災害は忘れた頃にやってくる 逃げる準備
今日は「7.23長崎大水害」の日である。
今から36年前の1982年(昭和57年)に起こった。
私も20代後半で浜の町アーケードで仕事をしていて、アーケードが濁流となって、車や人が流されたのを目撃した一人である。
亡くなった人も多く心からご冥福をお祈りしたい。
最近の西日本での「平成30年7月豪雨」では今なお復旧作業が続いており、災害列島を改めて認識したい。
長崎の災害
長崎県の歴史をたどれば、これまで多くの大災害を経験している。
1792年 普賢岳噴火 島原大地震によって眉山大崩壊 死者約15,000名。これは島原大変肥後迷惑と語り継がれているものである。
当然現在の長崎市にも多大な被害があった。
この島原大変の前にも1663、1664年に噴火している。
また1991年には普賢岳噴火による「普賢岳大火砕流」発生して死者43名を出している。
1948年佐世保地方に大豪雨、1957年には諫早水害と台風の進路に当たる長崎は、まさに災害県なのだ。
いつやってくるかわからない大災害にどう立ち向かえばいいのかという事に対して、日本国も長崎県も明確な方向性を出していないのが実情である。
台風だけではなく、火山噴火や地震もある。
自然と闘って勝てるはずもない。ならばうまく負けることが大事だと思う。
どんなに川の堤防を作っても、それを上回る脅威が来れば役に立たない事は実証済みである。
しかしだからといって無為無策はアホである。
やるべき事をちゃんとしないと、残るのは後悔だけである。
去年、長崎の里山整備作業のボランティアに参加したことがあるが、はっきり言って整備が全然駄目な実態を知って唖然とした。
里山には根の浅い杉が斜面に植えられている。くされたりしていつ倒れてもおかしくない木が多数あり、大雨になれば川に流れ出し、橋に引っかかり川の水が一気に溢れてくると想像される箇所も多いのだ。
現在、諫早湾の問題もあるし、川棚川の石木ダムの問題もある。自然を大切にするという考えは素晴らしいのだが、自然は人間が考えるより遥かに厳しい存在である。
地球にやさしいなどという言葉が出回っているのだが、私にはまやかしの言葉のように思えてくる。
災害は忘れた頃にやってくるのである。
だから、いつだって逃げる準備をしていなければならない。
逃げる事は恥ではなく、当然生き延びるためには役に立つ。
それが日本に住む覚悟だと思うのだ。