韓国青年が着ていた「原爆バンザイTシャツ」の話

今、ネットで炎上しているのが「原爆バンザイTシャツ」だ。

地上波テレビなどでは報道されていないが、ツイッターやネットニュースではその顛末が盛んに流されている。

広島、長崎は被爆地である。

そんな意味からも、被爆市民は知る必要があると思い書く。

スタートは去年の話で2017年に防弾少年団(BTS)という韓国音楽グループの青年一人が、このTシャツを着ていたことが問題になった。

まあ人気のグループらしいので当然ファッションにも注目が集まる。

そのTシャツには日本に落とされた原爆の写真と韓国人がバンザイをしている写真がプリントされている。

原爆バンザイTシャツ

まあ、心ある日本人が見れば誰でも呆れ、怒る内容だ。

ネットでは非難する記事で溢れ、結局11月9日のテレ朝系音楽番組「ミュージックステーション」の出演が中止になった。

それ以外にもフジテレビ「FNS歌謡祭」、NHK紅白出場予定とされていた事が、全て白紙に戻ったという。

そしてTシャツの製作者が謝ることで一応決着がついた形になった。

「反日の意図なかった」 BTS原爆シャツ作製元が弁明
https://www.asahi.com/articles/ASLCB04PKLC9UHBI04D.html

こんなことを書くと、反韓とかネトウヨ(ネット右翼)とか言われそうだが、原爆バンザイTシャツを見れば、誰だって嫌な気持ちになる。

特に私は長崎人である。一言文句を言う権利がある。

自分たちの人気に思い上がった韓国青年の行為なので、寛大な気持ちで対処しろと言われそうだが、駄目なものは駄目なのである。

根本的な原因

最近韓国の話題が多い。

捏造された慰安婦問題、竹島違法上陸、軍艦島問題、自衛艦旭日旗問題、徴用工判決・・・。

いずれにしても日本と対立している韓国の姿が浮き彫りにされる。

しかし政治と文化は別だという意見もある。

日本での韓流ドラマの人気、Kポップと呼ばれる音楽グループの人気、韓国人観光客の増加など、ここだけ見れば両国のわだかまりはないようにも見える。

こんな文化的交流があるのに「原爆バンザイTシャツ」が出てくる。

そんな状況の背景には教育がある。

例えば独島(竹島)は韓国の領土だと教えるカリキュラムが幼稚園や小学校低学年から盛り込まれている。

韓国在住の日本人が現地で感じる反日感情7つの特徴!
https://www.spintheearth.net/korean_issues/

韓国併合の事実

この件に関して日本人の知識と感覚が様々なことに驚いてしまう。

まず、学校でその事実を教えていない事が大きいだろう。

一部の年配の人でも、日本が韓国と戦争して占領したと思い込んでいる人もいるくらいである。

日本史の授業でも、高校生になれば大学入試に出てこない時代の事はやらないし、やっても明治維新でおしまいという所も多い。

そこで日韓併合の歴史を簡単に書いてみた。

なぜ日韓併合をしたのか

まず、この時期極東におけるロシアの南下政策の始まっている。

ロシア側は武力に物を言わせ、清国ではロシアへの外満州割譲が行われた。

日本では樺太問題やロシア軍艦対馬占領事件が起きている。

日本にすれば大国ロシアが日本へ確実に攻め入ることが予想されていた。

 

その時代の朝鮮半島は「李氏朝鮮」が治めていたが、長年維持していた冊封体制(中国の属国という立場)を崩そうとはせず、鎖国を行っていた。

日本とすれば、ロシアの軍隊がすぐ側まで来ているという危機感で、李氏朝鮮に開国を迫ったのだ。

しかし鎖国を続ける李氏朝鮮の王族 大院君(だいいんくん)は日本からの進言(鎖国をやめて西洋化し、中国の属国をやめ自立して欲しい)を何度もはねつけている。

大院君

ここが日韓併合のスタートラインになっている。

この膠着状態を打破するため日本側は清国と日清修好条規を結んだりとして李氏朝鮮を説得しようとしていたのだが、1871年にアメリカ艦隊が江華島の砲台を占領、朝鮮側がこれを奪還する事態が生じた。

実はアメリカも朝鮮を狙っていて、ちょっかいを出したのである。それほど西洋諸国はアジアを狙っていたということの証拠である。

江華島事件(こうかとうじけん)の勃発

朝鮮西岸海域を測量中の日本の軍艦雲揚号が、江華島、永宗島砲台と交戦した事件である。

日本の軍艦雲揚号は首府漢城に近い月尾島沿いに投錨。端艇を下ろして江華島に接近したところ島に設置されていた砲台から砲撃を受けて交戦状態となった。

結果、雲揚号は反撃砲撃を開始し江華島砲台を破壊している。

江華島事件

この事件後、李氏朝鮮と日本は戦争回避のため話し合いを持ち日朝修好条規(江華条約・これは不平等条約と呼ばれ日本に有利な内容である)を結んでいる。

これにより李氏朝鮮側にも変革を望む開国勢力が台頭し始めたのである。

このあたりから現在の日韓問題の火種がくすぶり始める。

李氏朝鮮側には攘夷側(鎖国)と開国側の勢力があり、日本は開国側と歩調を合わせ、武力を背景にして交渉を有利なものへとさせていく。

そして1910年韓国併合条約により大日本帝国は大韓帝国を併合したのである。

ここでいきなり大韓帝国という単語が出てくるが、これは日本が清国に対して朝鮮が自主独立国であることを認めさせ、李氏朝鮮から清国に対する貢献・臣下の典礼等を廃止させ、大韓帝国としてはじめての独立を支援した結果である。

日韓併合時の事は、膨大すぎるので割愛する。

 

以上の経緯により日本は朝鮮半島を統治するのだが、朝鮮側と戦争をしたことはなかった。

むしろ戦争をすれば、ロシアや清国、アメリカやヨーロッパ勢から狙われる可能性が非常に大きいからである。

日韓併合時代中、1936年のソウル

その当時のアジア情勢を見れば、西洋諸国やロシアのえげつない侵略と戦うために日本と朝鮮国が力を合わせて立ち向かうという図式になるのだが、朝鮮の攘夷派から見れば、日本統治は腹立たしいことになる。

日本は敗戦し35年に及ぶ朝鮮半島領有は終了する。

その後、朝鮮総督府はアメリカ軍への降伏文書に署名し、アメリカ軍が統治を開始する。

その後、北緯38度線を境に南部はアメリカ軍、北部はソビエト連邦軍が占有し戦いを続け、日本敗戦から3年後、朝鮮半島南部に大韓民国第一共和国、北部に朝鮮民主主義人民共和国が出来たということである。

その後1965年(昭和40年)日韓基本条約が結ばれ日韓関係を修復する。

その内容

日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄

当時の韓国国家予算の2年分以上の資金提供(資金8億ドル(当時))

日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。

出典ウィキペディア

中国や韓国の反日教育は問題である。

長崎には数多くの外国人の人達が働いている。

ひところから言われている「グローバリズム」の世界観だが、そう簡単に、様々な国の人達との一体感のある共同生活が出来るわけではない。

そこには国の個性や考え方が存在し、「グローバリズム」を進めれば進めるほど、国の差が浮き彫りになってしまう現象にもなっている。

反日の国もあれば、親日の国もある。

私が日本で仲良くしたいと思うのは、日本が好きな人たちがいいと思うのである。

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