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対馬への旅(5) オソロシドコロの八丁郭

ホテル

朝9時にホテルを出発する。
 
今日は下対馬の豆酘(つつ)地区方面に行く予定だ。。
 
まず多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)にいく。場所は下対馬の豆酘の港から少し山に入ったところだ。
 
ナビの導く通り、山越えで向かう。下りきった所から細い道に行くと石の鳥居があった。
 
どうも森の入り口のようだ。
 

多久頭魂神社

 
そこから多久頭魂神社へ行くのだが、参道が長、途中にいろんな神社があった。
 

鐘楼

観音堂

観音堂

 
まず、一の鳥居と二の鳥居の間の左手にお寺の鐘楼があり、右手に進むと観音堂がある。
 
鐘楼と観音堂は仏教である。この古代の神社にしっかりと仏教が共存しているのだ。
 
観音堂から高御魂(たかみむすび)神社に行くことができる小道がある。
 

高御魂(たかみむすび)神社

 
二の鳥居を進むと右手に、神住居神社と淀姫神社があった。
 

案内

神住居神社

淀姫神社

最後の神門をくぐると、左手に国本神社、下宮神社があり、そして本社の多久頭魂神社にやっとたどり着く。
 

神門

国本神社

下宮神社

 
途中の神社は、古い小ぶりな社なのだが、それぞれに由来がある。
 

多久頭魂神社

多久頭魂神社

メインの多久頭魂神社の祭神は、天照大神、天忍穂耳命、日子穂穂出見尊、彦火能邇邇芸尊、鵜茅草葺不合尊である。
 
これを見れば、天照から天孫降臨を経て、神武天皇になるまでの神様を並べている。
 
だが本来の祭神は紀国造(現在の和歌山県)の祖神である多久頭神である。
 
多久頭神とはどんな神様かというと、「古事記」では天手力男神(あめのたぢからおのかみ)となっている。
 

天手力男神(あめのたぢからおのかみ)

 
あの天照が岩屋に隠れた時に、岩を引き、天照を引きずり出した神様である。
 
何故、そんな神様が対馬に祀られているのか。古代史研究家は一つの推論を出している。
 

対馬の神と天皇家の神

 
対馬の神社には、天皇家の神々が祀られている。
 
しかし、これらの神は後付けの神様ではないかと言われている。
 
本家本元は対馬の神々で、大和はその神たちを、大和の神話に組み込んだといわれているのだ。
 
つまり、日本の神道の大元は、対馬にあったというのだ。
 
確かに、対馬の神社の古さや、不思議さを感じれば、大和の神道より古いのである。
 
例えば和多都美神社。この「わだつみ」という文字は万葉仮名で書かれていて、わざわざ古代の読みで表記されているのは、この場所だけである。
 
海神神社(かいじんじんじゃ)は、木坂八幡宮とも言われ、八幡神の始まりだとされる。
 
八幡神は母神(神功皇后)と子神(応神天皇)を祀る信仰だが、これは対馬にある天道信仰がベースにあったからだといわれている。
 
天道様は「おてんとさま」の事であり、古代日本では、太陽を信仰する自然信仰が根付いていた。
 
この「おてんとさま」を、強引に大和の「天照大御神」に差し替えたといわれているのだ。
 
この説には大いに興味がひかれる。
 

対馬の天道信仰

 
対馬には独特の天道信仰がある。
 
太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み、子供を産むという太陽感精神話が伝えられ、母神と子神として祀るようになったという。
 
母神を山麓に子神を山上に祀り、天神たる太陽を拝むことが多く、山は天道山として禁忌の聖地とされている。
 
そして子神は天童や天童法師とも言われる。
 
母親と子供の信仰で、母親も信仰の対象だが、子供は神そのものともいえる。
 
あれっと思う。
 
子供が神という信仰は、キリスト教と同じである。
 
この事は偶然ではないだろう。
 
大和はどうかと言えば、天照が最高神とされている。そしてその孫たちが大和で天皇となっている。
 
対馬と大和ではそこのところが違うのだと思う。
 
これは熟考を要する内容だ。
 

オソロシドコロ

対馬には、石塔を作って山と太陽を拝む信仰がある。
 
その信仰の場所が残っているのが、八丁郭(はっちょうかく)とよばれ、オソロシドコロという名前が付けられている。つまり聖地である。
 
今回の対馬の旅の目的の一つに、八丁郭を詣る事だったのだが、場所がわからずあきらめていた。
 

八丁郭(はっちょうかく)への標識

 
ところが豆酘地区から帰っていく時、偶然に八丁郭(はっちょうかく)への入り口を見つけた。
 
まさに、ラッキー。
 
細い道を車で乗り入れ、これから先は車で行けないところまで行く。あとは道らしき道を歩いて行った。
 

八丁郭(はっちょうかく)

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

 
行けども行けども神社らしきものは見つからない。
 
グーグルの地図を何度も確かめ方向が間違っていないことを確かめつつ歩く。
 
いきなり道に出て鳥居が見えた。ついに来たぞと思ったら、ここは聖地への入り口だった。
 

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

その鳥居を抜け、またひたすら歩く。そしてついに発見した。
 

八丁郭

八丁郭(はっちょうかく)への道

八丁郭(はっちょうかく)への道

 
この浅藻の八丁郭を表八丁郭と言い、天童(天童法師)の墓と伝え、地方天道山の北側の中腹の聖所を裏八丁郭と言い、天童の母の祠と伝承されています。昔は「恐ろしい所」とされた不入の聖地でした。
 
 
それは、石積みのピラミッドだった。
 

八丁郭(はっちょうかく)への道

石済みのピラミッド

石済みのピラミッド

近くによると、「此処より聖地です。土足厳禁」と書かれている立札があった。
 
なので靴を脱いで砂利の上を歩き近くに寄る。
 

石済みのピラミッド

 

鳥居の残骸

石済みのピラミッド

足元に朽ちた材木がある。鳥居だったのだろう。石積みのピラミッドの底辺には灯明の為の箱があり、ワンカップのお供えもある。
 
そしてピラミッドの上に祠が置いている。
 
ただそれだけだった。
 
後で調べたのだが、この場所は龍良山(たてらやま)といい、山自体が聖地とされ、内院・浅藻・豆酘などの集落はすべて龍良山のふもとに位置している。
 
そして豆酘の集落内で神事を行っていたという。
 
天道信仰は、伝承では7世紀が起源とされているが、平安時代から中世にかけて神仏習合により形成された対馬固有の修験道の一種で、その祭祀形式や行事には古神道の要素が多く伝承されているという。
 
たしかに、信仰が宗教として体系づけられたのは、日本に仏教が入ってきた時からだろうと思う。
 
そして大和に論理武装した仏教が入ってきた時から、それに対抗して、自然信仰だった日本の原始宗教は体系化され神道となる。
 
それ以前は神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神ながら 事挙げせぬ国」だったからであるとも言われている。
 
神ながら事挙げせぬ国とは、神の事は言語で体系化しなかったことを言う。
 
信仰がなかったのではなく、宗教として教義などを作らなかっただけである。
 
現在私たちが神道と思う教義は、大和朝廷の伊勢神道、仏教・道教・儒教の思想を取り入れた、総合的な神道の吉田神道などである。
 
それ以前は「神ながら事挙げ」しなかった。
 
だから、石積みなのかもしれない。いや大昔は石積みさえなく、山と森と太陽が信仰の対象だったのだろう。
 
豆酘には、古代米の一種・赤米が神事として作られている。赤飯の起源は赤米と言われているが、野生のイネのほとんどは赤米である。
 
そんな赤米を、多久頭魂神社では、寺田と呼ばれる水田で赤米が栽培され、1年間で13にも及ぶ神事に用いられている。
 
となれば、白米以前の赤米を神事に使うという事から水田稲作以前の神事となり、縄文時代の神事なのかもしれない。
 
実は石済みのピラミッドはここだけではない。
 
対馬の南部・厳原町豆酘と同様、天神多久頭魂神社は天道信仰のもう一つの中心地だったという。
 

天神多久頭魂神社

八丁郭と天神多久頭魂神社の石積みは、御神体でもなく、墓でもない。
 
これは結界で、磐座(いわくら)なのだ。
 
つまり神道に鳥居が登場する以前の古代神道の姿なのだろう。
 
この地の参拝を終わり、一般道に戻ってきても、やや興奮していた。
 
それほど私にとって衝撃的だったのである。
 

阿麻て留神社へ出発

さて、後は最後に残った阿麻て留神社までの道である。
 

対馬仏像盗難事件

 
余談だが、10年ほど前に起こった、対馬仏像盗難事件(2012年)だが、海神神社の「銅造如来立像」、観音寺の「銅造観世音菩薩坐像」、多久頭魂神社の「大蔵経」が韓国人窃盗団5人によって盗まれている。
 
窃盗団5人は韓国警察に逮捕されたのだが、韓国地裁による事実上の返還拒否を受け、海神神社の銅造如来立像だけが戻ってきている。
 
残りは未だに返還されていない。ふざけた話である。
 
こんな所にも朝鮮半島人がかかわってくる。
 
やはり対馬と朝鮮半島はややこしい関係なのである。
 

対馬への旅(1) 観光客がいないので対馬に行くことにした
対馬への旅(2) 不思議だらけの和多都美(わだつみ)神社
対馬への旅(3) リアルな近さを体感する韓国展望所
対馬への旅(4) 秦氏と韓国人と朝鮮通信使
対馬への旅(5) オソロシドコロの八丁郭
対馬への旅(6) 大和神話と対馬神話の深いつながり そして旅の終わり
 
対馬の写真素材 アートワークスフリーフォト
http://freephoto.artworks-inter.net/tushima/kaisetu.html

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