稲佐の月館 昭和の映画館
昭和40年くらい。私が小学5年生くらいの話し。
一般的に稲佐地区というが、私の住んでいた場所は旭町という。 稲佐警察署の近くである。
昭和40年には賑やかな商店街だった。 銭湯もあったし、貸本屋もあった。
駄菓子屋、洋装品、下駄屋、靴屋 ちょっとした通りで、道は私たちの遊び場だった。
よくやっていたのは、コマである。 二手に分かれ、5号くらいのコマを手のひらに載せ、相手のコマにぶつけてとまらせれば勝ち。
空中攻撃の後は、よま(紐)で器用にたぐり、コマを活性化させ攻撃を続けていた。
くぎ抜きというのもやっていた。 ビー玉、カードもやっていた。
世間ではメンコというらしいが、私の回りはカードといっていた。 1面を駄菓子屋で買い、自分で切って使う。
石段の上に積み、交互にカードを叩きつけて石段の下に落とす。 かさなったカードはとっていいルールだった。 (たしか、ニッチンとか言っていたと思う)
自転車も良く乗った。 近所の悟真寺の境内は、いい広場だった。
探偵ごっこは、アチャバカ(稲佐国際墓地)で良くやっていた。
他人の墓の塀を飛び回って、走り回っていた。
野球ゲームも良くやっていた。 外人が葬られている囲いのついた場所は、確かガラス球場といっていた。
一般の人が進入しないようにガラスの破片が、塀の上にもうけられていたからだ。 その中に忍び込んで、罰当たりにも、地面にタイルのように並んでいる外人さん達の墓をベース代わりに踏みつけたりしていた。
今の弁天町に月館という映画館があった。
二階席があり、二階席の前列はござが敷いてあった。 芝居小屋のような作りだった。
上映している館内には、お菓子などを売っているコーナーがあり 酢昆布などを、映画を見ながら買っていた。
大魔神、ガメラ、タイガースの映画は月館で見たのを覚えている。
うちの祖母は映画が好きで、しょっちゅう映画館へ行っていた。 祖母が家にいない時は、月館で時代劇を必ず見に行っていたと思う。
近所の銭湯の前に、映画の宣伝ポスターが貼られており、よく目についていた。 しかし、だんだん日活ロマンポルノのポスターが増えてきて、いつの間にか映画の立て看がなくなってしまった。
【副編(た)のつぶやき】
わが家の断捨離で束になって発掘された
昭和33年の映画上映チラシ!!
長崎市だけで25館もあったんだ~✨#長崎の映画館 #長崎市映画興行組合 #昭和の映画 https://t.co/wD03FHIwkt pic.twitter.com/QQowtE8yyT— とっとってmotto! (@nagasaki_motto) March 17, 2020
月館があった地域は「森ノ木」と呼ばれていた地域だ。
自宅があった場所は「東区」と呼んでいて、隣の地域は「松崎」だったと思う。
(昭和36年頃、自宅前で。幼稚園生なのにカバーのついた帽子をかぶっている。
シャボン玉で遊んでいるようだ。 左の黒い箱はごみ箱で、玄関右は風呂用の石炭が積んであった)
写真が残っていればよいのだが、ネットを探してもない。
誰かがあの当時の町並みが写した写真があればと思う。
私のおばあちゃんが月館や銭湯の近くで小店をやっており、小さいながらに母親に付いていき手まりや花火をもらった記憶があります。最近まであいまいな記憶ながら、悟真寺のバス終点の所とばかり思っていましたが、兄に話したところ
稲佐山警察署の裏から三菱体育館に抜ける道の銭湯があった先の左に曲がって左にあったと聞き、地図を調べてまして、こちらの記事にたどり着きました。兄が言うにはおばあちゃんの店の近くに月館や貸本屋があったと言うのです。もうそのことを知る人たちは亡くなってしまい、店の名前すらわかりません。もしご存じならと思い、コメントさせて頂きました。私の記憶では大きなかき氷器があったと記憶しております。おばあちゃんは小柄で顔のどこかに大きないぼ?ほくろ?がありました。
はじめまして。私の家の近所なのですが思い出せず、友人や母に聞いてみたら、多分「オニモト」さんだということです。お嬢さんが二人いて、お母さんが店番をしていたとの事です。お婆さんのことはみんな覚えていなかったのでわかりません。大きなかき氷器は確かにありましたよ。
ありがとうございます。調べて頂いたのですねm(__)m稲佐警察署の近くの知人からもおにもとと言われたのですが、姓が小川というもので、、、娘が二人いたということなら、やはりおにもとではないと思います。通りすがりのコメントに親身になって頂きありがとうございました。やっぱり長崎人はいいですね~思いやりがあって、本当にありがとうございましたm(__)m
鬼もとさんでなければ、近所には港口さんという駄菓子屋がありました。谷口さんという焼芋屋さんも懐かしいです。月館の裏手の路地にも駄菓子屋さんがありましたよ。
現在東京在住の者です。偶然サイトに立ち寄ってコメントしています。
稲佐の「月館」という映画館の息子が淵中で同級生でしたよ。
卒業アルバムを見ると弁天町14-6になっていました。
今は駐車場になっているんでしょうか?
登山道の途中に大洋漁業の経営する大洋アパートがありましたが、今は公園になっているようですね。
眺望抜群のアパートでした。長崎市内もどんどん変化していってますね。
コメントありがとうございます。月館はビル型の駐車場になっています。確かに諸行無常の響きありです。だけど変わっていっていいところも出てきています。やはり人の住む町なんですね。