大企業の不祥事に思う 経済と道徳
三菱自動車の軽燃費不正発覚が新聞の一面を飾った。
長崎市は三菱の城下町的な所があるので関心が高い。車も三菱製がよく目につく。
とても残念である。
地元の大企業の関連会社だ。裏切られた思いが何処かにある。
創始者岩崎弥太郎氏は龍馬伝の際坂本龍馬のライバルとして書かれている。
いいキャラクターになっていて、親しみもわく。
岩崎弥太郎氏は順風満帆に経済人として成功したわけではない。
維新政府と紙幣貨幣全国統一化の際インサイダー取引で大もうけをし、その後の西南戦争の輸送業務の独占での大きな利益の結果「三菱の暴富は国賊なり」と非難される。その後も反三菱財閥勢力や外国資本との争いで、生き残った豪腕の商人である。
せこい不祥事、問われる会社のあり方
そんな三菱なのだが、これまでの不祥事はせこいし、会社のあり方を問われていてかなり手厳しい世論だ。
会社とは何だろうか。
稼げばそれでいいのか。金を持っているのはそんなに偉いと思っているのだろうか。
トップの企業がこんな風だから、下位の企業は右にならえしている。
戦後高度成長期から奇跡の復活をし、バブル崩壊もあったが経済大国として先進国の仲間入りをした。
しかし、明治維新からの輸入された資本主義は貧困と格差を強烈に生み、失敗だといってもいいだろう。
社会主義や共産主義も行き詰まっており、新しいモデルが必要な時代に突入したのかも知れない。
日本は古代より、外国の知惠や制度を受け入れたが、すべて日本流にアレンジして成功している。
資本主義の荒廃は、やはり企業人の人間的質の低下である。これは社会主義や共産主義で同じである。
そこで提案したい。
上杉鷹山という人物がいる。
出羽国米沢藩の第9代藩主で領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。
この上杉鷹山の経済理念が、道徳と経済を切り離して考えないという姿勢である。
国家(=藩)と人民を私有するものではなく、「民の父母」としてつくす使命がある、と鷹山は考えていた。
封建時代の身分制度が生きていた時代にもかかわらず、上杉鷹山には徳という道徳観がぶれずに根付いていたといえる。
道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である
さらに二宮尊徳も「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」といっている。
三菱だけではなく、大企業も問題が多く、ブラック企業と名指しされる会社が多い。
しかし、名指しされても蛙の面にション便で、トップはなんともないらしい。
まさに「道徳なき経済」が今の経済である。
「道徳なき経済」でしか生き残れないのは、経済人になって欲しくない人物であるし、経営者としての資質がない人物なので、起業しない方がいい。
日本の株式会社の創始者でもあった渋沢栄一は「株式会社の経営理念として仁義道徳と金儲けが違背するとは思えぬ」と言っている。
結局は経営者の資質の問題なのだ。
素人の世迷い言などとは思わず考えてほしいものである。