ねずみ島の話

鼠島公園

鼠島公園

鼠島公園

釣り好きはよく知っている「ねずみ島」。

いつの間にか、鼠島公園というのが出来ていた。行ってみたがキレイに作っている。

鼠島公園

その公園に「皇后島伝説之碑」があった。

神功皇后の三韓征伐の話があり、その後に鼠島の名前の由来が書いている。

神功皇后は伝説上の人物だ。いつくらいの時代の人かといえば、西暦350年前後とする説があるが、当然推測である。

この伝説は、長崎にも多く残っていて、神功皇后を祭る神社は数多く、着物を着たから裳着(茂木)、食べ物の準備をしたので甑岩(こしきいわ)、長い夜だなーといったので長与、神功皇后が島に渡って鉾を立てられたので高鉾島など数も多い。

また、伝説は山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎6県の広範囲に3000カ所あるという。

私も、伝説の数が多すぎる事に疑問を持ち、何かしらの事実があったのではないかと思っている。

この碑に、神功皇后は「強剛島」と名付けたが、後年「皇后島」「ねずみ島」と呼ばれたとある。

「強剛島」の話は初めて聞いたが、このあたりの地名が、神様にちなんだ名前が多くやはり謎の地域である。

「ねずみ島」正式名は「皇后島」だ。

だったら新しく作った公園は鼠島公園ではなく「皇后島公園」にするべきだと思うが、天皇陛下に遠慮したのだろう。

ねずみ島の名前の由来

1.江戸時代、深堀領であった頃、深堀の真北、すなわち子ねの方角にあたるので、「子角島」と呼ばれた。

2.ねずみが非常に多かったので「ねずみ島」と呼ばれた。

等の由来が「長崎名勝図絵」に記述されている。

私は、単純に島姿がねずみに似ているからかなと思ったが、下記のホームページを読み、なるほどと思った。

皇后島はいつ、ねずみ島になったか
http://ramblingbirds.blog.fc2.com/blog-entry-274.html

このあたりは小瀬戸というが、江戸時代、長崎港への外国船の侵入を見張る遠見番所があった。

現在の市役所小榊出張所うしろの丘の上に、遠見番所。その丘の中腹には、中番所。そして海岸近くに、不寝番所の三箇所あった。

鼠島にはなかったが、「不寝番」はフシンバンと読むが、漢文読みで「ネズバン、ネズノバン」とも読む。

だから、ねずみ島だと・・。

ただ、江戸時代の前はなんと呼んでいたのかなとも思う。

水泳の島

1890年(明治23年)の新聞に掲載された記事によれば、長崎で最初の海水浴場であった。そして1972年(昭和47年)が、ねずみ島最後の年だった。

私も当然ねずみ島の水泳教室は知っている。

はじき豆を木綿の袋に入れて泳ぎ、ふやけて塩味が付くとうまい。

それだけは記憶にある。

先師之碑

神宮皇后上陸の碑

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