写真何でも屋
写真をメインにいろんな仕事をやってきて、もう40年経ちました。
僕自身が好奇心旺盛で、デジタル系も大好きなのでいろんなものに手を出してしまいました。
「写真一筋」のほうが格好いいと思うのですが、そういう性分なのでしょうがありません。
しかし、器用貧乏的な事はいやなので、何か始めたらプロとしてやっていけるまで
やってきた自負はあります。
どんな仕事でも、料金が発生する「プロ」として成り立つまでやってきました。
それは僕の信条です。
だから無料ではしないのです。
「ただ」でやると、結果的にはお互いによくない結果になってしまいます。
やるほうも、ただでやるんだからと何処か適当さが付きまとってしまいます。
先日「まほろ駅前多田便利軒」という映画を見て
僕自身「何でも屋」なんだなあと思ったのです。
若い頃はアート系以外の仕事はしないと粋がっていたのですが
根が好奇心旺盛なもので何でもやり始めました。
結構楽しいんですね。
そして「何でも屋」さんは有料なのです。
有料だからこそ、続けられるし努力もするんです。
写真撮影という職業は、生活に根ざしています。
生れた時はお宮参りの写真から始まり、死んだら遺影が必要です。
冠婚葬祭の写真は写真屋として大切なことです。
しかし冠婚葬祭以外にも、人間の生活の中には他人にはわからない、いろんな事があります。
何が大切なのかは、すべての人間が違います。
他人にとってどうでもいい事でも、本人にしてみれは重大な悩みになっています。
今、それらの事を受け入れる事が出来るようになったのでしょう。
やはり、年齢でしょうか。
これからもお客の依頼は極力断らず、
「何でも屋」を続けていくつもりです。
(映画の影響でしょう。あんなにかっこよくありませんが、何処か共感するところがありますよ)