老後への想い 定年の覚悟

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60才目前となると、「老後」が目の前に迫ってくる。
 
そうなると、世知辛いが金の話しになる。
 
僕は離婚しているので独り身である。
 
子供達は今年来年に大学を卒業する。
 
更に高校入学をする息子が一人いる。
 
まだまだ、金が要るのである。
 
 
若い頃はカメラマンを目指し、地元に戻りスタジオを経営する。
 
ヨーロッパに行ったりして、結婚が35才。
 
ということで、まだ子供達は若いのだ。
 
 
同世代の仲間と飲むと、退職金や貯蓄、年金の話が出る。
 
この時ばかりは、夢多く冒険に満ちた人生を歩んだ奴よりも、堅実で役所勤めの奴が、羨望の的になる。
 
 
今の日本のお金の仕組みには、色々不満がある。
 
しかし、やはり個人の考え方が大切だと思う。
 
僕の親戚に、老後の年金暮らしのことを気にかけて、全額国民年金を払い
 
もう少しで、年金受給の歳になる目前で、病気で亡くなってしまったおばさんがいる。
 
優しく、しっかり者のおばさんで、親戚が大いに悲しんだ。
 
心穏やかな老後を夢見ていたのだろう。
 
 
さて、自分はといえば、好きなことをやってきた人生である。
 
蓄えなどない。
 
だから、死ぬまで働くだけである。
 
定年退職して、夫婦で穏やかに、晴耕雨読の人生を送ろうとしている人とは真逆である。
 
 
しかし、本当に「夫婦で穏やかに、晴耕雨読の人生」というものが存在するのであろうか。
 
 
60才はまだ若い。
 
引退するには早すぎる。
 
会社勤めの人は、今までの人間関係がある程度リセットされ、第2の人生となろう。
 
NHK土ドラ「55歳からのハローライフ」を見たが、ドラマとはいえ人生様々である。
 
55歳からのハローライフ

55歳からのハローライフ

 
人は、きっと意味があって「生」を授かったと思う。
 
生まれてきた役目を果たすまで、生きていくのだと思う。
 
 
これは私の「宗教」である。
 
60才からは病気との闘いである。
 
体も大切だが、心の張りも大切である。
 
心身。心と体は一体と思う。
 
20歳の時と同じように、先の見えない未来を歩むしかないのだ。
 
金がすべての世の中なのか、これから確認することになるだろう。
 

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