長崎チンチン電車の浜の町側の終点だった正覚寺。

長崎の電車

名前は知っているけど行った事がない人は多いだろう。

まあ行ってみても特別な観光資源が有るわけがないので、観光目的で行く人はいないだろう。

ただ見るべきもの(?)が一つ有る。

それがでっかい陰陽石である。

正覚寺の陰陽石

陰陽石とは男子のチンチンと女子のあそこを形どった石のことである。

陰陽石がお寺に有ることは別に不思議ではない。

日本中に存在するもので、子孫繁栄や豊作を願うものであるので、誰かが奉納したと思われる。

しかしこの由緒あるお寺の正覚寺に、それも本堂の敷地に見やすいように、設置しているのかという謎(?)が頭をかすめるのだ。

いかにも、これを見ろよって感じなのはどうしてだろうか。

陰陽石の意味

陰陽石は、見た目にエロティックなので、敷地の目立つ所ではなく端っこに普通ある。

また、村境や峠に祀るものが多く、全国各地に広く分布している。

その意味は豊作以外にも魔除けの意味がある。

陰陽石は村境にまつられることが多く,邪気や外敵の侵入を防ぐものとされるが,これは男女の生殖器が潜在的に強力な呪力をもつという信仰によるものと考えられる。世界大百科事典 第2版の解説

となれば正覚寺の陰陽石は魔除けや外敵の侵入を防ぐという意味があると考えたほうが自然だと思われる。

そう考えると正覚寺の成り立ちが重要になる。

正覚寺

1604年、長崎五僧のひとり、道智によりて鍛冶屋町で創建された。

正覚寺

この時期、長崎の街はキリシタンの街であった。

そんな街になぜ、お寺を建てたのかというと、対キリシタン、仏教復興の為の決死の建立なのだ。

光寿山・正覚寺の開基・僧道智は佐賀の牛島(武雄付近)出身である。

あのキリスト教大嫌いの佐賀である。その中でも武雄と言えば、長崎にキリスト教を持ち込んだ大村純忠を目の敵にしていた後藤貴明の居場所である。

道智は最初は僧侶ではなく武士である。

朝鮮出兵では加藤清正にしたがい活躍してきた筋金の入った戦士だった。しかし帰国後浄土真宗に帰依し僧侶になった。

想像だが、道智さんは、キリシタンを追い出さないと地元に帰れないほどの地元の期待を背負って長崎にやって来たんだと思う。

記録に残っているが、ガンガンキリスト教徒へ喧嘩をふっかけている。

慶長9年(1604年)道智は立山の「山のサンタマリア教会」と翌10年(1605年)には舟津村(現 本蓮寺)の「サン・ジョアン・パプチスタ教会」の信徒らと宗論を戦わす。
http://nagasaki-r.seesaa.net/article/105140396.html


その結果、放火されたり、井戸に毒を投げ込まれして逃げ回っている。

その後もキリスト教徒から迫害を受け続けあちこちを転々として、ついに1676年に現在地に寺を建てた。

最初に長崎にやってから72年後である。

この時代は江戸幕府が出したキリスト教を禁ずる法令により、キリスト教徒の力は弱まり、道智の念願だった仏教復興を果たすことが出来たと言える。

魔除け

正覚寺の陰陽石は、キリシタンに対する魔除けの意味が強いと思われる。

だからこそ、敷地内の目立つ場所にデカイ陰陽石をこれ見よがしに建てたと想像できるのだ。

もちろん、豊穣の願いもあるだろう。しかしこの大きいチンチンと女子のアソコは魔除けの意味合いの方が強いと思うのだ。

陰陽石

どうだろうか。

どの観光案内にも書いていないが、あたっていると思うのだが・・無視されそうな気がする。

残念。


道智の戦いを元にした小説をカクヨムというサイトに掲載しています。よろしかったらお読みください。https://kakuyomu.jp/works/1177354054885333025

穢された十字架