先日NHKの番組を見る。
 
この番組だけを見ると、事情がよくわからない若い人たちが、一方的な感想を持ってしまうと、強く感じた。
 
なぜ日本に多数の朝鮮人が住んでいるのかを、事実を積み重ねて書いてみたい。
 
NHK 5/17(日) 午前6:10-午前6:44
目撃!にっぽん「番地のなかった街で 在日コリアン2世“最後の語り”」
 

NHK「目撃!にっぽん」

「韓国でもなし、日本でもなし、中間やな」。かつては番地さえなかった京都の河川敷に生きた在日コリアン2世の生涯を、記録しつづける人がいる。その等身大の言葉とは…。
「韓国でもなし、日本でもなし、中間やな…」。かつて番地さえなかった京都の河川敷。バラックの町で生まれ育った、在日コリアン2世の人生を聞き取り、記録している日本人女性がいる。語られるのは、貧困や劣悪な環境をたくましく生き抜いた1世とはまた異なる葛藤。ルーツにこだわる親に翻弄された人生。子どもたちを日本社会に溶け込ませた努力。そして大切にしてきたあるもの。隣人たちの等身大の言葉に、耳を傾ける姿を追う。
 

日韓併合の事実

日本と朝鮮が手を取り合って生きた時代http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm

韓国併合(かんこくへいごう)とは、1910年(明治43年)8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合して統治下に置いた事実を指す。
 
厳密には日本による朝鮮半島の統治は、大日本帝国がポツダム宣言による無条件降伏後も続いており、1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が降伏文書に調印するまで実質的には約35年間続いた。
 
この併合が、現在の日韓関係の大元である。
 
した方、された方では、受け取り方が全く違うので、私が意見を述べる事はしない。
 
日本と朝鮮国内に、賛成と反対派が存在していたことは事実である。
 
一つ注意しなくてはいけないのは、1910年前後の社会情勢を理解していないと、併合が良いか悪いかを議論するのは不毛だといえる。
 
現在の社会情勢と、国際的な認識がかなり大きく違っているからである。
 

敗戦後の展開

長崎市への原子爆弾投下

日韓併合に反対派のグループは、日本敗戦後直ちに行動に移している。
 
9月2日に日本政府が降伏文書に調印(正式に日本が降伏)したのを受け、呂運亨は李承晩を大統領、自身を副大統領とする朝鮮人民共和国の建国を9月6日に宣言した。
 

李承晩

しかしこの朝鮮の動きに異を唱えたのはアメリカ及びソ連である。
 
その理由は、右派(民族主義者)と左派(共産主義者)の対立で、朝鮮国内で混乱が起きていたからである。
 
アメリカ及びソ連は朝鮮人が自主的に樹立した政府に対して一切の政府承認を行わず、9月7日には米軍司令部が朝鮮における軍政実施を宣言し、朝鮮の即時独立は明確に否認された。
 
北朝鮮でソ連軍(赤軍)が、南朝鮮でアメリカ軍が軍政(占領行政)を開始し、共産主義体制、資本主義体制を各々の支配地域で確立していった。
 
つまりこの時点で、ソ連とアメリカによって、朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分かれていくことになる。
 
そして1945年から1948年までの3年間は連合軍軍政期と呼ばれている。
 
その後、この分割された国は、アメリカ及びソ連のバックをもとに戦争が勃発してしまう。
 
それが朝鮮戦争である。
 
この戦争は1950年から1953年まで続き、現在は休戦中である。
 

朝鮮人約60万人が日本に残る

当時日本を占領していたGHQは、200万人の在日朝鮮人を日本から朝鮮本国に帰国させることを基本方針としていた。
 
一時的には韓国に帰国したのだが、政情不安や病気の流行で、帰国はストップし、約60万人は日本に残ることになる
 

済州島四・三事件

1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起に伴い、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた
 

済州島の悲惨な歴史「四・三事件」

 
 
簡単に言えば、共産党支持の済州島民が米軍の占領・分断に反対して、武装抗争を起こした。それを鎮圧したのが、米軍と韓国の政権である。
 
この事件により、多数の韓国人が済州島から関西に逃亡する。
 
この為、現在も関西地区には、朝鮮人が多いといわれている。

外務省の発表によれば、昭和34年当時、関係各省で調査した結果、登録されている在日コリアン61万人のうち戦時中に徴用労働者として来た者はわずかに245名に過ぎないものだった。
 
それ以外は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者としてその家族や、鉱工業・土木事業の募集に応じてきた者で、戦後もそのまま住み続けた人たちだったのである。(朝日新聞1959年7月13日)
 
これが、在日と呼ばれる朝鮮人たちの経緯である。
 

GHQの支配

GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサー

期間は1945年から1952年までである。
 
日本は無条件降伏をしているので、日本国統治に関してはほとんど無力だった。
 
「占領軍等の犯罪」という項目がウィキペディアに掲載されている。
 
連合軍の統治下、外地から引き揚げようとしていた民間人が、満州国や日本の占領地域に侵略してきたソ連兵や朝鮮人や中国人から、虐殺や強姦、強制拉致、監禁、強奪などの激しい被害を受け続けていた。
また日本から分断されていた沖縄県だけでなく、日本本土内においてもアメリカ軍兵士による夥しい暴行、殺人、強奪、レイプ事件が日常的に発生していた。
 
占領初期の1か月、神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生し、神奈川県では女学校を閉鎖するなどの処置をとって強姦の防御に努めた。
 
1945年(昭和20年)9月2日から1952年(昭和27年)4月28日にわたる約7年間の占領期間中、本土だけでも少なくとも2,536件の占領軍による殺人と3万件以上の強姦事件が発生したとされている。
 
しかし、アメリカの記録では、
 
「日本人はアメリカ兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた」などと記載されている。
 

吉田茂

もう一つ掲載されているのが、吉田茂首相からの手紙「在日朝鮮人の全員送還を望む」である。
 
吉田茂首相は在日朝鮮人の送還費用は日本政府が負担するとした上で、将来世代の負債となること、日本経済の再建に貢献しないこと、犯罪割合が高く経済法規を破る常習犯であり投獄者が常に7,000人を超えることなどから朝鮮人全員の送還を求めた。
 
しかし戦後10年たった後でも、日本へ不法入国した朝鮮人の数は増え続けている。
 
『朝日新聞』
1955年8月18日「65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。
 
『朝日新聞』
1959年6月16日「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ」
 
『朝日新聞』
1959年12月15日天声人語「韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。
 
『産経新聞』
1950年6月28日には、「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる」という記事が掲載されている。
 
 
以上はウィキペディアに掲載されている新聞記事の抜粋である。
 

在留外国人の数

在留外国人統計(2018年12月末時点)によると、日本に住んでいる韓国人、朝鮮人の総数は479,193とある。
 
以上が私見を交えない事実の羅列である。
 
文章の引用は、ほとんどウィキペディアからであるが、数字に関してや事実として記載されていることに、韓国側では別の意見が多数存在している。
 
NHKの番組内容に関してだが、これは様々の人たちの、ごく一部の側面を描いているのだと、納得させている。
 
戦後日本に住み着いた、在日朝鮮人の人たちの人生を否定することはない。
 
また、敗戦国となってアメリカの統治下での日本人の思いも否定する事は出来ない。
 
常に是々非々なのである。
 
歴史の解釈は様々なのだが、公共放送と自称している以上、せめて是々非々の姿勢を持ち続けてもらいたいと思い続けるのだ。