長崎県長崎市かき道1丁目18
団地方面に矢上団地トンネルを抜けると、左横にある。
山の神入り口正面に、墓参り専用の駐車場がある。
入り口には山の神神社と彫られた立派な石柱がある。
中に入る。境内というより公園のような雰囲気だ。
一番奥に「山神」と彫られた石の祠が鎮座している。右横に自然石の石碑があり、同じように山神と彫られているが、日付があり文化八年とある。
文化3年は1806年。江戸時代後期。わかりやすく言えば、1868年が明治元年である。明治まで後60年。
祀られているのはこの2つだけだ。
祠の前には、ベンチが2つ。正面には山並みと遠方のビルが見える。
石塔の後ろに金色で石塔の由来が書いてあった。
自治会長が平成16年に木の塔を立てたのだが腐ったので、石の塔に建て替えたと書かれている。
その文の中に200年前と言う文字がある。自然石と同じ年代なので、やはりこの場所はその時代に建てられたのだろう。
この地域のかき道の祭りに蠣道浮立がある。
記録では旧佐賀藩矢上村蠣道に、江戸時代の文化文政期(1804~I829)頃、北高来郡田結村(現諫早市飯盛町田結)から伝えられたと言われている。
山の神の祠が建てられた時代が一致するということは、その頃に矢上地域に、大きな人の流れがあったという事である。
詳しくは何もわからないが、まだ団地も存在しない山を祀る人たちが200年前この地に住み着いたのだろう。
そんな漠然とした事しかわからないが、現在までこの祠が守られているということは、人々の思いが続いているということだろう。
立派な社はないが、この素朴な信仰が日本人の持っているいい所だとおもう。