人工ダイヤモンドと整形美女
韓国ドラマを見ると、女性が美しすぎるのに気づく。
友人に聞くと、「整形だよ」と言う。 韓国では「就職活動前に整形するのは普通」らしい。
日本でも芸能人の整形はニュースになるし、整形美女を取り扱ったバラエティ番組も何度か見た。
「全身整形美女モデル・ヴァニラ」という人は、番組で「自分という原型を消し去りたい」とうの意味の発言をしてる。
ここまで来ると、明らかに、心理学的に問題があるのは間違いない。
「消失願望」という心理学の言葉がある。
文字通り、自分を無くしたいという負の心の衝動である。
神経症(ノイローゼ)、内因性うつ、対人恐怖(社会恐怖) 果てには自殺願望が表れる人もいる。
何故、整形するかというと、基本的には「コンプレックスの解消」だ。
「綺麗な方が得をする社会」が、整形する人の切り札である。
その事について反論はない。
大昔から、人類は外見で判断してきた。
人種間の違いは、容易に偏見をうみ、黒人、アジア人などの有色人種は、白人から「劣等種族」として迫害を受けている歴史が今でも残っている。
見た目はそれ程重要なのだ。
「綺麗な方が得をする」という価値観が徹底しているのが韓国だろう。
http://rocketnews24.com/2013/11/22/390170/あるブログに載っていたが「日本のブスはなぜ整形しないのか」というものだった。「韓国では整形は化粧みたいなものです」「韓国ではブスに対するいじめがひどい」。
このことから整形をする方が、快適に生活を送ることができると語ったのだ。
就職活動で得をするから整形する。
という言い分は、本音すぎて逆に気持ち良い。
韓国では、かなり見かけ重視とも言える。
しかし、みんなが同じ様な美形なら、次は能力や性格が重要視されるはずである。
そうなれば、案外、外見ではない中身が問われる理想的な社会となるかもしれない。
日本人の場合、整形して得られる満足感と、手術をして秘密を抱え込んでしまう気持ちを天秤にかけた時、一生抱え込む秘密はあまりにも煩わしい。
例えば、目を二重にして、本人は満足している。
腫れぼったい目で顔がぱっとしていなかったのが、二重にするだけで印象が変る。
長年のコンプレックスが解消できたのだ。
目だけなので大元はそんなに変らない。
しかし「あの人、整形してるのよ」と陰口が知れ渡ると、人格までが疑われてしまう。
それはやはりつらい事だろう。
芸能人で整形した人たちを、悪人かのようにさらし者にされる状況と全く同じである。
「しなくても可愛いのに」というコメントが必ずつくが、本人のコンプレックスは、本人しかわからないのだ。
日本における整形のタブーとは、美に対する価値観にもとづいている。
日本庭園や日本料理に見られるような、自然の美に評価が高まる。
天然にこだわる。
そこが一番だろう。
僕はカメラマンなので、女性を撮影する場合、当然見た目にこだわる。
しかしその女性が整形美人だとしたら、写真の価値は随分落ちるだろうし、撮影意欲も半減してしまう。
僕の場合、天然の美しさは神の意志を感じるのだ。
美しいということは神々しささえ感じる。
美しさは、神様が作った物。そしてそれは色んな所にある。
それを探し出すのが、僕の仕事だと思っている。
僕は、人工的な美しさにはあんまり興味が無いのだ。
最近の流行り言葉に、「ぶさかわ」というのがあった。
不細工だけどかわいいという意味だ。愛嬌があるという事だと思う。
日本人の好みが出てきている言葉だろう。
諸行無常という言葉も日本人の気持ちにぴったりだ。
この世に、恒久的に存在する物はないのだ。 それは美しさも同じである。
花は散り際が美しいという。
もののあわれを感じるのだ。
整形美女や整形男子について、考えていくとそれほど考えなくなった。
それは、現世利益を説く、新興宗教の様に思えてきた。
「美しければ得をする」 その言葉を胸に秘めて、手術台に向かう男女の姿がある。
それでもいいのだ。 それは、形を変える事で、心が変っていくからだ。
大きな心の病に、引きずられなければ、いい事かも知れない。
美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる。
女性には大変失礼な言葉だが、見た目は大切だけど、人はそれに飽きてしまうのだろう。
次から次へ、新しい美人か登場するグラビア 男性は、新しい美女を求める。
観賞用の女性はそれでいいのだ。
美しさは永遠に続かない。
美しさを賞賛されるのは、ほんの一時だ。
美しさは素敵だけど、人が作る美しさには何も宿らない。
魂のない美しさは、やはり空虚だ。
人工ダイヤモンドで身を飾る事 それが素敵かどうかは、本人が決める事だ。