下流児童-貧困の概念
NHK報道の貧困問題の放送の際、出演した学生たちを「貧困ではない」と書き込みが殺到したという。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9954L1J99UTIL03Z.html
「貧困たたき」の背景は? NHK報道めぐりネット炎上
長崎新聞にも、貧困問題を考える内容の記事が掲載された。
最近長崎でも、子供たちに食事を無料で提供する子供食堂や、無料で学生服をレンタルするボランティアの話題もあった。
今の時代にご飯を食べれない子供たちがいることにもショックを受けたが、確実に貧富の差が拡大していることは事実である。
見た目の貧困さ
しかし、ネットで炎上しているのは、そんな事ではない。
貧困とされている学生の身なりや家の様子が、貧困じゃないと受け取った視聴者が多くいたことである。
新聞にもあったが、私達が貧困として(映像で)納得する程度が、普段の生活が全くできず食べ物をろくに食べていない人達の事をイメージしている。
継ぎはぎされたズボンやスカート、ボサボサの髪、部屋にはテレビもない・・・等
そんなイメージで貧困を捉えている。
スマホを持っている高校生を貧困とは思わないし、家にクーラーがあったり、車があったりすれば貧困とは絶対考えない。
しかし、そんな見た目だけで貧困を定義していいのだろうか。
昔、生活保護を受けている高齢者が、クーラーを譲ってもらって設置したら、生活保護を担当者が止めたという記事があった。
今ではそんなことはないが、見た目の貧困さが重要だったのだ。
クーラーは贅沢品だろうか。
スマホや携帯は贅沢品だろうか。
仕事のために持っている車、小綺麗な格好
これらの一つでもあれば、現在は貧困と認知してくれない。
一億総中流社会という言葉が1970年代にあった。
その意識は、つい最近まであった。
しかし近年、下流老人などの言葉が飛び交い、日本人の実像が炙りだされている。
子供たちや学生の中にも「下流児童」は存在している。
下流児童
今流行の「下流老人」をもじっただけだが、嫌な響きである。
スマホを持っていようが、小綺麗な格好をしていようが
この格差は存在しており、生き延びていくために負のスパイラルを繰り返している。
貧困は本人のせいであるという論調は根強い。
確かにその一面もある。
しかし、一般の人が「中流」と思っていたのが、本当は「下流」だったとわかったように、
今まで「中の下」くらいに思っていたのが、実は「貧困層」だったのである。
貧困は子供たちだけではなく、高齢者にも同じことが起きている。
いま私たちの一部の層は、小綺麗なタコ部屋にいる。
そして、生き延びていくために、手足を食べながら暮らしている。
それはたぶん「自分」だろうと思っている。