奢れるウィンドウズは久しからず
勝手にバージョンを上げようとしたり、7、8.1のOS上にバージョンアップのための細工をしたり、最近のウィンドウズいやマイクロソフトは迷走している。
ウィンドウズの進撃は、98から7まで世界中のユーザーが認めるところである。
使い方は7まで変らず、色んなソフトがウィンドウズを走り便利で安く、カスタマイズしやすいOSだったのは、私も認めるところである。
私はマックとの両刀遣いなのだが、ウィンドウズで使えるソフトの多さはマックは勝てない。
多勢に無勢状態はかなり続いたと思う。
しかしマックの独自路線は変らず、IPADを生み出した。
この路線はウィンドウズが苦手にしている路線である。
複雑な操作とカスタマイズしやすいOSやアプリが身上のウィンドウズは、タブレットの中身をマックと同じようにしたのである。
なぜだろう。
タブレットと同じようにOSも改良を加えてしまった。
Windows 8がそれである。
今までの使い方を、ユーザー無視で変えてしまったのだ。
StatCounterによる統計では、およそ6%がWindows 10になっている。
Windows 7は50%、Windows 8は3.6%、Windows 8.1は15%程度となっている。
あたらしもの好きの日本人でも、Windows 10へのアップグレードは戸惑っている。
今までのソフトの資産価値がOになってしまうかも知れないという不安である。
OSの変更は、ユーザーにとって大きな問題である。
OS8の仕様を見て、みんなの腰が引けた。
ウィンドウズには、マックライクさは必要ない。
あくまでも実用に徹して欲しかったのだ。
ウィンドウズは道を誤った。
まるで平氏と源氏である。
奢れるウィンドウズは、「ウィンドウズでないものはパソコンにあらず」と言い放ったように思える。
マックに出来てウィンドウズに出来ないわけではないと思ったのかも知れない。
ウィンドウズの進撃をiphone、ipadのスター武将ががっちり受け止めた。
源範頼・義経兄弟が平家ウィンドウズを追い詰めている。
いや源氏の進撃に、戦場の水鳥の羽音だけで総崩れをしたウィンドウズ勢。
平家ウィンドウズは、自滅の道を歩んでいるのだ。
ウィンドウズの築いた文化はまだ、たくさんある。
勝手に自滅されても困るのだ。
平家ウィンドウズの迷走を止めるのは誰だろうか。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり
ウィンドウズ物語はまだ続くのだろうか。