信仰は体を強くする 歩く事の功徳
ギリシャの医師ヒポクラテスは,歩くことを「人間にとって最良の薬」と言った。
歩くことが体にいいという事は、昔から証明されている事実である。
よく歩く人は病気になりにくい。
歩くと心臓病や脳卒中の危険が減る。
インシュリンを用いる能力が改善されるため,糖尿病を予防できる。
骨の強さが保たれ,骨粗鬆症を防げる。
歩くことにより,体力,柔軟性,スタミナが増す。
体重の減少や維持にも役立つ。
いい事だらけである。
今新聞や深夜のテレビを見れば、健康食品のオンパレードである。それほど社会は健康に商戦のターゲットを絞っているのだ。
健康食品の謳い文句や宣伝の巧みさには舌を巻くが、所詮食品である。それを理解して購入する分はいいとしても、薬と同じ薬効を求めるのは無理なのだ。
その健康食品などを作っている製薬会社は、テレビ新聞の大スポンサーであり、それらに批判的なことを言う番組は、一切作られていないのだ。
という事で、私は健康食品は一切購入しない。
タバコ(パイプ)も吸うし、酒も飲む。今の時代ではダメ人間である。しかしそんなの関係ないと思うようにしている。
私が病気になったら、そら見たことかと嘲笑されるのは百も承知なので、神仏に祈るだけの身である。
さて今回のお題だが、歩く事が健康に良いのは皆さん分かっている。
なので現代はウォーキングブームである。
それなら昔はどうだったんだろうか。
車のない時代は当然徒歩が移動手段である。
とすれば、昔の人は全員健康だったのかというとそうでもない。平均寿命はだいたい「30才~40才くらい」だったと推測されている。
ただこの平均値というのはマジックで、子どもの死亡率が極端に高かったため平均値がかなり下がっているという仕組みだ。
例えば初代徳川家康75才、8代 吉宗68才、15代 慶喜77才だ。
まあ将軍なので食糧事情は良かったはずで、これだけ見れば現代人と変わらないと思う。
現代の平均寿命もマジックが多く、医療の発達により、新生児が死ななくなり、年寄りが延命治療で寿命だけが伸びれば、当然平均寿命は高くなるという仕組みである。
昔の人が元気だったのは、やはり歩くことが多かったからである。
そして、その歩きには信仰が深く関わっている。
今でも形を変えて残っているお伊勢参りや、四国八十八か所めぐりなど、神様仏様に詣でするために歩いていたという事である。
昔の日本人がそれだけ信心深かったかというと、そうではないような気がする。
現代の人々が四国八十八か所めぐりをするのとあまり変わらなかったと思えるのだ。
つまり目的を持ったウォーキングを楽しんでいたと思う。
特に伊勢参りなどは、昔の最大のバカンスだったと言われているからだ。
最近長崎の古い神社を訪ねているのだが、大体が山の頂上近くにあり、結構長い石段が多くある。
結構歩くのだ。
しかし、鎮守の森と言われる森の中を歩けば、最高の森林浴であり、適当な疲れと目的地に着いたときの達成感は、なかなかのものである。
周りを見れば、よく通っていると思われる年配の方もいて、それはスポーツジムに通う人たちと同じようだと思うようになった。
定期的にお参りをすれば、心理的な充足感がある。
どんな神様でも、通えば親しみが湧く。
真剣に祈っていなくても、何らかのご利益を受けるはずと思うようになる。
それで良いのだ。
貯金のように、少しずつ功徳を積むことは、何もしないよりマシだと思うからだ。
それよりも、ウォーキングをする事で足腰が鍛えられ、健康増進という現世利益を被っている事になる。
神社参拝のすすめ
信仰心が薄くても関係ないのだ。
自分の気に入った神社にあしげく通うのは、心の安定と健康の増進になる。
まさに一石二鳥である。
お金をかけて、コンクリートのビルの中で、機械の上で何十分か歩くことより、近所の神社にお参りするほうが、誰が見ても健康に良いのは分かる。
さあ、サプリメントを捨てて神社へ参拝に行こう。
しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け
いい歌である。