受け継げなかった女王
二代目卑弥呼が誕生しなかった理由 卑弥呼は固有の名前ではなく、「日の巫女」という役職名だったとする説が多い。 しかし、卑弥呼の死後、その跡を継いだ台与は、なぜ卑弥呼という称号を受け継がなかったのだろうか。 […]
出雲大社の高層神殿の謎:バベルの塔と大和朝廷の対立
出雲大社の神殿は、上古にはおよそ96mであったという伝承があります。 なぜこれほど高い神殿が必要だったのでしょうか。 一般的には権力の象徴とされていますが、大和の信仰とすれば違和感があります。 日本のアニミズムでは、自然 […]
古代文明の謎 長江文明と日本、そして三星堆
紀元前2000年以前の中国長江流域では、長江文明が栄え、その中に三星堆文明が存在しました。 三星堆遺跡は、異様な造形をした青銅製の仮面や巨大な人物像など、数多くの特徴的な出土品で知られています。 日本の縄文 […]
宇佐神宮参拝記 (3)~(7 ラスト)
宇佐神宮の真実:八岐大蛇と八幡神の関係 上宮への参道の左手下には亀山神社が鎮座しています。 この山は亀山あるいは小椋山とも呼ばれ、宇佐神宮の由緒を語る上で欠かせない場所です。 この神社の下にある菱形池に伝わる八幡神の伝説 […]
古事記国生みの白日別は新羅の前身のシロ
古事記の国生みの中で、九州は筑紫島(つくしのしま)で、胴体が1つで、顔が4つあると書かれている。 各地域は白日別(しらひわけ) - 筑紫国。豊日別(とよひわけ) - 豊国。建日向日豊久士比泥別(たけひむかい […]
宇佐神宮参拝記(2) 宇佐神宮創建の謎:弓月君と宗像三女神
宇佐神宮創建の謎 昔から、なぜこの地に宇佐神宮が建てられたのか疑問でした。 しかし考えてみると、弓月君は新羅から逃れてきた人物です。ここは、何かあれば瀬戸内海を通って大和へ直通できる場所にあり […]