武蔵発見
ニュースで、海底に沈んでいる船の映像が映し出されている。
戦艦「武蔵」だそうだ。
プラモデル世代の僕は、当然知っている。
飛行機、戦艦、戦車と沢山作った。
中でも好きなのは飛行機である。
やはり、零戦が好きだった。
僕にしてみれば「戦艦武蔵」は玩具の一つだった。
「武蔵」は長崎で造られた軍艦である。
その話題も、ローカルのニュースで流れていた。
テレビのニュースで知った、レイテ沖海戦。
意外と思われるが、60才の僕は戦争を知らない。
海底に沈む戦艦の映像も見ても戦争の悲惨さは感じないのだ。
戦争を知らないからである。
物心ついた時には、高度成長期だった。
安保反対の学生運動、反戦歌と呼ばれたフォークソング。
戦争反対のスローガンは何時もみじかにあったような気がする。
しかし、戦争は知らない。
日本は内戦を含めると、たくさんの戦争をしてきた。
応仁の乱も関ヶ原も戦争である。
歴史は戦争に勝った側の視点で歴史を記録していくものだ。
内戦で負けた人々の記録はあまりない。
海の底に沈んだ武蔵の教訓はたくさんある。
飛行機時代を認めず、巨大な戦艦を作った事。
レイテ沖海戦に負けて、日本の命運はついたのに、戦争をやめるという決断が出せなかった事。
この後、沖縄本土決戦という事で、戦艦大和を戦わせ、特攻隊を死地に追いやった。
日本人の、過度の精神主義が招いた不幸なのである。
私たちの世代は、大人として戦争を語らなければならない。
知らないでは済まされないのだ。
しかし、体験していない戦争の悲惨さは伝えられない。
だから、教訓を考えるのだ。
人間には闘争本能がある。これは除去出来ない。
争う事は本能なのである。
だけど、もう変えなければならない。
争い方を変えるのだ。
奪い合えば足りぬ。分かち合えば余る。
この事を子供達に伝えたい。
正直な気持ちである。
日本はもう70年も戦争はしていない。
まだ、こんな事が自慢になる時代だという事を再認識した。