日本最古の唐寺 興福寺
長崎市寺町64番地
日本最古の黄檗宗の寺院である。
山号は東明山。山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれる。
この寺が有名なのは、隠元禅師が関わっているからだ。
隠元禅師は黄檗宗を広めるだけではなく、文化、芸術、建築、医療など幅広い分野で功績を挙げた人物としても知られています。普茶料理、インゲン豆、レンコン、孟宗竹などを日本にもたらしたのも隠元禅師と言われており、日本文化への貢献度の大きさから、在世中に時の皇室から国師号や大師号を宣下されたとの逸話も伝わっているそうです。
なるほど。
その時代、影響力のあった人物ということで、現代風に言えばインフルエンサーである。
キリスト教の影響
この寺が、なぜ江戸時代前期に出来たかといえば、キリスト教のせいである。
長崎の地にキリスト教が根付こうとしていたのだが、戦闘的な野望を隠し持っている外国勢の教えが、様々な杞憂を生み出していた。
結局、キリスト教は禁教にする。
そして、今後日本人をどう統制するかを考えて、生み出したのが寺請制度である。
寺請制度とは、すべての人々がいずれかの寺院の「檀家」となることを強制させられ、寺院から「寺請証文」という身分証を受け取らなければならない制度の事だ。
これで、キリスト教を締め出しに成功したように思えたが、後年おおきな弊害が出るのだが、これはまたの機会に書く。
この寺請制度の為、華僑は華僑独自の檀那寺を自前に創建する必要に迫られた。
だから唐寺が誕生し、その唐寺の住職を中国から多く呼び寄せる。
なので、隠元禅師が日本にやってきたのである。
道教の登場
この唐寺で特徴的なのが、媽祖堂の存在である。
媽祖は道教の女神である。
仏教がインドから中国に伝わってきた時、中国に根付いていた道教の考え方を取り入れて、仏教を中国になじませた。
だから、唐寺には媽祖堂があるのだ。
元和6年(1620)、唐僧真円(しんえん)が建立した当初は現在のような建造物もなく、長崎に住む中国人達が集う媽祖信仰の祈祷所的役割を持つだけだったと伝えられている。
唐寺の最初は、仏寺ではなく媽祖信仰の場所だった。
今まで神社ばかり巡っていたが、長崎市内の神社はほとんど巡っている。
そして現場感覚として、神道には様々な信仰が練り込まれていることを強く感じる。
それが、仏教であり、道教なのだ。
なので、今年から仏寺も巡るようにした。
興福寺に関しては、様々なホームページに解説があるので、詳しい説明は省く。
ウィキペディアにも色々載っているので、そちらをどうぞ。
私が知りたいのは、なぜ日本人は神を信じるかという事である。
いや日本人に限らない。
神は人間が作った発明品である。その神のため、人は命さえ投げ出している。
それは何故なのか。
それが私の神社仏閣巡りの本意である。
さて、命が尽きる前に何某かの答えが出ればラッキーだろう。