長崎のテロ事件。現実の長崎の姿

「長崎は平和な街だ」そう信じ込んでいる人たちが大勢いるだろう。
 
果たしてそうだろうか。
 
 
長崎市は特筆すべきテロ事件が2度起こった。それは市長襲撃事件だ。特に2度目は死に至らしめている。こんな事が起きて良いはずはない。
 
 
一人目は「天皇の戦争責任はある」と言った本島 等(もとじま ひとし)市長である。
 
しかしこの言葉はマスコミによって切り取られて報道されている。
「天皇にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している。」
 
本島氏はカトリックであり教員であった。彼の考え方はかなり偏っており、「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対する報復としては仕方がなかった」と述べている。
 
天皇発言は昭和天皇が重病で余命が長くないと国民に知らされた時期に出たもので、1990年(平成2年)1月18日に右翼団体『正気塾』の田尻和美が本島を背後から銃撃したが、奇跡的に命を取り留めた。
 

週刊文春 1990.2.1号

 
これは凶悪犯罪であり、本島氏がどんな言論をしようが暴力に訴えるのは間違っている。
 
 
その本島氏と選挙戦を争って勝ったのが自民党の伊藤一長氏である。
 
その伊藤一長氏も、2007年4月17日暴力団幹部の男に銃撃された。殺害の動機は市への私怨という事になっているが不明な点も残っている。私事だが伊藤氏に仲人をしてもらった縁もあり、伊藤市長の訃報を聞き絶句したことを今でも覚えている。

NHKニュース映像

 
前市長と前々市長が拳銃で撃たれた街である。これが異常でないわけがない。
 
夏の原爆慰霊祭で平和宣言を高らかに読み上げる長崎市。しかし、その言葉とは裏腹に衆人環視の中で銃弾が飛び交った事実がある。
 
やはり長崎はキリスト教、平和運動と人権都市のイメージだけが先行している感がある。
 
本当の平和は祈ったり話しただけでは達成できない。思想的な対立や金銭が絡む利権争いが、長崎の底にはどす黒く溜まっているような気がしてならない。「観光都市だから臭いものに蓋的」な姿勢を感じているのは私だけだろうか。
 
何処かで何かが間違っているのだ。
 
 
 

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