プロカメラマンが思う上野彦馬の写真

上野彦馬といえば、日本のプロカメラマンとなった最初の人物である。

活躍した時代は江戸の終わりから明治37年(1904年)とある。

何事も最初にやった人の偉業は称えるべきで、私も同業として風頭公園にある墓地に参拝したことがある。

それはさておいて、上野彦馬氏の写真の評価はどうだろうかと考えた。

それを探ってみたいと思う。

上野 彦馬

ナガジンというホームページに上野彦馬の特集があった。

●センスは持って生まれたもの?上野彦馬撮影の人物・風景たち
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0306/index1.html

その中に

彦馬の人物写真は「ナダール風」というフランスの肖像写真に近いといわれている。
それは彦馬を指導したフランス人写真家のロシエの影響と安易に考えがちだが、実際には絵師の家に生まれた彦馬自身の絵画的センスが大きいという。
撮影技術の進歩がうかがえるのだとか。
絵師の家柄と勤勉で努力家の血筋が写真の始祖・上野彦馬を作り上げたようだ。

かなり持ち上げている文章だ。まあ地元愛のなせる技なのでしょうがない。

古写真

実際に上野彦馬氏の写真を見てみよう。

長崎大学の日本古写真メタデータ・データベースで古写真を見てみる。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/list.php?req=1&target=Hikoma

 

上野彦馬氏の風景写真(着色)

確かにちゃんと撮影されている。風景写真のアングルも絵画風で今のカメラマンもこう撮るだろうなと思う。

「実際には絵師の家に生まれた彦馬自身の絵画的センスが大きい」とナガジンは書いているが、風景写真でセンスがそんなにわかるものではない。

大体、明治のこの時代に写真を職業にしようとする人である。それなりのセンスはないとおかしいのだ。

さらに「それは彦馬を指導したフランス人写真家のロシエの影響と安易に考えがちだが」とナガジンには書いているが、その当時すでに上野彦馬よりも遥かに写真技術を持っているロシエである。

幕末3D写真スイス人写真師ピエール・ロシエ

「安易に考えがち」とあるが、やはり写真の本場の影響はかなり大きいはずである。

さらに、彦馬の人物写真は「ナダール風」とあるが、ナダールの写真を見れば、残念ながら内容はかなり上である。

ナダールのセルフポートレート

またナダールは、著名な人達を撮りまくった有名人である。その技術は世界のカメラマンの手本になっている。

ナガジンの解説をけなすわけではないが、地元の偉人を持ち上げ過ぎだと思う。

写真家の苦労

写真局を作って職業としたのだから、撮影に関して、まず失敗は許されない。

金をとって写真を撮るのだ。そしてその写真代はかなり高価である。

上野彦馬の写真代を調べてみると、明治20年代で名刺判が1円。
キャビネ判が2円。四つ切りが5円だったとの事。

当時米が5㎏で20銭。現代の価格として米5㎏を2,500円だとすると・・・

今の物価に換算すると名刺判で12,500円。キャビネ判で25,000円。四つ切りだと62,500円となる。

日本の写真の開祖、幕末の写真師「上野彦馬」は今でいうインバウンド商売の開祖でもあるのだと思う
https://www.smilejapan.jp/entry/2018/11/04/210132

現在の写真館だと、6つ切りが台紙付きで15000円位か。

やはりかなり高い。

どんなに珍しい最新の技術を持っている上野彦馬と言えども、高価なお金を払っているお客さんのクレームは一番怖いはずだ。

そのためには、他のカメラマンの作品を意識し続けてきたのだろう。

構図へのチャレンジ

いろんな事にチャレンジしているのは見て取れる。

私が一番面白いと思ったのは集合写真である。

ひとかたまりの写真をとるというのは意外と難しい。

バランスよく並べてポーズを取らせるのだが、撮される人はなかなか言うことを聞かないものである。

それをうまくまとめていると思う。

例えばフェリーチェ・ベアトというカメラマンが長崎で活躍していた。上野彦馬等と共に撮影を行っている有名人だ。

ベアトの集合写真は秀逸である。

ベアトの写真

そのベアトに影響を受けたと思える上野彦馬の写真にもある。

上野彦馬の写真

上野彦馬の写真

お金をもらって写真を撮る商売である。店に来るお客さんでは実験的な撮影は出来なかったであろう。

そんな中で、ただの記録写真ではなく、物語のイチ場面のような映像を狙っているのだ。

理系と文系の結合

最近のデジタルカメラ一辺倒のカメラマンの人達の事はよくわからないが、一昔前の70年代のカメラマンは、アナログカメラとフィルムの世界だった。

ポジやネガなどのフィルムを選び、露出やピントもマニュアルの時代だった。

白黒の写真は自分で現像をして、自分の暗室で現像をしていたのである。

私も自宅の押し入れを暗室にして、プリントをしていたので部屋には現像液や定着液、酢酸などがたくさんおいてあった。

現像液は、大学時代、自分達で薬品を作るので天秤もあった。なので写真を撮影する以外にも、化学的な知識が絶対的に必要だったのだ。

さだまさし 撮影竹村倉二

ながさきプレスという雑誌で連載していたのだが、この写真はトライXというフィルムを高温希釈増感現像という方法で現像し、押し入れの暗室でプリントしたものだ。

もちろん上野彦馬氏の苦労は、こんなもんじゃなかったと思うが、ただのアートが好きな文系の人ではなく、科学的なことも積極的にこなす知識人だったと思うのだ。

アーティストは職人

絵にしても、写真にしても、音楽家にしても、技や物を使って表現するには、修練を積んだ職人的技工が重要になる。

上野彦馬の業績は新しいことにチャレンジして、それをちゃんと商売にした事にある。

感性だけのニセアーティストではない、筋金入りの写真師。

尊敬に値する人物である。

 

肖像写真の撮影風景

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