韓国、通信使船の日本寄港中止 対馬行きの計画
中日新聞 2019年7月26日(金)

というニュースが出た。当然、半導体材料の対韓輸出規制の見直しにおける韓国側の反日行動である。

最近は日本国民も、嫌韓というより断韓という意識が強く、韓国に対してことさら反応しなくなっている。

ただ日本のテレビや新聞の大多数は、韓国養護に回り、日本の態度を非難しているようだが、実に不愉快である。

朝鮮通信使祭り平和行進 釜山

韓国の反日の起源

現在の韓国の反日運動だが、今に始まったことではない。

反日といえば中国もそうだが、韓国大使を務めた武藤正敏氏によると、中国の反日は共産党の指導の下で国益に基づいて、彼らに制御されているという。

それに対して韓国の反日は、根深い。色んな解説があるが、いつからかという問題では、韓国という国ができた時からが正解だろう。

日本で、よく言われるのが、日韓併合時代の恨みがベースになっているという意見である。

しかし最近の韓国は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の事もよく言っている。

となれば、時代をぐっとさかのぼって李氏朝鮮時代から日本を恨み続けていることになる。

韓国の朴槿恵大統領は「(日本と韓国の)加害者と被害者の立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と述べている。

その執念深さは、寒気さえする。

李氏朝鮮の前は高麗という。

高麗と言えば、モンゴル軍によって服属させられ、元寇という日本攻撃の先鋒になった国である。

元寇

まあ、この時日本の侍の抵抗により、散々な目にあったのだから、その恨みもあるのかもしれない。

また、倭寇の時もなんていい出すので、きりがないのである。

隣同士の国なので諍いも多かったのは間違いではないが、一方的に非難するのは間違いである。

今回は朝鮮通信使の事が話題に登ったのでその話を書く。

朝鮮通信使

朝鮮通信使の歴史を紐解けば、室町幕府からである。

朝鮮通信使

朝鮮通信使のそもそもの趣旨は、室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗王朝の返礼であった。

1375年(永和元年)に足利義満の時代の話である。

さらに倭寇への禁圧対策を日本に要請することも目的だった。

ここでいう倭寇とは前期倭寇の事で、主に瀬戸内海・北九州を本拠とした日本人で一部が高麗人である。

なぜ、日本人が朝鮮沿岸や中国沿岸を荒らし回ったのかというと、元寇の報復である。

高麗は元(モンゴル)の手先として、日本に攻め入った。日本史では「蒙古襲来」というが、内容は高麗とモンゴル軍の日本侵略だったのは事実である。

高麗は宗主国である元や明に上奏し、元寇以降もさかんに軍艦を建造しており、日本侵攻を繰り返してもいた。

そんな時代だったのだ。

結局、朝鮮通信使は、李氏朝鮮の第4代国王世宗のもとで室町時代に3度来日した。

しかし3回目の1443年を最後に交流は中止になった。その理由は交流する必要性がなかったからである。

貢女

李氏朝鮮の世宗は朝鮮から名君と言われているが、結局中国王朝の明の属国となっていたため、朝鮮の少女たちを貢女として差し出す、処女進献は最多と記録されている。

貢女

また中国から来た使臣が1~2か月かかる貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下され、処女を隠した者には刑罰が科せられている。

朝鮮半島では生産物が乏しく、貢物と言えば女性であった。

貢女(コンニョ)という言葉がある。性奴隷として、中国王朝に差し出す処女のことである。

高麗、李氏朝鮮時代は貢女の献上が最も盛んに行われている。

ここに朝鮮半島の国の悲哀がある。中国王朝の属国として生き延びてきた国である。

国民を守るという気概もなく、中国の使臣の言いなりに、自国の若い女性をかき集めて差し出す。

李氏朝鮮の世宗は、「国内の利害のみならず、外国にも関係することなので、ただ(中国皇帝の)令に従うのみ」と言っている。

そんな国である。友好関係を結んでも日本にとって何の利益もない国なので交流中止は当然だったのだ。

朝鮮通信使再開

これは江戸幕府と朝鮮側の利害が一致したからである。

朝鮮側は朝鮮を手助けした明が朝鮮半島から撤退すると、北方からの脅威と南方の脅威を感じ、朝鮮はまたぞろ日本を味方に引き入れたいと思ったのだ。

日本も室町時代末期には日朝・日明貿易の実権が大名に移り、大名に警戒をいだき、江戸幕府は地理的に有利な西日本の大名に先んじて、朝鮮と国交を結ぶ必要があったからである。

最初の交流は回答兼刷還使という。

回答とは国書に答える意味、刷還とは日本に残っている朝鮮人の捕虜を送還する意味がある。

朝鮮被虜人(ひりょにん)は推定7万人(東京新聞)と言われているが、帰国をしたのは6000人から7500人ほどとされる。

かなり少ないと思う。

まあ、李氏朝鮮の過酷な身分制度では、陶工たちは不当に卑しめられていたので帰りたくない気持ちもわかるような気がする。

見世物

通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった。

大名行列とは異なり、美しく着飾った小童や楽隊、文化人、医師、通訳などが随行員に加わっており、数十年に一度やってくる異国情緒を持った一種の見世物として沿道の民衆にも親しまれていた。

しかし朝鮮通信使の態度の悪さは日本中に知れ渡っている。

朝鮮通信使の宿舎の食器や布団から置き物まで盗む為に高価な物は置かなかったという。

屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする。

酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す。

席や屏風を割る。

馬を走らせて死に至らしめる。

供された食事に難癖をつける。

日本人下女を孕ませる。

鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使

朝鮮聘礼使淀城着来図の一部『鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使』

魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したり、予定外の行動を希望して、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりといった乱暴狼藉を働くものもあった。

警護にあたる対馬藩士が侮辱を受けることもあり、1764年には、藩士が第11次通信使の随員を殺害した事件も起きている。

なぜそんな事を平気でするのかと言えば、朝鮮国内では役人たちはそれが許されていたからである。

これでは友好使節の意味がなく、朝鮮人への偏見と軽蔑が増幅しただけだったろうと思う。

今も昔も変わらない朝鮮

令和になり日韓関係は冷え込んでいる。

いずれ、断韓となるだろう。しかし、交流が途切れたことは今まででも何回もあったのだ。

善悪、人道を外さなければ問題ないと思う。

過去の朝鮮通信使の有様を読めば、今の韓国の態度とあまり変わんないようだ。

それともう一つ

現在の韓国の学校で教えているの歴史では、日本の記述とは真反対の内容なのには呆れる。

「江戸時代に、朝鮮から来日した朝鮮通信使は、《徳川幕府が経済的に困窮に陥ったために、先進文物を取り入れようと、李氏朝鮮王に懇願して招いたもの》だった。出典ねずさんの ひとりごと

なるほど。さらに韓国の言い分はエスカレートする。 

東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。
これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。

これは、ひどすぎる内容である。

ネット上にはもっと詳しい内容もあったが、読むに耐えないので、これだけで十分である。

道徳なき経済は犯罪

話を最初に戻す。

朝鮮通信使のイベントは、長崎の対馬が煽っている行事である。

対馬と言えば、仏像が韓国で発見されながら返還されない問題がある。それなのに、対馬市の経済復興のためとして、韓国絡みのイベントを次々と打っている。

対馬の商売人の人たちは、道義的な日韓関係より、対馬に来る韓国人観光客の落とす金のほうが大切なのである。

そして、観光で成り立っている長崎県にも、その問題は切実であろう。

結局、経済が大切か信念が大切かという問題なのだ。

「所詮、金だよ」という声が聞こえてくる。これが今までの日本だたような気がする。

そんな時、二宮尊徳の言葉を思い出す。

二宮尊徳

「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」

経済と信念は両立できると、二宮尊徳は言う。

私論だが、やはり対馬の経済的窮地は国や県が手を差し伸べるべきだと思う。

これからも韓国は、悪口を言いながら、どんどん日本から離れていくだろう。

道徳なき経済は、悪評しか残さないのも世の常である。

長崎が悪評にまみれないようにと思い、長崎の経済人たちの心根を見ていきたいと思う。