前回は、894年菅原道真が遣唐使を廃止したところで終わった。
 
中国大陸で興った隋と唐は、大きな国であった。隋は分裂していた中国を300年ぶり統一したが、その命は短く約37年後に滅亡し、唐にとってかわられる。滅亡といっても、トップが変わって唐になっただけである。
 
その唐は強大であり、300年ほど続いた世界帝国で、日本にも律令制度などで多大な影響を与えた国だった。
 
日本は奈良や平安時代であり、中国といえば唐というイメージが強い。
 

長崎と唐

長崎も唐の影響はかなり大きい。興福寺、福済寺、崇福寺(あか寺)を唐三カ寺と呼び、観光名所である。
 

崇福寺

この唐寺の特徴は、航海の神「媽祖(まそ)」を祀っていることである。それ以外にも、唐人墓地、唐人屋敷、唐船と唐の名称がついたものは多い。
 

ランタンフェスティバル媽祖行列 https://nagasaki-search.com/12145/

長崎には標高約305mの唐八景(とう-はっけい)という山がある。その名前の由来は、長崎に来た中国人が中国の風景に似ているといったことから名づけられたという。
 

ランタンフェスティバルの起源

中国の旧正月を祝う行事「春節祭」を起源とするのが、ランタンフェスティバルである。
 
時代は漢という古い時代にさかのぼり、漢の文帝が正月の15日、戦いに勝利したことを民衆とともに祝おうとして始まった行事だそうです。
http://chugokugo-script.net/chugoku-bunka/genshousetsu.html
 
ランタンは日本風に言えば提灯、灯籠(とうろう)である。ランタンのもとは英語で、ろうそくが光源であり、石油を用いた手さげの照明具はカンテラとよぶ。余談だが、アメリカ映画に『グリーン・ランタン』というのがあった。
 

グリーン・ランタン

そんな唐だが、この帝国も滅んでしまい、次に起こったのが宋(そう)である。
 

唐の後は国が乱れ、様々な国が立ち上がり消えていった。この時代を五代十国という。この時代は案外長く、60年ほどつづく。
 
宋の国で特徴なのは、官吏登用試験である科挙の整備である。これにより、知識人である文人官僚によって統治されるべきという文治(ぶんち)主義をとる。
 
宋は一度滅びて、すぐに復活し、南宋、北宋と呼ばれている。
 
この時代の最大特徴は羅針盤・火薬・木版印刷が発明されたことである。
 

中国の羅針盤

また宋銭と呼ばれる銅銭が、中国本土、日本、東南アジア諸国でも使用され、遠くは、ペルシアやアフリカ方面にもおよび、ほぼ全アジアで流通した。
 
宋銭

宋銭

 
日本も12世紀後半、平清盛が本格的に日本国内で流通させる。しかし中国のお金を流通させる政策に、真っ向から反対する後白河法皇がいる。
 
この日本で初めて、宋銭を使った貨幣制度は発達するのだが、結局これまでの絹を基準にしていた制度をこわし、混乱が起こり、しいては平家滅亡の火種となった。
 

朝鮮からの攻撃 刀伊の入寇

刀伊の入寇

1019年に刀伊の入寇(といのにゅうこう)というのが起こる。
 
これは女真族(満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件である。
中国本土はやはり遠いので直接的な戦いはないが、朝鮮半島の新羅や高麗は9世紀から11世紀に掛けてしつこく、日本に攻めてきている。
 
このため、筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の九州沿岸の被害は大きかった。
 
この刀伊は賊船約50隻(約3,000人)の船団を組んで突如として対馬に来襲し、島の各地で殺人や放火、略奪を繰り返した。対馬の被害は36人が殺され、346人が拉致されている。
 
この連中は調子に乗り、博多を襲ったが、博多兵によって撃退され、博多上陸に失敗した刀伊勢は肥前国松浦郡を襲ったが、源知(松浦党の祖)に撃退され、対馬を再襲撃した後に朝鮮半島へ撤退した。
 
現在、日韓友好を盛んに唱えているが、1000年前、九州に多大な損害を朝鮮の国が日本に与えたことを、忘れてはいけない。
 

元寇

元寇

日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。
 
1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来ともいう。
 
これまで中国の帝国は、日本本土に食指を伸ばさなかった。しかしこのモンゴル軍は違ったのだ。
 
高麗の手引きでやってきたモンゴル軍を、日本の武士は2度撃退する。しかしこの事で、日本の警備体系は大きく変わってくる。
 
長崎の武士も、この元寇の為、北部九州へ戦いに出かけている。
 
島国日本はこれまで、敵が攻め込まれなかった経緯がある。しかしこの時代から、敵の存在が明確になってき始めたのだ。
 
モンゴルは中国を支配し、元となった。
 
元寇後の13世紀末には関係は修復され、盛んな日元貿易が復活した。
 
その主体は、幕府や朝廷が、寺社の造営費用を得るために派遣する形をとることが多かったが、民間の商人による交易も同じように行われていたと考えられている。